約束
――大聖堂
「すみません、治療をお願いしたいのですが…」
悠仁は受付嬢に声をかける。
「分かりました。では傷の診断と査定をしますので、あちらにお進みください。」
悠仁達は大聖堂の中にある部屋に通される。部屋の中では、Aliceが着ているような神官服を着たNPCが治療をしていた。
治療室は薬草を煮出したような匂いと、香の細い煙で満ちていた。奥の寝台では包帯だらけの冒険者が眠っていて、その傍らで神官が静かに祈りを唱えている。ここは教会というより、戦場のすぐ隣の病院なのだと思い知らされる眺めだった。
「すみません、私達4人の治療をしたいのですが、いいですか?」
「なるほど、ではこちらにいらしてください。」
神官服を着ていた人物に、椅子へ誘導される。
「そうですね、ええと。そこの戦士さんは骨が折れてますね。特に背骨にヒビが入っているのが痛いです。ここまで、痛かったでしょう。」
「おいカイン、本当か?」
「ははは、まぁ…」
悠仁は頭を抱える。
「そこのネコ耳のお嬢さんは肩の裂傷ですね。これはまぁ大丈夫ですが、筋肉まで達してますね。」
「傷とかって、残るんでしょうか…?」
「いえ、ここで治してしまえば傷は残らないでしょう。」
「よかったぁ…」
確かに、傷跡は女性にとって大事なことだからな。
「そして、そこの神官のお嬢さんは、魔力切れと擦過傷と切り傷。良いマナポーションを飲んで少し回復すれば、すぐ治りますね。」
「そうですか、なら私は心配ないですね。」
「そして、そこのローブのお兄さんですが…」
「ど、どうでしょうか…?」
「眼球に通っている血管の多くが切れていますね。これは視力がないレベルでしょう。視力を戻すレベルにすると…かなり金額が上がりますね…。裂傷などではなく、眼球の中を怪我する冒険者さんは見たことが無いですが…」
「ははは…でしょうね…」
「お兄さんの眼は少々お高くなりますが…金貨55枚ですね。視力に関わる怪我なので、高額になります。」
「結構しますね…。他の3人はどうでしょうか?」
「他の3人は、合わせて金貨8枚程度でしょう。」
(となると、革袋の中の金貨だけで足りそうだ。)
悠仁はほっと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、お願いします。」
「わかりました。では…」
神官は聖水を3人に振り掛けて、祈りを捧げる。すると3人の体に、天窓から光が差す。傷口が金の光に包まれて、みるみる怪我が塞がっていく。
祈りの声は静かで、詠唱というより子守唄に近い抑揚だった。金の光が引いた後の皮膚には、傷の痕跡ひとつ残っていない。金貨8枚。安いのか高いのか、命の値段の隣に並べてしまうと、もう分からなかった。
「おぉ…これは…」
カインが呟く。
「すごいわね。聖堂で治してもらうほどの怪我したのは初めてだけど、すぐに治るのね。」
ミーナも傷の治りに驚いているようだ。
「メイジのお兄さんは、こちらへどうぞ。」
そういって神官の1人は、悠仁を隣のベッドへ促して寝かせる。
「お兄さんは、あちらの方々に使った聖水よりも高位のものを使用しないと治すことができないので…」
そういって、その神官の侍女と思われる人物が、綺麗な細工の施された小瓶を持って来た。中に入っている液体はごく少量で、外観だけでも高価なものであると推測できる。
「では、眼を開けて待っていてください。痛みはありません。聖水をかけ終わったら眼を閉じて、しばらくじっとしていてください。」
そういって、神官が悠仁の眼に聖水をかける。目薬とはまた違う感覚で、温かいもので眼球全体を包まれているような、そんな感覚が伝わってくる。
「神よ、この者の傷を、どうかその慈悲深き御心で癒し給え…」
神官が手を組み祈りを捧げると、悠仁の体が光に包まれる。まるで宙に浮いているような感覚に陥る。
「…これで終了です。何か具合が悪いところはありませんか?」
「Yujiさん、どうですか?」
「おう…」
瞼を開けるのが少し怖い。これで視力が戻っていなければ…そんな感情が渦巻くが、治っているかもという期待を胸に瞼を開ける。そこには、Aliceの心配そうな顔が見えた。
両目で見る世界は、輪郭の一本一本まで鮮やかだった。半日ほど失っていただけの視界が、これほどありがたい。悠仁は瞬きを二度、三度として、遠近の戻った部屋の景色を確かめた。
「み、見える…。大丈夫だ。」
「よ…」
「よ?」
「「「よかったぁああああ……」」」
3人は安堵の声をだす。
「メイジのお兄さん、眼はどうですか?」
神官服の女性が声をかけてくる。
「大丈夫です。少しゴロゴロする感じがしますが、視力に異常は無いみたいです。」
「そうですか、それならよかったです。向こうに戻っても何か異常がありましたら、病院へ行ってくださいね。」
「何も異常がなくてもYujiさんは病院へ行くんですよ!いいですね!」
「わ、わかったよ…」
「何か心配ですね…」
「ま、YujiのことはAliceちゃんに任せて、俺は上がるかな。」
「そうね、Aliceに任せておけば問題ないわね。私もあがろっと。」
「あ、おい!」
悠仁の声かけも空しく、二人は部屋から出てドアを閉める。
「ったく…。ごめんなAlice、もうこんな時間だし、Aliceも上がりたかっただろ…。」
「……。」
「Alice…?」
「その、Yujiさん…。私…。」
「ど、どうした?」
治療が終わって全て解決したはずなのに、緊張した空気が流れる。
「その…Yujiさんが心配なので、明日の病院に付き添ってもいいですか!!!!」
「え、付き添い…?は?」
悠仁には、Aliceの言っていることが即座に理解できなかった。
「そ、その、ご迷惑でしょうか…?」
「いや、そういうことじゃないんだが…。住んでいるところも遠いかもしれないし…、おっさんにリアルで会うことに抵抗とか…。」
「…?」
(あ、これ、本当に何も思っていないやつだ。)
Aliceは悠仁の手を取る。
「私、本当にYujiさんのことが心配で…。是非、明日の病院に付き添わせてほしいんです…。それに…。」
「それに…?」
「Yujiさんが病院をサボらないかの、監視も兼ねてです!」
「なるほど…。」
(心配はされているが、この件に関しては信用はされていないようだ…)
「わ、わかったよ…。俺は関東に住んでるけど…」
「そうなんですか!私も関東圏で、しかも東京です!」
「まさかの同じところに住んでるのか…。俺は西のほうだけど、Aliceはどうなんだ?」
「私は都心ですね。でも、車ですぐですから大丈夫ですね。」
「そうか…。」
(これは逃げられそうに無いな…)
「わかった…。じゃあ後で連絡をする。これが俺の電話番号だ。」
悠仁は自身の電話番号をAliceに手渡す。Aliceは目を輝かせてその紙を受け取る。こちらの世界のものは現実世界に持ち越すことはできないので、暗記をしているようだ。
「ありがとうございます!じゃあ、戻ったら電話しますね!すぐに電話しますから!」
「お、おう。わかった。」
Aliceは、これから新しいダンジョンへ行くかのようにわくわくしているように見える。
「じゃあすぐに出ましょう!さぁ!」
Aliceは悠仁の背中を押して、受付のほうへ向かわせる。
「お帰りなさいませ。傷のほうは大丈夫でしたか?」
「えぇ、大丈夫でした。ありがとうございます。ログアウトをしたいのですが。」
「それはよかったです。ではポッドへお入りください。お疲れ様でした。」
受付嬢に手で促され、二人はポッドへ向かう。
「じゃあYujiさん、また後でですね!」
「ああ、後で。」
ポッドの蓋が閉じ、視界が暗転する。気付いた頃には、いつもの店に意識が移っていた。
「ふぅ…とりあえず、無事に帰ってこられたな…」
悠仁はポッドから出て階段を上がる。
「お疲れ様でした、青木様。」
「ありがとうございます。」
そういって機械に腕を通し、退店処理をして店の外へ出る。
すると、携帯電話に見た事の無い電話番号から着信があった。悠仁は受話のボタンをタップして電話に出る。
「はい、どちらさまですか?」
『その…私です。Aliceです。』
「あぁ、その声はAliceか。随分と早かったな。」
『はい、ちょっと急いじゃいました。えへへ。なんか、こうしてゲーム以外で声を聞くのは何か新鮮ですね。』
「あぁ、なんか不思議な気分だな。」
電話越しのAliceの声は、なんだか嬉しそうだ。
『じゃあ、明日はどこで待ち合わせをしましょうか。』
「そうだな…じゃあ…」
Aliceに待ち合わせの時間と場所を伝える。
『わかりました。じゃあ、そこに向かいますね!ではまた明日!』
「お、おう。また明日。」
そういうと、電話が切れる。
「…明日も会社休むのは確定だな…。石橋には申し訳ないけど、後1日頑張ってもらうか…。あと課長…すんません…」
そういって、明日も休むという電話を課長の携帯にかけて伝える。そんなに重症なのかと、逆に心配されてしまった。実はいい人なのかもしれない。というか、有給は有り余っている。ここで使わなかったらいつ使うんだ、といわんばかりに。
電話を切ってから、夜道を歩きながら考えた。2年間、この道を歩いて帰る自分の予定表には、仕事とゲームの二つしかなかった。そこに明日、三つ目の予定が入っている。ただの病院の付き添いだと分かっていても、手帳の白い欄が一つ埋まるというのは、思いのほか落ち着かないものだった。
「明日か…。っていうか、女の子と出かけるなんて何年ぶりだ…。まぁいいか…。」
悠仁は明日の病院を憂鬱に思いながらも、オフで会うことのわくわく感を胸に、帰路につくのであった。




