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不覚

――アルテミラの森 外縁部


悠仁とカインは、ここまで来た道を引き返す。あくまでゆっくりだ。森の中で大きな音を立てて、モンスターを刺激したくない。


「Yuji、これ薬草じゃないか?」


木の根元に生えている緑色の草を指差し、悠仁に判断を仰ぐ。


「あぁ、これは恐らくそうだろうな。採集しておいてくれ。」


「あいよ、これで4つ目だな。」


「あぁ、ポーション作成師に売れば、今日のポーション代くらいにはなるだろうな。」


生産系スキル特化の冒険者は、戦闘系スキルを上げていなかったりレベルを上げていなかったりするため、素材の収集を依頼することも珍しくない。


「そうなるといいな。…にしても、スリルがあっていいんだが、怪我のシステムだけは怖いな。」


ぽつりとカインが零す。腕の傷はポーションで塞がったが、鎧の隙間にはまだ乾いた血がこびりついている。


怪我のシステム。それはこのゲームの、一番の旨味と一番の問題が背中合わせになっている場所だ。


フルダイブ型大規模MMORPG「HOPE」。大きなリスクを支払うことで巨万の富を得ることができる――それがこのゲームの謳い文句だ。金銭については大きく取り上げられている通り、ゲーム内マネーは現実の通貨に換金できる。その逆を行うことはできないが…。うまく稼げれば小遣いに、本格的に稼げれば生活費だって賄える。換金額のランカーレベルになると、その辺のサラリーマンの年収を月当たりで稼ぎ出す。

そんな美味しい話が、何のリスクも無く通るわけがない。このゲームには大問題がある。それは…


ゲーム内での身体状態が、現実世界にも影響する、という点である。


ただし、ゲーム内の身体状態が現実世界の身体に写し取られるのは、ログアウトを行った時だ。つまり、ゲーム内の傷をゲーム内で治すことが出来れば問題はない。だが、そのまま現実世界に戻ると大変なことになる。

手足が欠損した状態で戻れば、現実世界でも手足が欠損した状態で覚醒する。そこには何の補填もなく、誰も保障してくれない。完全に自己責任なのである。


手足の欠損レベルになると、ランカーレベルのスキルを持ったクレリックに治療をしてもらうか、聖堂での治療が必要になるが、どちらも費用は非常に高額である。営利目的ではなく、単純に、使用する消耗品が高レアの物だからだ。そういったアイテムは流通量が極端に少ない上に、大規模クランで戦闘を行ってやっと入手できるレベルである。そして、それは自身の保険にもなるため、誰も放出したがらないのだ。


そして――ゲーム内での死亡は、そのまま現実世界での死を意味する。


1ヶ月に死亡したプレイヤーの数は、聖堂にある掲示板で公開されている。今月はまだ始まったばかりにも関わらず、既に30人近かったはずだ。悠仁はあの掲示板の前を通るたび、数字を見る。見たくて見ているわけではない。ただ、見ずにいられるほど、まだこの世界に慣れてはいない。


掲示板に並ぶのはただの数字で、名前は書かれていない。けれどその一人一人に、どこかの街に行きつけの酒場があり、いつもの席があり、注文を覚えているウェイトレスがいたはずなのだ。数字が一つ増えるたびに、どこかの席が一つ空く。そういう想像を悠仁は掲示板の前でだけ、ほんの数秒だけすることにしている。数秒以上やると、この世界で杖を握れなくなる。


ALGOが何の目的でこのような設定とシステムにしたのかは、一切明らかにされていない。現実世界からの転送装置自体が完全なブラックボックスになっており、どんな技術者も手を出すことができないため、セーフティをかけることも出来ていないのが現状である。加えてALGOは各国の政府に多額の税金を納めており、公的な対応はおざなりになっている。

それでもプレイヤー数が増え続けているのは、皆、生を実感できない生活を送っていることの裏返しなのだろうか…。


よって、この世界の装備品や回復アイテムなどは非常に細かく価値が設定されており、死亡寸前の者を死の淵から救い上げるようなアイテムも存在するというが、悠仁達はまだ見たことはおろか、噂でしか聞いたことがない。つまり、死にたくなければ、身体状況には細心の注意を払う必要があるのだ。


前を歩くカインの背中は大きい。この2年、悠仁はその背中の後ろで魔法を撃ってきた。考えまいとしても、たまに想像だけが先回りをする。この背中がある日ログインしてこなかったら、自分はそれをどうやって知るのだろう。プレイヤーカードの表示が消えるのか、それとも何も知らされないまま酒場で待ちぼうけを食うのか。想像はいつも、そこで打ち切ることにしている。


「あぁ、そうだな。だからお前も気をつけてくれよ。体力と筋力に物を言わせるのはいいが、いつもヒヤヒヤしてるんだからな。」


「これ以上お前の心労を増やさないために努力するよ。」


採集を行いながら歩いていると、あっという間に草原が見えてきた。森とは違う爽やかに流れる空気に、なんともいえない安心感を味わう。


肩から提げた袋の底では、摘んだばかりの薬草が4束、青い匂いを立てている。売ればいくらにもならない量だが、自分の手で摘んで持ち帰るものには、稼ぎの額とは別の満足があった。木漏れ日の森を抜けた途端に空が広くなり、二人の歩幅は自然と大きくなる。


「今日もなんとかなったな。」


「助かったぜ、参謀さんよ。」


「それで、これからが問題なんだよなぁ…」


悠仁は前を見据える。青々とした草が生い茂る草原に、線を引いたかのように道が延々と続いている。これを歩いていけば、霞んで見えるヴァリエスタに辿り着くことができるだろう。


「まぁ、ここから街まで1時間以上はかかるだろうな。」


「うへぇ…」


カインは見るからにだるそうな返事を返してくる。


「仕方ない、俺だって面倒さ。警戒しながら戻ろう。」


「ここで寝るわけにもいかねぇし、しゃーねぇか。」


土の割合がやや多い、それでも舗装されている砂利道を歩き出す。


「そういや、Yuji。お前明日仕事は?」


「あるに決まってるだろ、平日だぞ。」


「ま、そうだよな。俺もなんだけど。」


カインと悠仁は、どちらも社会人だ。悠仁が28歳ということを伝えたときには『あぁ、同年代か』と言っていたので、年齢は一緒か、違ってもさほど離れていないだろう。

上司がうるさいやつだの、面倒なお局がいるだの、お互いの仕事の愚痴を言いながら来た道を引き返す。


不思議なもので、剣と魔法の世界のど真ん中で聞く課長の悪口は、現実で聞くより二回りほど軽くて可笑しい。草原の風に混ぜてしまえば、たいていの鬱憤はただの笑い話になる。月額10万を払って手に入れているものの半分は、案外こういう時間なのかもしれなかった。


その時。


ガササッ!ドサッ!


草原の草が音を立てる。

アルテミラ草原の草は、一般男性の背丈よりは低いが、それなりの高さがある。モンスターが隠れていてもおかしくない。


完全に不注意だった。音の発生源は、二人にかなり近い位置だ。カインと悠仁は武器を取り出し、音のした方に視線を向ける。


息を呑む。


低レベルのモンスターである可能性が高いが、例外も存在する。ここまで音を殺して接近できるモンスターなら、高レベルであることも予想できる。対してこちらは――もう2年もプレイしているが――新米冒険者2人。


(くそっ、もっと周りに気を配っていれば…!)


自分の不注意に唇を噛む。いや、後悔と反省は生きて帰れたときにすればいい。後悔の念を振り払い、カインと共に草むらを睨み続ける。


隣のカインは剣を半身に構えたまま、じりじりと立ち位置を悠仁の前へずらしていく。何も言わずに盾になる位置を取るのは癖のようなもので、本人はたぶん気付いてもいない。


(いつだ、いつくる…)


汗が頬を伝う。杖を握る手が震え、感覚がなくなってくる。鼓動がうるさい。呼吸が荒くなってきた。汗が目に入りそうになる。


さっき見たばかりの掲示板の数字が、ちらりと頭をよぎった。


(集中しろ、死ぬぞ)


そう自分に言い聞かせ体勢を維持するが、何かがおかしい。いつになっても、襲ってこないのだ。


風が草を撫でる音だけが続いている。構えたままの腕が重くなり、緊張は薄れないまま質だけが変わっていく。獲物を前にした静けさではなく、誰もいない部屋に呼びかけてしまった後のような、間の抜けた静けさだった。


悠仁の前に躍り出ていたカインも不思議に思ったのか、草むらを睨みつけていた目をこちらに向ける。


「……なぁ、確かに聞こえたよな?」


「あ、あぁ、聞こえたな。」


カインは構えを解いて、剣先で草を掻き分ける。

すると、その場に似つかわしくないものが見えてくる。


「……女?」


長いブロンドヘアーに、先の尖った耳。これは。


「エルフか?」


見るからにエルフの風体だ。


(これが音の発生源か…?)


「倒れているけど、これ死んでないよな…?」


「見てみるか…」


悠仁が、音の発生源と思しきエルフに近づく。血の気のない顔をしているが、呼吸に合わせて胸が上下している。


「…胸、意外とでかいな…。」


後ろで見ているカインが呟く。いつもなら突っ込んでいるところだが、今はそれどころではない。


「生きているみたいだ。ここに放置するわけにもいかないし、街まで連れて帰るぞ。」


「モンスターの死体を運ぶのが大変ってことで諦めたのに、結局運ぶのか…。まぁいいさ、こっちに渡せよ。背負ってくから。」


「断る。」


「は?なんでだよ。」


「女といえばすぐに胸に視線のいくお前に、任せるわけにいくか。」


「はいはい、Yuji様は聖人でいらっしゃいますねー。」


NPCかプレイヤーか分からないが、こいつに任せるのはまずい気がする。悠仁はエルフの少女を背負い、道に上がる。


背負ってみると、少女は驚くほど軽かった。それでも背中に伝わる体温と耳元で続く浅い呼吸は、間違いなく生きている人間のものだった。データの塊だとか電気信号だとか、そういう理屈はこの重さの前ではあまり意味を持たない。落とさないように、揺らさないように、悠仁は一歩ずつ足の置き場を選んで歩き出す。街までは1時間以上ある。


「本当に大丈夫か?」


「大丈夫だよ、ほら行くぞ。」


少しまじめな顔で心配してくるカインに、軽く返す。

ヘトヘトに疲れる未来が容易に想像できるが、仕方ない。二人は、はるか遠くに見えるヴァリエスタに向かって進み出した。

「アルテミラ草原」(地名)

始まりの街ヴァリエスタ近郊に存在する草原。起伏の少ない大地に男性の胸の高さほどの草が一面に広がっている。気温が下がる時期になると草は枯れ、見通しが良くなる。生息しているのは、敵対的ではない小動物や、野犬程度である。街から離れた位置にはアルテミラの森が存在しており、ワイルドウルフの住処になっている。最深部には群れのボスがいると言われているが、ボスが討伐できるレベルになる頃には、次の街へ拠点を移していることが多いので、いまだに討伐が為されていないという噂がある。豊かな緑に包まれており、低級ポーションの材料程度であればそろえることが出来るとされている。

簡単というレッテルに惑わされ、単独で進行し、命を落とす初心者が後を絶たないため、組合や酒場では注意喚起がされている。


「ポーション」(消費アイテム)

小瓶に入っている液体状のアイテム。効果は多岐に渡り、ライフポイント、マナの回復を主目的とし、一時的な身体能力の向上ができるものもある。低級のものであれば街でNPCから購入することが出来るが、指向性を持たせたもの、中級からの物はプレイヤーメイドであることが多い。ポーション作成師のスキルを持っていれば作成することができる。上位のものはある種の芸術的作品として考えるプレイヤーも多く、上級ポーションの小瓶は装飾が華美であることが特徴である。

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