第29話 歪んだ日常
「須藤ミナト。起きろ」
まだ外は暗いのに真上から僕を呼び起こす声がして浅い夢から醒めた。
まただ。また、無機物に魂が乗り移って僕に暴言を吐きに来たんだ。今さっきは枕だったから、次は電球か。
僕はゆっくり瞳を開けると、胸に以前見た覚えのある光り輝くレイピアの先端が刺さっていた。幸い傷ができる程度じゃないが僕の胸に接着している。もちろんびっくりしたが、夢や幻覚かと思って声すら出なかった。
「声を出したら貴様の心臓を貫く」
上を見上げると、やはり丙のアンドロイドがいた。丙のアンドロイドが幻覚になって表れたんだ。
レイピアがより深く当たりそのチクっとする痛さで僕はこの出来事が現実なのではないかと疑った。だが、もういっそのこと殺してくれ、そうしてくれれば楽になると丙に目で合図を送った。殺せ、殺せ、僕を殺せ。僕が作った幻影ではないのなら迷わず胸に刺せるだろう。
―――――違うんだっ!死にたくない!父さん助けて!
一方、僕は死の恐怖を感じ助けを求めようとした。しかし、緊張で喉に石のようなしこりが詰まっているように感じ、思うように声が出ない。それに、父さんに助けを求めたとしても何も解決しないことを知っていたから声が出なかったのかもしれない。涙を流すのを耐えようとすると、喉の腫瘍はどんどん腫れてくる。
でも、こんな異常事態でも丙のアンドロイドに対して不審に思うことがいくつか頭に浮かんできた。
まず1つ、どうしてこのアンドロイドは僕の家を知っているのかという点だ。ずっと朝から夜まで尾行していたからなのか。もしそうだとしたら身の毛がよだつ。勝手に執着されて溜まったもんじゃない。そして、ユウが前に話していたストーカーはもしかして丙のアンドロイドなのではないのかと疑った。
2つ目、僕を殺したいんだったら以前会った時に殺しておけばよかったんじゃないという点。なんで生かしておいたんだよ。あの時僕を殺していればこんな辛い思いしないまま現世とバイバイできたのに。
花之木を殺した亜人連合のトップ、イライザとやらに従うこいつも敵だ。殺してやる。無理でも何でも殺してやる。こいつの関節を全部切って外殻を全部剥がしてやる。痛みを持たないのなら痛みを感じるようにしてやる。恐怖を与えて花之木を殺した奴を何が何でも吐かせてやる。吐かせてやる。殺してやる。殺してやる。
だが、丙のアンドロイドから出てきた言葉は僕の予想に反したものだった。
「―――私が花之木ルカを庇っていたことを誰にも言うな。約束しろ。誰にもだ!」
その言葉が丙から発せられると僕に溜まった怒りは不思議とスーッと引いていった。「なんで?」と思ったが、黒い影はそれだけを口にすると、レイピアを鞘に納め夜明け前の暗闇に溶け込み消えていった。そいつと一緒に夜の匂いと風がさよならと言って去っていった。
結局あいつは僕を殺さなかった。殺してくれと言いつつも本当は死ぬ勇気のないチキンな僕の深層心理を表しているようで何とも言えない気持ちになった。
「あいつ、僕の幻覚なんじゃないか?」
それと同時に僕には存在しない音が聞こえたり、見えてはいけないものが見えるという事実に勇気を貰えるような気がした。だって、もしかしたら丙のアンドロイドなんか存在していなくて団地で出会ったあの日から全部妄想だったのかもしれない。
じゃあ、花之木が死んだことも嘘だったかもしれない。
それだったらいいのにな、僕がおかしければいいのになと天井を仰ぐ。
そして、妄想だったかもしれない丙のアンドロイドへ向けた狂気ともいえるほどの殺意。心は嘘をつかない。この気持ちだけは本物だ。その感情が恐ろしくおぞましい。
僕は色々な感情が混じりに混じってどれが本当のミナトなのか分からなくなる。
笑った僕?怒ってる僕?泣いてる僕?苦しんでる僕?人を蔑んでいる僕?昨日の僕は本当の僕?今の僕は違う僕?どれ?どれなの?
もう現実と妄想の区別すらも出来なくなっている。バイバイミナト。さよならミナト。やっぱり僕の心は壊れてしまっているんだ、元のミナトには戻れないんだと、そんな自分に絶望した。
※ ※
早朝、僕は衝動的に家から飛び出た。
そして、僕は八王子警察署へ行けば誰かしら協力してくれるのではと思い、磁石に引き寄せられるように自転車に乗って駆け込んでいった。僕が見たことない夜と朝の空気が混じる薄暗い街。なんだか皆消えちゃった街みたいで楽しくなった。この世界にいる存在が僕だけだったら好き勝手できるんだもん。
「花之木ルカを殺したやつーーーーー覚えてろーーーーー!絶対殺しに行ってやるからなーーーーーー!」
自転車のペダルを漕ぎながらそう大きな声で叫ぶと、この瞬間だけとても気分が晴れた気がした。チャリンチャリンチャリン。ほら、勝利のゴングもリズムに乗って元気じゃないか。きっと皆賛成してくれるはず、正義と組織の名のもとに皆で一緒に殺してくれるはず。
「ぎゃはははははははっ!」
いはは、あははははと、歪んだ笑顔を浮かべながら警察署の駐輪場に投げるように自転車を停めた。いつもババア達のいる散らかった第一課の部屋へ一直線に向かうと朝のニュースがテレビでやっていて、刑事達が朝食と共に囲って観ていた。
「第3種能力者に合格したっていう坊主じゃないか。こんな朝早くからどうしたんだ?」
「どうも。ババアと…話がしたくて」
「あー、戸越係長はまだ来てないんだよ。ほら、これコンビニで買ったパンだけど5個入りだし1個食うか?」
「いいえ。大丈夫です」
「―――昨日、芝公園にてツェラー議員が小学生の少女に襲われる事件が発生しました。議員は転倒するなどの軽い怪我で済みましたが少女はその後持っていた銃で頭を貫き死亡が確認されました」
「いやぁ、これは大事件ですよ。子供までも統合政府に反感を持っていて実行に移すだなんて嫌な世になったものですね」
テレビに出ている専門家だか元刑事だか、関係ない大人がぺらぺらと花之木の事を知ったかぶって喋っている。
違う。花之木は殺されたんだ。自殺なんてするわけがない。僕はこの目できちんと死んだ花之木を見たんだ。
この耳でしっかり銃声の音と彼女の断末魔を聞き取ったんだ。
たしかに、あいつも人を殺そうとしたが、元を辿っていけば全部イライザが悪い。なのに、皆で寄ってたかって子供のあいつを悪者にするなんて酷すぎると思った。そんなことを思っていると、心の奥底から沸々と怒りがこみあげてきた。
「では、ここで専門家の―――」
「ふざけんな!言ってることが違うっ!」
我慢できなくなった僕は怒りに任せ机をを思いっきり叩いた。するとどうだ、皆の冷たい視線が僕に集まった。どうだ、驚いただろう。人間を敵に回すのって面白えや。
ニヤリと笑うと、遠く離れたアンドロイド犯罪対策係のデスクに座っているレイがこちらを見つめていた。普段の明るい彼とは打って変わって曇り空のような表情だった。哀れみか、可哀想な人間の子だと、そんな感情を僕にぶつけるのか。いや、違う。彼の感情。それは怒り。死んだ顔をしているが眉に力を入れ、怒りの顔を浮かべている。僕に敵意を向けている。
僕は殺してない。
僕がやったわけじゃない。
僕と向き合うレイの周りを暗い闇が包み込んでゆく。
違う。違うって言っているのに、どうして僕を責めようとするんだ。
「お前がちゃんと守ってりゃ、あの子は死んでなかったよ!お前が殺したんだ!」
違う。違うよ。
「何が違う!じゃあ、誰が殺したんだ!」
「わ、わかんないよ!わかんないけど僕じゃないよ!違うんだ!はぁ…はっ…!僕が殺したわけじゃないっ!」
「あーあ、可哀想な花之木ルカちゃん。出しゃばりなくせに無能なお友達に付きまとわれて殺されちゃった」
「ち、違うんだ!」
「違う?どこが?自分を過大評価して調子に乗って、余計なことしかしない。だから、死んだの。係長を超えるとか言ってたのどこの誰だっけ?…ねえ、誰だっけ!?てめえだよ!てめえっ!須藤ミナト!てめえのことだよ!お前が調子に乗って殺したんだ!…あの子、可哀想だね。まだ幼かったのに…。やりたいこと、たくさんあっただろうに…!」
彼のワインレッドの瞳から輝きはとっくのとうに失われていた。
「――――――――――レイ!もうやめろよっ!そういうのっ!」
耐えられなくなった僕は責めるレイを突き返した。
「――――おはよう」
「はあ…はあ…はあ…はっ…」
やっと来たか。朝6時半、眠気の取れてないダルそうなババアが露出度の高いいつものスーツを着て出勤してきた。知らない間に瞳に光が戻っていたレイもそれに会釈して挨拶を交わした。
あのレイは、違うレイだった…?
やはり、見えてはいけないものが僕には見えてしまっているんだ。この現象が幻聴や幻覚だと認識できていることが唯一の救いだろうか。現実との区別が本当につかなくなったら終わりだ。死に等しい。
「おはようございます」
「…おい巡査、ギャーギャーうるさいバカはまだいるのか?」
僕のことを指しているんだろう。その呼ばれ方にはムカついたが、僕はすぐさま彼女に駆け寄った。こいつだったらきっと情報局とかいう輩に良い印象を持っていないだろうし、僕の作戦に協力してくれるはずだ
。
それに加えて彼女は世界最強の業使いだ。そんな人物が僕の身近にいたのは不幸中の幸い。
「聞いてくれ!情報局とかよく分かんない奴らに昨日の事件の指揮を執られちまったんだ!警察のあんただったらどうにか出来るだろ!どうにかしてくれ!」
「無理だ」
その単語だけが彼女の口からぽんと判を押すように出てきた。
「どうしてだよ!だってあんた、世界一の専属能力者なんだろ!?皆、あんたのこと最強だって言っているよ…!」
「…それがどうした?」
「テレビや新聞もおかしいんだ!花之木のせいだって言うんだ…!ただの子供が1人でよく分かんねーおっさんを襲おうだなんて思うわけ無いだろ!?花之木の父さんの命をダシにして殺せって命令した野郎がいるんだ!」
そう言われて後ろに下がってたまるか。投げつけられたその言葉が、何としてでも彼女を味方につけようとする僕の想いをかき立てた。
「情報局の上には20年ほど前から統合政府の実権を裏から握っている元老院がついている。元老院の内部は不明なことが多いが、アンドロイド至上主義者ばっかりなようで、どうやら亜人連合とも繋がってる様だし悪い噂が絶えない。ニュースや新聞が虚実混交しているのは奴らが圧力をかけているからだ。この事件が特別って事でもない。よくある」
僕はそんな答えを求めているんじゃない。少しでもいいんだ。ウンウンと頷いてくれよ。
「それに、花之木の父さんが亜人連合の連中に誘拐されたらしいんだ。早く助けねえとまた花之木みたいに…!」
「あのガキの父親は元老院の批判を行っていた組織の中心人物だった。部屋送りにされたんだろう」
「部屋送り…?」
「元老院が自分達の気に入らない発言をする政治家や反対している人間を亜人連合や情報局使って”部屋”に送る。そして消してしまうのさ」
「消すって…?人間消すって…何だよ…!」
「拷問して殺すんだよ。部屋送りにされた人間で生存が確認された者は誰ひとりいない。元老院に一度でも目をつけられたら死んだも同然だ。これが分かったら変な行動を起こさないことだな」
ババアの言い方にむしゃくしゃする。でも、花之木の父さんがもうこの世にいないことは薄々気が付いていた。だから僕は昨日、雨が降る中花之木に酷い嘘をついた。そして僕のあんな嘘を信じたまま花之木は死んでいったんだ。だったら、僕のやることはただ1つ。
「…でも、お願いだ。協力してくれよ!人が⋯子供が死んでるんだぞ!あんたそれでも警察かよっ!」
――――――――――バシッ!
「出てけ」
彼女がかましてきたのは平手打ち、ビンタだ。右頬がひどく熱い。
僕はその衝撃と共に昔の思い出が蘇った。
そうだ。僕の母さんは、こんな事しなかった。僕の母さんはもっと優しくて、泣いているときは抱きしめてくれて、泣き止んだ後は僕が大好きなオムライスを作ってくれた。それなのに、どうしてこんな赤の他人に殴られなきゃいけないんだ。疑問とともに怒りが心の中に抑えきれなくなった。
信じられなかった。開いた口が塞がらなかった。僕は頬を右手で優しく疑うように触りながらこれが真かどうか確かめた。ババアの顔を魂が抜けたような表情で見つめると彼女は上から僕を睨みつけていた。
「ちょっと係長!」
レイはいつもの様にババアを止めに入った。だが、そんなことお構い無しで睨んだまま僕への説教を続けた。
「私のやり方に文句があるのだったたここから出てけ。そしてもう二度と戻ってくるな!」
すると、ババアは怒鳴り散らして次にドアを指さした。
そういえば、花之木は生前このババアと話し合いをすればきっと分かってくれるはずだって話していた。ババアなら僕を分かっている。ババアなら僕を理解してくれる。あの時の僕はまだこいつに期待していたんだってやっと気づいた。
「…てめえ!だったら最初から、信じなきゃよかった!くっそーーーーー!――――――ガイア!」
色々なものが混じった涙を流しながらこんな無責任なクズ野郎どうなったっていいと思って親指を強く押した。
すると、いきなり太陽が僕の目の前に現れたように明るくなった。
白い光に包み込まれると、段々と意識が薄くなっていきそのまま気を失ってしまった。
※ ※
真っ暗闇の中風が吹いている。僕は横になっているのか地面がゴツゴツしてて何だか熱い。だがまだ眠たい。
横から車のエンジン音と排気ガス特有のガソリンやらアンモニアやら、体に悪影響を及ぼしそうな多種多様な臭いがする。反対側からは音や地面に接するタイミングがそれぞれ全く違う足音がする。指揮者のいないオーケストラ演奏会みたいで面白い。警察署で暴れて、ババアに追い出されて道路でふて寝したってところだろうか。やはり、寝て起きてもを忘れることはない。ありすぎて今日一日、このままの状態で一日寝ててもいい。
「―――ちょっと君?大丈夫?」
誰だ。真上から若い女の声がする。僕に向かって言ってるのか。そんな訳ないか。
「ちょっと君!こんなところで寝ていたら危ないって!」
「うわぁっ!」
耳元で大きな声を出すな。ビックリするだろうが。
「今何時だと思っているの!?」
「…朝の…6時半…」
「どこを見てそう言っているの?寝ぼけてないで。今は夜の10時半。朝なんかじゃない」
え。と僕は辺りを見回した。見慣れないビルが立ち並ぶ大通り。空には月が昇り真っ暗だった。
「君は…この辺の人じゃ無さそうだね。そんな所で寝てたら家族が心配するよ。まだ未成年でしょ?」
僕を心配して声をかけてきた赤い目を持った首元ぐらいまでの白髪の女性。スーツを身に纏って背丈は高くスラーっとした美人。ミステリアスで、儚く今にも消えてしまいそうな印象の女性だ。
「は、はい。色々あって…。まぁ、大丈夫です」
「ちょっと待って。大丈夫なわけがないでしょ?君、家はどこ?」
周りを見渡すと見たことない洋風の建物ばかりが並んでいてここが僕の知っている場所ではないなと推測した。
ここで嘘をついても意味がないと思ったのでどこから来たのか正直に答えた。
「あ…えっと…東京…」
「はぁ!?東京!?ここはブダペストよ!?176ブロックの!一体、どうやって来たの…?」
「ブダペスト…?どこなんだ…ここは!?僕そんな遠くまで来ちゃったのか?」
きっと、今さっきのあれでたまたま瞬間移動する能力が発動されてしまったんだ。このままここに長居はまずい。もう何回かやれば戻れるだろうかと思って親指を押した。
「んっんっ!ガイアッ」
しかし、手の平の中に落ち葉が溢れるばかりだ。
「なんでだよ!僕の言うとおりになれ!クソックソックソッ!」
「ちょっと。君、行く当てはあるの?」
「な、なくは…。やっぱ行く当て…無いかもしれない」
「…だと思った。どう?もしよければ今日、ワタシの家に泊めてあげるけど?」
僕は軽く頷いた。この時、僕の心は何だかもうどうでも良い気持ちでいっぱいだった。彼女が提案してくれたからなんとなく乗ったけど、ここで野宿でも良かったし、なんならそこの車にでも轢かれて死んでもいいなって思った。
もういいや。やっぱいいや。もうあんな町に帰らなくていいや。僕なんか消えてしまえばいいんだ。あんな嫌な人や辛い思い出ばかりの町、もう戻りたくないや。
行くあてのない僕はゾンビのような顔で彼女の家へと付いていった。




