保護
――ヴァリエスタ 入り口
「何とか街についたのはいいけどよぉ…」
カインは、顔面蒼白で汗を滝のように流している悠仁に顔を向ける。
「めっちゃ注目されてんぞ、お前。」
男が幼顔のエルフを背負って街に入ってきたのである。注目を浴びないはずがない。
夕暮れの門前は仕事上がりの冒険者と店じまいを始めた行商人で混み合っていて、その流れが悠仁の周りだけ緩やかに割れていく。露店の呼び込みの声が一瞬途切れ、すれ違う誰かのひそひそ声が耳をかすめた。弁解して回るわけにもいかず、悠仁は視線を前に固定して、背中の少女の呼吸の数だけを数えるように歩く。
「ゼェ…ゼェ…とりあえず……一番…近い…」
「はいはい、んじゃいつものところでいいな。じゃああそこだ。」
交差点にある酒場を指差す。
「でもまぁ、良く一人で運んでこられたな。」
「お…前に…は…」
「あぁ、はいはい。じゃあいくぞー。」
この期に及んで警戒をする悠仁を軽くあしらい、そそくさと酒場へ進んでいくカインを、後ろからよたよたと追っていく。
日はもうほとんど落ちていて、街灯に火を入れて回る点灯夫が、長い棒を担いで通りの向こうを歩いていた。1時間あまり背負い続けた腕はとうに感覚が薄れ、少女の重みが体の一部のようになっている。ここまで来ればもう大丈夫だと思った途端に、膝から力が抜けそうになった。
カランカラン♪
陽気なカウベルの音とともに扉を開く。
「あのー、休憩をしたいんだけどー。」
カウンターにいる店主と思しき男性に声をかける。
笑顔をこちらに向けた店主だったが、後ろの悠仁を見ると、怪訝そうな顔に変わった。
「…お前ら…問題はごめんだからな…。」
「いやいや、そうじゃないですって!」
「問題さえ起こさなければ、客だからな。3人部屋、休憩で1銀貨と50銅貨だ。」
「じゃあこれで。」
手が離せない悠仁の代わりに、カインが支払いを行う。
「…確かに。部屋は奥から2番目の左だよ。くれぐれも問題は起こさないでくれよ。」
「わかってますって。ほらYuji、あと少しだぞ。」
返事をする余裕もない悠仁は、老犬のようにカインの後ろをついていく。
部屋に着き、少女をベッドに横たえると、地面に大の字で倒れ込む。
「おいおい、大丈夫か?どうでもいい意地張るからだぜ。」
「うるせぇ…それより女の子の様子はどうだ…?」
「ん?あぁ、顔色があまり優れないな。外傷はないようだが…」
この世界で意識を失う原因はいくつかある。
一つは極度の疲労だ。肉体を実際に動かしてはいないが、脳は常に稼動している。その為このゲームに長時間ログインをしていると、脳が疲労し活動を休止してしまうのだ。戦闘中に起こる事例もあるらしく、体調管理には注意が必要になる。
他にも極度のストレス、恐怖などがある。現実世界の気絶に近い。単純に身の危険を感じて意識を断ってしまうのだ。これが、プレイヤー死亡の大多数を占める原因である。特にソロプレイヤーがこれで死亡する例は後を絶たないようだ。最後は状態異常だ。薬品や魔法によって眠らされていることがある。魔法の強度や薬品の種類、強さによるが、いつ目を覚ますかわからない。
三つのどれなのかは、素人には見分けがつかない。ただ、少女の顔色は蝋のように白いのに、呼吸だけは規則正しかった。体は無事で、それ以外の何かが疲れ果てている。そんな寝顔だった。
(クレリックの使える魔法の中に、状態異常を調べるものがあると聞いているが…)
悠仁もメイジという職業なので魔法が使えるが、回復魔法に関してはさっぱりである。
「まぁクレリックを呼ぶ金もツテもないし、休憩して起きなかったら3日分くらいの料金を払ってあげて、俺たちは上がろう。」
「いつまでも付いてるわけにもいかんしな。俺もそれでいいと思うぜ。」
(カインがまともに心配している。さっきからちょっと言い過ぎたか…)
「でも、このおっぱいが拝めなくなると思うと残念だ…」
(前言撤回、やっぱり俺一人で運んで正解だった)
「えっと、いま何時だ?」
「ちょっと店長に聞いてくるわ。」
カインが部屋を出て行き、階下に下りていく音が聞こえる。
悠仁はやっとこさ起き上がり、ベッドで横たわる少女を眺める。
(確かに、おっぱいは…。っていかんいかん、これじゃカインと同じじゃないか!)
邪念を振り払い、観察をする。
ブロンドの長髪に、先の尖っている耳。典型的なエルフだ。神官服を身につけていることから、魔法職であることが伺える。身長は150前半といったところか。カインの言っていた通り、外傷らしきものは見当たらない。規則的に胸が上下していることから、とりあえず生きていることは分かる。
だが、結局はそこまでしか分からない。悠仁もカインも専門ではないので、これが限界だ。
程なくして、カインが帰って来る。
「もう11時半だとよ。明日もあるし、そろそろ上がらんとな。」
悠仁もカインも仕事がある。生活を考えると、そろそろ落ちて帰宅しなければならない。
部屋を出る前に、悠仁はもう一度だけ少女の寝息を確かめた。規則的で、浅い。それ以上のことは何も分からないままだが、分からないなりに、できることは全部やったはずだった。
「そうか。じゃあ心残りではあるけど、ここならとりあえず安全だし、俺たちはいったん引き上げよう。」
二人は店主に事情を話し、少女の分の宿泊料を肩代わりして店を出た。
勘定を済ませてみれば、今日の稼ぎは牙と爪の売値を見込んでもほとんど残らない計算になる。ワイルドウルフ3頭分の働きが、見ず知らずの少女の宿代に化けたわけだ。それなのに、財布の軽さの割に後悔という感じがしないのが自分でも不思議だった。振り返ると宿の2階の窓に、小さな灯りがともっているのが見えた。
「俺たち、金もないのにお人よしだよなぁ…」
カインがぼやく。
「さすがに大人が女の子を道端に放置していくわけにいかんだろ、社会倫理的に…」
この世界では、キャラクタークリエイト時に多少外見をいじることはできるが、性別を変えることは出来ない。よって、あの子が女の子であることは確定である。加えて外見も大きく手を加えることはできないので、身長を何センチも伸ばすことはできないのである。
(何で知ってるかって、試したからな…)
悠仁の身長は173cmで、もう少し背が高いほうがいいと思い身長を操作しようとして、制限がかかったのだ。恥ずかしいので思い出したくない過去である。
二人はログアウトのために大聖堂に向かう。日はすっかり落ちかけており、街はオレンジ色の街灯に照らされ、やさしい光を放っている。
大通りを抜け、大聖堂へ繋がっている階段を上がって、施設に入る。
「お帰りなさいませ、Yuji様。どういった御用向きでしょうか。」
「ログアウトをしたいんだ。こっちのカインも同じだ。」
「畏まりました、ではポッドの中にお入りください。」
手で、後ろの方にあるポッドへ促される。
「じゃあまた明日な、カイン。」
「おう、お互いがんばろうな。」
ひらひらと手を振り、ポッドへ入り込む。
さて、ここから出たら家に帰って、寝て、朝には仕事だ。
少し憂鬱になりながら目を閉じると、意識が遠のいていく。
感覚では、数瞬。閉じていた目を開くと、ゲームに入る前の視界に戻る。
「開いてくれ。」
ポッドに向かって声をかける。
「畏まりました。ログアウト直後は平衡感覚がずれている場合がありますので、足元にご注意ください。」
定型文が流れ、ポッドの蓋が開く。
問題はなさそうだ。ポッドを出て1階へ上がる。
「お疲れ様でした。青木様。」
受付から声がかけられる。この人はいつまで働いてるんだ。少し恐怖を感じる光景でもある。
「では、こちらに手を入れていただけますか?」
入室時にも通した機械に手を入れる。
「換金の登録が為されていませんが、お間違いはないですか?」
「はい、間違いありません。」
ゲーム内マネーの換金は、ゲーム内の大聖堂や専用施設で換金手続きをしてから、現実世界で受け取る。銀行振り込みも可能だ。
「では、これで完了になります。お疲れ様でした。またのご利用をお待ちしております。」
受付嬢に見送られ、ビルを出る。
左右には、黒服が来たときと同じ姿勢で仁王立ちしている。この人たちも、いつ休んでいるのか疑問である。
路地を抜けると、夜の繁華街の音が一度に戻ってくる。車の排気と居酒屋の換気扇、コンビニの白い灯り。ついさっきまで石畳の街で剣と魔法に囲まれていた人間を、現実は何の段差もなく飲み込んでいく。この落差にももう慣れた。慣れたが、たまに夜風の中でふと足が止まりそうになる瞬間がある。
そんなことを思いながら帰路に着く。
「さむ…」
春の夜は寒い。
(あの子、大丈夫かな…)
心の片隅に、喉に引っかかった魚の骨のように、少女のことが気になってしまう。
(気にしても仕方ない。明日また見に行けばいいか。それより…寒い…)
悠仁は寒さと心配を振り払うように、自宅への足を速めた。
エルフ(種族)
髪色は様々だが、耳の先端が尖っているのが特徴である。森の中で生活しているというのが設定で、実際にNPCのエルフの多くは森の中で生活をしている。プレイヤーはキャラクターメイキング時に種族として選択することが出来る。魔法職が適正であり、他種族よりもマナ保有量や、魔法力にボーナスがつく。逆に筋力にはペナルティがあり、大剣や斧を扱うような近接職には不向きである。
宿屋(施設)
街に点在している施設、中で休息をとることができる。1階部分が酒場になっているケースが多い。部屋に泊まって休息をとっても特に休息ボーナスが付くわけではないが、許可されたプレイヤーしか中に入ることが出来ないため安全に休むことが出来る。小さな拠点では宿屋がログイン、ログアウト施設を兼ねていることがあるが、換金処理や状態異常の回復などは行えない。




