エルフの少女
――悠仁の職場
エルフの少女を保護した翌日、悠仁は変わらない日常の中にいた。つまり、仕事である。
「ったく!部下の教育もまともにできないのか!」
「申し訳ありません、私の責任です。」
課長が悠仁を叱責する。悠仁の部下がミスをしてしまい、その責を取らされている状態だ。
「私の方からしっかりと再教育をしておきますので、今回はどうか…」
「ふんっ、今日はお前の顔を立ててこのくらいにしておくが、次は覚悟しておけよ。」
(うるせぇな、このバーコード)
内心で悪態をつきながら席に戻る。
席に着くと、コピー機の熱と紙の匂いのするいつもの空気が肺に入ってくる。叱責などこの職場では天気のようなもので、頭を下げてやり過ごせば流れていく。それでも喉の奥に残る小さな苦味は、ゲームの中で浴びるどんな怒声とも質が違った。あちらの疲れは寝れば抜ける。こちらの疲れは、たまに寝ても抜けない。
「すみません、青木さん。」
ショートカットの女性が、申し訳なさそうに謝ってくる。
悠仁の部下の石橋 涼子だ。去年の4月から悠仁のいる部署に配属になり、悠仁が教育係をしている。先ほどの叱責は涼子のミスが原因である。取引先に間違った資料を提出してしまったのだ。
「ま、最終確認を確実に行わなかった俺の責任でもあるからな。それに、責任をとるのが責任者の仕事だから、気にしなくていい。」
「本当にすみません…」
ここまで深刻に謝られると、別に悪いことをしているわけでもないのに、こちらが申し訳ない気持ちになってくる。
「いや、本当に大丈夫だ。次からどうすればミスをしないか考えよう。」
「はい…」
解決策を探している間に、少しでも立ち直ってくれるといいのだが…
石橋は真面目すぎるきらいがある。ミスの大きさより先に、迷惑をかけた相手の顔を数えてしまう性分らしい。こういう手合いは叱るより、次の仕事で取り返す道筋を一緒に引いてやるのが一番早い。教育係を任されて1年、それくらいのことは分かるようになった。
(それよりも…)
部下のミスよりも、悠仁は昨日の少女のことが気になっていた。
悠仁がゲームを始めて約2年。プレイヤーと思しき人が倒れているところなんて見たことはないし、ましてや保護をしたことなんてない。
(あの子は大丈夫だろうか…)
そのまま起きて帰っているのならそれでよし。起きていなかったら、どうしようもない。
書類の数字を目で追っているはずが、気付けば思考は草原の草の高さのところへ戻っている。仕事中にゲームのことを考えるなど入社以来なかったことで、我ながら重症だと思う。ただ、あれをゲームのことと呼んでいいのかどうかは少し怪しい。倒れていたのは作り物の景色の中の、たぶん本物の誰かなのだ。
(受付の人にでも聞いてみるか)
「…あの、青木さん?」
「あぁ、悪い。」
ぼんやりしていたようだ。これじゃ俺の方がミスをしかねない。
(今日は早めに上がって様子を見に行くかな)
そう心に決め、悠仁は解決策を涼子と一緒に模索するのであった。
その後は課長の機嫌を損ねることもなく、定時を1時間ばかり過ぎたあたりで仕事を上がることが出来た。石橋は少し前に帰らせている。
「さて、と。とりあえずゲームに入ってみるかね。」
悠仁は仕事用の革鞄を引っさげて、いつもの雑居ビルへ向かい、いつもの物騒な入り口を通って中へ入る。
平日の夜の施設は、会社帰りらしいスーツ姿が目についた。鞄を提げたまま受付に並ぶ様子は、銀行のATMの列と見分けがつかない。この中の何人が、あちらで剣を振り杖を構えるのか。すれ違うだけでは誰にも分からない。
「お帰りなさいませ、青木様。現在ブースには空きがあるのですぐに利用できる状態です。」
「じゃあそうさせてもらおうかな。」
「ではこちらに腕を入れてください。」
腕を入れながら、ふと疑問に思ったことを受付嬢に聞いてみる。
「あの…」
「はい、なんでしょうか。」
「ゲーム内で目を覚まさなくなった人って、最長でどのくらい眠っているのですか?」
「そうですね、短いときでは一瞬ですが、長くとなると2週間くらいでしょうか。一番長い記録で1ヶ月くらいというのも報告されています。」
「そんなに長く眠っていることがあるんですね。」
「そうですね。長期気絶は、状態異常というより戦闘による心的外傷が主な原因となることが多いです。ポッドに入っていて、栄養失調で体調を崩す可能性のあるプレイヤーの方には、ポッド側から栄養補給がされます。あの青い液体のことですよ。」
(あの液体、栄養補給もできたのか…)
「なので、頻繁にログアウトができない地域で活動をしている方の栄養失調はめったに起きないのですが、筋力の低下までは対応できないので、ポッドから出る時に宇宙帰りの宇宙飛行士みたいになる方がいますね。」
さすがに1ヶ月も運動をしてなかったら、そうなるだろう。
「そうなんですね。すみません、お忙しい時に。」
「構いませんよ。では、地下の部屋へどうぞ。」
受付嬢は笑顔で答える。機械での認証が完了したため、悠仁は奥へ進み階段を降りる。
「2週間とか1ヶ月って相当だよな…。あの子もそんなことにならなければいいけど…」
自分がそうなったら…、身体的な問題というより、無断欠勤で社会的に死んでしまう。と考えるのは社会人の性だろうか。そんなことを考えながらポッドの中へ入り、いつもの手順を踏む。
「繋いでくれ。」
「了解しました、ではログイン準備を行います。落ち着いて呼吸をしてください。」
(ひとまず宿屋だな)
予定の再確認をしたところで、意識が途切れる。
「おかえりなさい、Yuji様。本日も良い冒険を。」
受付嬢から声をかけられ、ゲーム内に来たのだと認識する。
「あぁ、行ってくる。」
ゲーム内のNPCであると分かっていても、声をかけられるとつい返事をしてしまう。
軽く手を上げて反応を返しながら、悠仁は先日の宿屋へ向かう。
夕刻のヴァリエスタは家々の煙突から夕餉の煙が立ちのぼる時間で、大通りには焼けたパンと煮込みの匂いが漂っている。仕事終わりのプレイヤーたちが酒場へ吸い込まれていくのを横目に、悠仁は昨日と同じ道を辿った。たった一日で道順を覚えてしまうくらいには、あの少女のことが頭の隅に居座り続けていたらしい。
カランカラン
昨晩も聞いたカウベルを鳴らし、中へ入る。
「いらっしゃい。」
「昨日部屋を借りたものですが…」
「あぁ、覚えてるよ。」
「女の子の様子はどうですか?」
「様子も何も、ここは宿屋だ。中の人間が許可をしない限り誰も入れないぜ。ついでに言えば、背負われてた女の子もここには下りてきていない。」
宿屋では、借りた人間が許可した人物しか中に入ることはできない。それが宿屋の主人であってもだ。
「それもそうでしたね。じゃあ、ちょっと様子を見てきます。」
「問題だけは…」
「わかってますって!」
少し食い気味に返事をして、階段を昇っていく。
主人が見ていないということは、起きて階下へ降りていないということだ。
廊下を進み、部屋のドアを開ける。
「…」
昨日と何も変わらない部屋に響くのは、ドアを開けた音と、少女の寝息だ。
「…ま、そうだよな…」
ベッドに横になる少女の傍らに座り、顔を覗き込む。恐らく、まだ年端もゆかない子供だろう。どんな思いをしたのか。受付嬢の台詞を思い出しながら考える。
部屋は静かで、窓の外から市場の遠いざわめきと荷車の音が薄く届いてくる。少女の眠りは浅いのか、時折睫毛がかすかに震えた。戦闘による心的外傷。受付嬢はそう言っていた。この幼い顔の持ち主が草原で一人で倒れるまでに何があったのか、想像しようとして、材料が何一つないことに気付く。
「何事もなく目を覚ましてくれればいいのだが…」
少女の髪に手を伸ばし、髪の柔らかさを感じる。
「…んっ」
「…お?」
少し反応が見られた。
「君、大丈夫か、聞こえるか?」
「んん…」
呼びかけを続けると、外的刺激を鬱陶しがるように瞼が上がっていく。
「よかった、目が覚めたかい?」
「……ここは?」
鈴の音のようにきれいだが、消え入りそうな声で返事をする。
「ここはヴァリエスタの宿屋だ。草原に倒れていた君を見つけて、運んできたんだ。」
「……そうだったんですね。」
「目が覚めてよかった。水でも持ってくるよ、ちょっと待っててくれ。」
「……はい。」
少女に背を向けドアへ向かう、その時。
「風よ 彼のものの自由を その力で縛り給え」
(は?詠唱?)
気付いたときには手足の自由を奪われ、古びた木の床とキスをしている状態だ。
「…は?え?なに?」
事態が飲み込めない悠仁は、間抜けな声を床に投げかける。
「…あなた、一体何者ですか?」
悠仁の後ろから、少女のものと思われる声が投げかけられる。
「いや、何者って…」
助けた後の仕打ちがこんなのか、と思いつつ、少女に今までのいきさつを、地面に突っ伏しながら話した。
「…確かにつじつまは合いますが、見ず知らずの私に部屋まで借りるなんて、ただの通りすがりの人がするとは思えません…。」
「いや、さすがに女の子を道端に置き去りにするわけにはいかんだろ…」
「…何か下心が……う…」
少女がよろめくと同時に、拘束が緩む。
「ほら、いわんこっちゃない。まだ病み上がりなんだ、横になっていろ。」
「上から…物を言わないでください…」
体調が悪いはずなのに、強い視線でこちらを睨みつける。
「はいはい、それはわるぅござんした。寝ていただけますか?お嬢様。」
「………」
少女は悠仁に促され、ベッドに横になる。
「ほら、水をもらってくるから寝てな。」
「…」
悠仁は少女を背にして階下へ降りる。
(にしても、魔法を使うことは分かっていたが、3小節の魔法が使えるのか…)
魔法の詠唱は、唱える際小節に分かれている。小節が増えるごとに強力な魔法を行使することが出来るが、使う魔力の量も膨大になっていく。悠仁に使えるのは、1小節の魔法までだ。
カウンターで状況を伝えて水をもらう。
階下の酒場はちょうど夕食時の賑わいで、湯気の立つ鍋の匂いが階段の下まで満ちていた。木の盆に載せたコップの水が、段を上がるたびに小さく揺れる。こぼさないように運ぶ、ただそれだけのことが、なぜだか妙に大事な仕事のように思えた。
再び部屋に戻ると、彼女はおとなしくベッドに横になっていた。
「ほら、水だ。ゆっくり飲みな。」
「…ありがとうございます。」
鳥が餌を啄ばむように少量の水を口に含んで、コップを下ろす。
水の飲み方一つにも、育ちの良さのようなものが滲んでいる。両手でコップを持ち、音を立てず、飲み終えてから小さく息をつく。警戒の解け方はまだ半分といったところだが、それでいいと悠仁は思う。見ず知らずの男を疑うのは正しい。むしろあの拘束魔法の的確さに、この子が一人でここまで旅をしてきた時間の長さが見えた気がした。
「…あの、先ほどは失礼しました。もしあなたの話が本当なら、とんでもない非礼をしてしまいました。本当にすみません…。」
(なんだ、しっかり謝れるいい子じゃないか)
「いや、いいさ。何があったかはわからないが、目が覚めたら男が自分に手を伸ばしてたら警戒するよな。俺の配慮が足りなかったんだ。お互い様ってことにしておこう。」
「そういっていただけると助かります…」
「さて、落ち着いたところで自己紹介だ。俺はYuji、見て分かると思うがメイジだ。」
「私は…その…」
少女が俯いて言いよどむ。
「いや、言いたくないなら無理に言わなくていい。」
「いえ、私はAliceといいます。クレリックです。」
(この子、クレリックだったのか)
クレリックは、主に回復を中心としたパーティーの補助を行う職業だ。高位のクレリックになると、手足の欠損を直せるレベルの回復魔法が使えると聞く。
「そうか。一応これが俺のプレイヤーカードだ、もらっといてくれ。」
「…はい、わかりました。」
カバンから名刺大の紙を少女へ渡す。
プレイヤーカードというのは、そのプレイヤーの情報が記載されているプロフィールのようなものだ。名前を始め、レベル、職業、顔写真まで載っている。これらは自動更新となっており、プレイヤーの情報が更新されればカード側でも情報が更新される。プレイヤーが許可をしていれば、プレイヤーの場所も表示させることが出来る。
「…これ、私のです…」
少女からもプレイヤーカードを受け取る。
(なるほど、名前は偽名じゃなかったのか。レベルは、と……!?!?)
「に、21!?」
あまりの驚きに大声を出してしまった。
ちなみに悠仁とカインは、やっと10に差し掛かったところだ。あと少しでビギナーと言われなくなるくらいだが、少女のレベルはその倍以上である。
少女が突然の大声に、ややおびえながらこちらを見ている。
「あ、あぁすまない。レベルが想像とずいぶん離れていたから、驚いてしまっただけだよ。20を超えたなんていったら、もうこの街を出て次の拠点に移っているレベルじゃないか。なぜこんな初心者の街に?」
「そ、それは…」
またもや少女は言いよどむ。
「いや、無理に聞いているわけじゃないから、話さなくてもいいんだよ。」
「いえ、助けてくださったあなたには聞く権利があります…けど、その…」
そういうと、彼女は俯いて唇を噛み締めてしまった。
「君の心に余裕ができたらでいいさ。そうしたら聞かせてくれればいい。」
「すみません、ありがとうございます…」
こちらに視線を合わせないままの彼女に、こちらから話題を投げかける。
「そうだ、俺はいつも二人でパーティーを組んでるんだけど、そいつと一緒にここへ君を運んだんだ。よかったら、そいつに君を紹介していいかな。」
なるべく前向きに話を進める。
「え…その…名前だけ聞いていいですか…」
「?いいけど、カインっていうんだ。俺と1年半くらい前からパーティーを組んでるんだ。パーティーって言っても、俺とカインの二人だけだけどな。」
カインの名を伝えると、ほっとしたように胸に手を当てた。
「大丈夫です。お礼も言いたいので、紹介くらいなら…」
「そうか。じゃあ俺はカインに連絡してくるよ。しばらく待っててくれ。」
部屋を出る時に一度だけ振り返ると、Aliceはプレイヤーカードを両手で持ったまま、じっと文字を目で追っていた。名刺ほどの紙切れ一枚でも、信用の置き場所というのは案外そういう小さなものから始まるのかもしれない。階段を降りる悠仁の足は、来た時より少しだけ軽かった。
ゲームの世界から、現実世界の携帯電話は鳴らせない。悠仁はいったんログアウトをするために聖堂へ向かった。
詠唱(行動)
魔法の発動に必要不可欠のもので小節に分かれており、唱え終わると魔法が発動する。本人の意識を具現化するのが目的の大部分なので、決まった内容は存在せず、個々人によって詠唱内容は異なる。小節が増えるごとに言葉に込められる魔力は増加していくが、使う魔力は指数関数的に増大してしまうため、小節が増える強大な魔法は高位の魔法使いしか使うことができない。
装備によって詠唱に使用する魔力が軽減されたり、短い言葉で詠唱を完了させ短時間で魔法を発動できたりする。
プレイヤーカード(道具)
プレイヤーが持っているカード。必ず収納に入っており、無限に取り出すことが出来る。プレイヤーの個人情報が記載されており、プレイヤーの許可によってはログイン状態や現在位置を表示することも可能である。プレイヤーの現在の状態と連動しており、レベルの上昇や現在位置の更新などがあればプレイヤーカード側でも自動的に更新される。フレンドとのメッセージ機能など、手紙や書置きを除き存在しないため、重要なコミュニケーション手段として使われている。




