対ノワール②
カインが右前方に何かを見つけた。ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「クランの誰かか?」
それにしては、遅い。
「こちらに来ているようですが……。――!!」
アリスが息を呑む。近づく影の、その後ろを見て正体が知れた。
「ネイト!待ちなさい!」
「待つんだ!そっちは危ない!」
バーグとマリアが、普段着のままそれを追っている。つまり――
「おい、危ない!こっちに来るな!」
小さな影の正体はネイトだった。子どもが、剣を引きずってこちらへ来る。
それをネイトと認めたカインが駆け出した。手軽に狩れそうな獲物の出現に、ノワールの意識もネイトへ向く。カインより遅れて出たノワールだが、その足は俊足。あっという間にカインの後方へつく。フルールが追うが、傍目にも間に合わない。
「間に合わねぇ!」
防御の体勢を取れぬと判断したカインは――ネイトを抱きかかえた。
「このままだと、後ろから――!」
時間が緩慢に感じる。アリスのプロテクションも距離が遠すぎる。この後の展開は読める。カインは無防備な背を後ろから討たれる。一撃では死なずとも、行動不能の大ダメージ。そういう獲物に、狩る側は何をするか。
――とどめを刺す。それだけだ。
(ここから届く魔法なんて……。――!)
悠仁は、以前の危機を思い出していた。イザベラ――あのリッチとの戦い。あの時は。
「ぐぁああああ!」
前方でカインが背中から影を受け、苦悶する。背と、守られていなかった後頭部から血が噴き出す。
(また、あれを使う。――迷ってる暇はない!)
呼び水のように、頭の奥からあの詠唱が滲み出す。二度目だ。なのに、慣れない。腹の底で"何か"が嬉々として身を起こすのが分かる。
「あぁ……馨しい恐怖の香 怯えに震える命の甘さよ――」
「それは……!」
詠唱を聞いてアリスが叫びかけ――覚悟を決めた悠仁の横顔を見て、それ以上は言わず、自らの詠唱に入る。
「光よ…… その大いなる慈しみをもって 彼の者の傷を癒せ」
舌の上に、また、あの甘さが広がる。喰らうほどに力が満ちる。それが何より怖い。
「築き上げた日々を一匙ずつ舌に乗せ 骨の髄まで饕餮し あぁ……馥郁たる終焉を――デリヴォラ!」
「ヒール!」
唱えた瞬間、心臓が大きく跳ねた。視界が赤に染まる。すでに光を失った左目の奥が、焼けるように疼く。激痛に吐き気がせり上がる。
「ぐぅううううううう!!」
歯を食いしばる。目の前で仲間が死にかけている。このくらい――なんてことはない。アリスのヒールが痛みをわずかに和らげる。だが、異物の熱は引かない。
「炎よ――!」
今ある魔力の全てを、奪った"ごちそう"の残り香ごと杖へ注ぎ込む。
「ファイヤーボール!」
フルールのものより巨大な火球が頭上に膨れ上がる。杖を振る。凄まじい速度で、それはフルールの真横を抜けていく。
ノワールの牙が、カインの首を捉える、その刹那。
ゴォ――ッ!
火球がカインの背からノワールを撥ね飛ばし、後ろの木もろともなぎ倒した。
「ぐっ……」
魔力切れと激痛で、悠仁は膝をつく。
「ちょっと、先輩!」
ミーナが抱える。
「俺はいい……!頼む、あっちへ……!」
力なくカインを指す。
「……分かりました!」
ミーナが走り出す。その時にはもう、フルールがノワールの倒れた木の方へ踏み込んでいた。
「くそっ……弱ってるからって、一人じゃ……」
向かいたいのに体が動かない。
「悠仁さん!」
アリスが肩を貸すが、一人では支えきれない。
「……Yuji、無理は。」
ステラが、もう片方の肩を担いだ。
「すまない……ステラ。回復系のスクロールはあるか。」
「……ヒールの、スクロール。ある。」
「置いていってくれ。それですぐ追う。二人はフルールと、カインの手当てを。」
「……分かった。……ほんと、無茶ばっかり。」
ぼそりと言い置いて、ステラはアリスと共にカインの元へ駆けていく。
「……勘弁してくれ。」
悠仁はマナポーションを呷り、魔力切れを多少和らげると、スクロールを開いた。
「ヒール」
淡い光に包まれ、痛みが引いていく。
「……なんとか、足は動くか。」
遅れて、悠仁もカインの元へ走り出した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「……カインのおじさん……?」
抱きかかえられたネイトの顔に、カインの血が滴る。
「……おう。飛び出してくるのはあぶねぇぜ。こんなとこで何してる……?」
「お、おじさんが危ないって……教えてくれた人がいて。僕、おじさんを助けようと……!」
ネイトが涙を浮かべる。
――"教えてくれた人"。
その一言が、悠仁の耳に妙に冷たく残った。誰がこの子に、戦場のただ中を教えた。誰が、よりにもよってカインの名を。だが今は問う暇もない。
「……そうか。そりゃ助かった……。でも俺は、まだおじさんって歳じゃ……」
そこまで言って、カインは気を失い、ネイトの上に覆いかぶさった。
「あぁ、なんてことだ!マリア、すぐにカインさんの止血を!」
「はい!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
高原から森へ数メートル。フルールが、ノワールを見下ろしていた。
「……まだ、立つのね。」
後ろ左足は炭と化し、立ち上がるのも難しい様子だ。それでも、フルールを見つけると立とうとして――その場に崩れ落ちる。
「……もう、終わりよ。」
短剣を抜き、魔力を込める。刃が緑に光る。切っ先を首筋へ。覚悟を決めたのか、ノワールは動かない。
「せめて、痛みのないように。」
フルールは力を込めて押し込んだ。返り血が、銀の髪を紅く染めていった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「おい!カイン!しっかりしろ!」
マリアの止血と、アリスのヒールを受けてなお、包帯に血が滲み続ける。
「くそ!なんでだ!」
「……呪い、かも。」
ステラが呟く。
「呪い?」
「確定じゃないけど。……あの瘴気。あれで呪いが付いてたのかも。だとしたら、早く聖堂へ運ばないと。」
「……どちらにせよ大怪我だ。治すには聖堂しかない。アリス、アクセラレーションをミーナとカインに。」
「分かりました。」
「ミーナ、今この場で一番速くカインを運べるのはお前だ。すぐ聖堂へ。治療を頼む。」
「えぇ、任せて。」
魔法をかけられたカインを担ぎ、ミーナが駆け出す。
「間に合えばいいが……」
「とりあえず、フルールさんは……」
「戦闘音がしないってことは、逃げられたか仕留めたかだ。フルールの向かったほうへ――」
「皆さん。お待たせしました。」
立ち上がろうとした悠仁の前に、森からフルールが現れた。美しい銀の髪が紅く濡れている。
「……フルール、ノワールは。」
「えぇ。ここに。」
後ろ手に引きずってきた骸を前へ出す。
「……やったか。」
「はい。最後は観念した様子でした。」
「おぉ……なんてことだ……」
バーグが骸を見て声を漏らす。
「まさに、半年前に現れた怪物と同じ……。あなた方のおかげで街は救われた。」
バーグが悠仁の手を取って感謝する。
「いえ……まぁ……」
――目の前で仲間の首を落とされたクランの者たちは、あの後、忽然と姿を消していた。
(さすがに、あんなものを見たら逃げたくもなるか……)
「……とりあえず、死体は回収するか。アリス、解体用のナイフで頼む。」
「わかりました。」
ナイフを突き立てると、ノワールの体は淡く光り、消えて、アイテムを残した。
巨体が消えた後の地面には、押し潰された草の形だけが残っていた。半年ごとに生まれ、街を脅かし、こうして消える。残された窪みを見下ろしても、憎しみはもう湧いてこなかった。ただ疲れと、生きて立っている実感だけがあった。
「全部回収しておきます。聖堂へ行きましょうか。」
「そうだな。……ちょっと、手を貸してくれ。」
「もちろんです。ステラさん、反対側を持ってもらっても?」
「……いいよ。」
今回のノワール討伐――街に被害は及ばなかったが、死者26名、負傷者多数の大惨事だった。
「ペインフルフレア」(魔法)
炎の精霊イフリートの力を借りる、炎属性4小節の魔法。高温の炎の壁で対象の逃げ場を奪い、上空から火球を落とす。ダメージ確定までが長く、対魔法の心得がある相手には防がれやすいが、決まればダメージは大きい。
「ノワール」(モンスター)
ウェイル領カプランド周辺に出現するエリアボス。1年半前から出現し、半年ごとにリポップする。森のワイルドウルフが変異したものと考えられているが、解明されていない。黒く艶のある体毛をまとい、魔法・物理の双方で攻撃する。俊敏性が非常に高く、物理攻撃は躱されやすい。ダメージを受けると第2形態へ移行し、背から影の触手を生やす。以前カプランドに出た際は発見が遅れ、完全覚醒状態で討伐が行われたため、森を守るエルフと住人の多くが死亡したと記録されている。




