第28話 マトリカリアの栞
あれからサイレンを鳴らした救急車が到着したが、救急隊員達は首を振るばかりで血まみれになって倒れる花之木を運ぼうとしなかった。
その横で警察官ではない謎の大人たちが花之木の遺体の写真をパシャパシャ撮ったり、こそこそと話をしていたりした。レイはそいつらを警察ではない情報局の連中だとか言ってあまりいい顔はしなかった。僕もあまり気に入らなかった。
僕はその光景を見ると、この短い間に花之木が人から物になったみたいで嫌な気持ちになった。だから、木陰に座り込み誰にも気づかれないように鼻水を垂らしながら泣いた。でも、知らない誰かの「あの子、泣いてるよ」とか「そっとしてやれよ」って声が耳に勝手に入り込んできてもっと涙が溢れてきた。
「ミナト…」
レイは隣に立ち止まって落ち込む僕を励まそうと何かを言いかけた。だけど、今の僕はレイに構ってられる精神状態じゃない。どんな励ましの言葉も馬鹿馬鹿しいと感じるしかないだろうと思い、目をギュッと閉じ耳を塞いだ。しばらくして涙を殺し、真っ赤な目を誰にも見せないようにパチパチと瞬きをしながら顔を上げると、天使の羽のように白い髪を束ねた捜査員の男がニヤニヤと見つめてきた。背は低く華奢で女々しいが、目が糸のように細く狐顔で不気味な印象だった。
服装は牡丹の花の刺繍がしてある半袖の白い中華風シャツ。深紅の瞳を持っていて、外見にコンプレックスのない僕も羨ましいと感じるほどだった。しかし、道化師のような口角の上げ方や不自然に両手首に巻かれた包帯は僕の心に正体不明の薄気味悪さを刻んだ。胡散臭さを擬人化したような人間とでも言うべきだろうか。怖くなって彼と目を逸らした。
「辛・ハオ…あいつ…」
レイはあいつの名を呼び歯を食いしばって睨んだ。
辛・ハオ、男の名前は辛・ハオというらしい。平たい顔のアジア系だが名前を聞く限り大陸出身でここら辺の人間ではないようだ。
「あ!先輩、あのガキが第一発見者っスか?」
そして、隣にいた癖毛で猫顔の部下が僕をちらちらと覗きながら辛に尋ねた。童顔で自分は馬鹿ですという表情をしているが、僕はうっすら彼から腹の中にどす黒いものを隠し持っている気がした。それにしても、2人揃って動物みたいな顔していやがる。
「あっ、吉川さんですか…。あぁ、そうみたいだね」
まだ20代半ばで中性的、悪く言えばナヨナヨした印象だったので彼が思ったより深みのある落ち着いた声で驚いた。男のくせに妙な色気もある。
男は不気味な血の色の瞳を僕たちに向けると、ニコニコと笑みを作って近づいてきた。
「あなた、乙神レイ巡査…でしたよね?アンドロイドで警察官をやりたがるなんて物珍しいものだから知ってますよ。あなたの様な素晴らしい人材は、私達情報局が欲しいくらいですよ」
僕の横で腰を下ろしていたレイは声をかけられるとヨロヨロと立ち上がった。やはり、第一印象通り嫌味っぽくてあまり好きになれる人間ではなさそうだ。
「どうも。ですが、結構です。私は今のこの環境で満足しているので…。それで、あの…死因とかは…断定できました?」
「まだ調べ途中だから断言できないですけど…自殺、でしょうね。きっと自分が犯した罪を振り返って嫌になって自ら…。銃も自分の手で持ってますし…」
「…そんな!俺とミナトは悲鳴を聞いたんですよ!それに、この銃、体の硬直が始まってから誰かが無理やり手に持たせたんです。だから、引き金にかけたここの人差し指が曲がり切ってない。それに、私は警察に電話を掛けたつもりですが何故あなた達が…!?」
「もうあなた達の上から許可は取ってます。この事件の指揮は私達情報局が取るということは決まっているんです。これ以上騒ぎ立てるつもりなら帰って下さい。これは命令です」
その後戻ってきたレイは僕の手を強引に引いて現場から泣く泣く帰った。ビルとビルの隙間から吹いてくる東京の風は肌寒くて僕の気分をもっと下げた。
その日は、バイクに跨ってレイに八王子の家の前まで送ってもらった。どうして助けられなかったんだろうとか、僕が弱いのが悪いんだとか、天狗になりすぎてたんじゃないかとか、色々考えてしまって彼の背中に抱き着いたまま静かに泣いた。彼のジャンパーは古着みたいな匂いがしてあまり好きではなかったけれど、心を落ち着けられる唯一の場所だったのかもしれない。
「――――じゃあな。ミナト。あんまり深く考えるなよ。お前が悪いわけじゃないんだから…」
僕は軽く頷いた。レイはその後僕に何も言わず、そしてアクセルを踏み込んでそのまま真っすぐ消えていった。真っすぐな道の先へバイクのエンジン音とともに。
僕は魂が抜けたように玄関の前からレイの影が小さく無くなるまでずーっと見つめていた。
「ただいま」
「あら。ミナトお帰り。遅かったじゃない。ただ、こんなに遅くなるんだったら連絡よこしなさい。心配するでしょう?お小遣いだって毎月あげてるんだから公衆電話からかけれるでしょ?」
「そうだぞ。ミナト君。お父さん今さっきまでミナトどうしたのかしら、ミナトどうしたのかしらってずーっと言っていたんだぞ。あんま心配かけんじゃねーぞ」
「もう。そういうの言わなくていいから。早く食べるのを進めなさいよ!」
あははははは、と店内には笑いが広がる。その笑いが僕の心をぎゅっと小さくした。はっ、どうしてこの人達笑ってんだろ。僕はなんだかバカバカしくなって小さく鼻で笑った。
「…で、お友達と遊びに行くとか言っていたけどどうだったの?楽しかった?」
「いや、別に。普通」
父さんに僕の心情を勘ぐられないよう一切目を合わせなかった。父さんと目を合わせたら溜めた涙がぶわっと溢れてしまいそうだったからだ。いつものミナト。いつもの調子でやれば大丈夫。でも、そんな元気がどこから溢れてくるわけもなく僕は2階へと上がった。
「なーんか、今日のミナト君おかしくねえか」
「ああ。いつもはもっと元気あるけどなあ…」
「ホント…。どうしたのかしら⋯」
そんな客と父さんの会話が2階まで聞こえてきた。
部屋に帰ってすぐにした事といえば、花之木に以前貰って机の上に置いといたマトリカリアの栞を手に取って見つめなおした事だ。やっぱり綺麗だ。この白い花を見るだけで胸にナイフが強烈に刺さる。
「―――お前が死ねばよかったのにね」
「うああっ!」
すると、突然マトリカリアの栞が喋りだし責めてきた。もちろん僕は腰を抜かして反射的に栞を机に投げつけた。
「きはは。ははははは」
マトリカリアの栞は目も鼻も口もないのに笑っているようで気味悪かった。
すると、部屋にある全ての物が僕に向かって野次を飛ばしてきた。揺れる。ガタガタと机が揺れる。落ちる。次々と本が落ちる。喋る。追い込む。「おーい、死ねよ。全部お前のせいだ」って。僕の魂は一つの作品が完成した後の絵の具パレットのように色が混じりに混じって黒に近くなっている。
僕は壊れてしまうんじゃないかと、いや、もう壊れている。そう思った。
―――――――幻聴だ。これは幻聴なんだ!
その後はシャワーも浴びずにすぐ布団についたが、頭の中で不安や恐怖や怒り、色々混じった感情がグルグルと回ってその日は満足に眠れなかった。




