エリアボス
――カプランドの大森林
森の中は、昼に入った時よりも湿っていた。葉擦れと遠くの虫の音だけが、辛うじて世界がまだ続いていることを教えてくれる。
「これじゃ、見つかるもんも見つからねぇぜ……。なんで夜なんだよ。」
カインがぼやく。確かに、あの巨体でもこの闇では見つけにくい。
「夜行性だからな。活動を始める前に叩く手筈らしい。住処が一切見つかってないから、今から捜索してたら覚醒に間に合わないんだと。」
「にしてもよぉ、これ、死亡リスクがビンビン上がってってる気がするんだが。」
「言いたいことは分かる。もしもの時は逃げよう。」
「ま、それしかねぇわな。」
軽口を叩きながらも、カインの背中は盾を前に構えて力みすぎない、隙のない姿勢を崩さない。人数が増えてから、こいつは少し変わった。対照的に、アリスは胸の前で杖を握り、やや硬い。
森に入って30分。突然――
「うわぁあああああああ! ……」
遠くで男の悲鳴が、途中で断ち切られた。続いて、ドゴォオオオン!ガギン!と戦闘の音。
「悠仁さん……!」
アリスが振り向く。
「……音のほうへ向かう。ただし、ノワール以外のモンスターもいる。警戒を切らすな。幸い、ノワールがいるせいで出しゃばる雑魚はいないようだが――油断はするな。」
頷きあい、カインを先頭に駆ける。重い打撃音。熾烈な戦い。自然と足が速くなる。
――その時。
(音が……消えた?)
近づいていたはずの戦闘音が、ふつりと途絶えた。
「……何も、聞こえませんね。」
フルールが警戒を解かずに呟く。
(勝鬨も、ない。まさか――)
「慎重に行く。カイン、頼む。」
「……おう。」
音のしていた前方、80メートルほど先。警戒しながら進むと、円形にひらけた何もない空間が見えた。
「……下がれ。」
カインが低い声で告げた。
「どうした。」
「みんなは後ろにいてくれ。顔を出すな。……すまねぇ、AliceちゃんとYujiだけ来てくれ。」
その声色だけで、嫌な予感がした。からからの喉を鳴らし、アリスの前へ出てカインの背を追う。
「「「……」」」
――それは、『惨劇』だった。
おそらく8人ほどいたのだろう。正確な人数は『分からない』。羽毛布団をぶちまけたように、ぼろぼろの衣服が散っている。肉と臓物が飛び散り、人の形を留めないものもある。腕は全員ぶんあるのか分からない。血だまりに浮かんだ顔は半分が失われ、誰かも判じがたい。
「……酷い……」
アリスが口を押さえ、えずく。悠仁がその背をさすった。
「Aliceちゃん、すまねぇが……助かりそうなやつは、いるか。」
アリスは惨劇へ足を踏み入れ、一人ずつ確かめていく。
「……もう、難しいです。今すぐ聖堂へ運んでも、息を吹き返すのは……」
苦い顔で目を逸らす。
「そうか。すまねぇな、専門外で……」
「いえ。大丈夫です。」
悠仁は、骸の収納を探る。
「何してんだ。」
「せめて、名前くらいはと思ってな。」
取り出したプレイヤーカード。
「……Nick、か。」
出発前、支部長の話を悠仁たちのすぐ前で聞いていた青年だった。カードの顔写真と目の前の亡骸は、もう比べようもない。
出発前、「お互い、生きて帰りましょうね」と真っ直ぐな目で言った、あの青年だった。カードの顔写真と目の前の亡骸は、もう比べようもない。
判別できる範囲でカードを集め、骸を並べ、上から布をかける。
カードの束は、掌の中で軽かった。ついさっきまで訓示を聞き、装備を確かめ、誰かと軽口を叩いていた人間たちの、それが残りの全部だった。掲示板の数字が今月いくつ増えるのかを、悠仁は考えないようにした。
「……とりあえず、これで――……?」
(何だ、この違和感――)
何かがおかしい。ミーナとフルールも察したらしい。フルールが、しきりに周囲へ視線を走らせる。
「何か……おかしくないか。」
悠仁が、ついに口にした。
「えぇ。何か、変よ……」
「静か……」
ステラが、違和感の正体を低く言い当てた。
(そうだ。静かすぎる。――さっきまでの鳥の声は?虫の音は?)
その瞬間、フルールが惨劇の場からばっとバックステップで距離をとった。
「みなさん!上!」
見上げる。並べた骸のすぐ真上、木の枝に――黒い塊が、陽炎のような瘴気をまとって佇んでいた。
それを認識した刹那、脳髄に氷水を流し込まれた。総毛立つ。呼吸が止まる。
「くそっ!全員逃げろ!7時の方向!高原まで走れ!」
弾かれたように全員が駆け出す。足が重い。息がすぐ切れる。それでも、カインは殿につく。
「カイン!無理するな、走れ!」
「こうでもしねぇと、集中して走れねぇんだよ!」
背後から追われている感覚は、錯覚ではない。
「フルール!来てるか!」
「ぴったり、付いてきてます!」
ハンターのパッシブ、気配感知。フルールの声が、確かな『死』の接近を告げる。
「まっすぐ走れ!振り向くな!」
蜘蛛の巣が顔にかかっても構うものか。止まれば瞬く間に追いつかれる。全員の脳裏で、さっきの惨劇がフラッシュバックする。
「風よ 彼の者達の背には重すぎるその荷を どうか一緒に背負ってあげて」
逃げながら、アリスが冷静に詠唱を結ぶ。
「アクセラレーション!」
全員の体が軽くなる。
「全員にかけたので、2分しか保ちません!」
「こりゃ助かる!さすがだぜ!」
全力疾走は、アスリートでも40秒が限界だ。それを2分。低酸素に視界が歪み、足の感覚が消え、口の中に血の味が広がる。
「出ます!」
フルールの声の先に光。出口だ。感覚のない足へ、最後の力を込める。
「うおぉ!」
出口の起伏に躓き、盛大に転んだ。森の湿気が消え、頭上で星が瞬いている。
(――感じてる場合じゃない!)
即座に戦闘態勢。振り返れば、すでにカインが盾と剣を構え、皆の前に立ちはだかっていた。
「悠仁さん!大丈夫ですか!」
「あぁ、躓いただけだ。……けど。」
逃げる気がないと悟ったのか、森からゆっくりと『死』が姿を現す。月光に照らされた黒い毛並み。前半身を返り血で赤く染めている。足元から立ち昇る瘴気は、伝え聞いた前回よりも明らかに濃い。額には、鈍く赤い角が生えかけていた。
「大将のお出ましだ……」
体には数本、矢が刺さっている。さっき喰われた冒険者たちが残した、抵抗の跡だ。
「事前の陣形を取れ!」
打ち合わせどおり、6人が形を作る。ノワールは距離を測っている。
(くそ……俺たちだけじゃ全滅する。他のクランに知らせないと――)
「接敵を他のクランに伝える!それまで耐えるぞ!カインは防御に徹しろ!ミーナとフルールはカインの援護!ステラも全力で援護を!」
指示を求めてアリスがこちらを見た。視線が合い、頷く。言わずとも最善を取れる――その確信を背に、悠仁は合図の詠唱に入る。
「炎よ……ファイヤーボール!」
夜空へ打ち上がった大きな火球。それが、戦端の合図となった。




