危機
(この杖は…。いや、今はそれを考える時じゃない。)
杖を奪われたリッチは、まだ口をカタカタと動かしてこちらに何かを訴えかけてきている。だが、この戦闘を終わらせるか仲間を連れて離脱しないと命は無い。いくら杖を失ったとはいえ、あのレベルだ。脅威であることに変わりはない。
「光よ その大いなる慈しみをもって 彼の者の傷を癒せ…ヒール。」
Aliceが出血を続ける悠仁に回復魔法をかける。傷は塞がったが倦怠感が抜けない。目も痛みでまともに開けられない状態だ。悠仁は追加で収納からポーションを取り出して飲み干す。
(ヒーリングポーションもマナポーションも、もうそんなに数が無い…。早めに決着をつけないと…。)
「………!」
リッチが残った左手をこちらにかざす。詠唱は聞き取れない。だが込められた魔力の密度で分かる。直撃すれば即死級の高位魔法だ。
(まずい、避けられな――)
来る。死を覚悟した。
…が。
放たれた魔力の奔流は悠仁のすぐ真横を掠めて過ぎ、後ろの壁を大きく抉った。崩れる壁の音を聞きながら、悠仁はその場に立ち尽くす。当たっていれば即死だった。だが、外れた。必中のはずの魔法が。
リッチのかざした左手が、小さく震えていた。
ぞくりとした。恐怖とは別の何かが背中を撫でる。だが、その正体を確かめている暇は無かった。
「……………!」
続けざまの詠唱。リッチの頭上に大きな火球が生成される。杖を失った状態での詠唱は効果の低減を免れない。それは高レベルのプレイヤーでもモンスターでも例外ではない。それでも、クイーンランクのリッチが放つ火球が弱いはずがない。魔法防御のスキルを持っていない悠仁は、なんとかして防ぐ必要があった。
(防ぐには…そうか…。)
相手は炎。なら、こっちはそれに対抗できる魔法をぶつければいい。今ならこの杖で魔法の効果も上がっているはずだ。
「水よ 地より敵を串刺しにせよ! アイシクルパイル!」
飛んでくる火球と氷の杭が正面からぶつかる。ブシュゥウウウウウウ!!と瞬時に氷が蒸発し、辺り一面が白い水蒸気に包まれた。敵の姿が見えなくなる。
(この杖があればなんとか…。だが…)
相手のローブはミーナの矢も通さないほどの対物理防御。きっと魔法防御もそれなりのものだろう。半端な攻撃力ではダメージは期待できない。いくら杖があるとはいえ、このままでは攻撃が通るかは怪しい。
「くそっ…またあれをするしかないのか…。」
なんとなく効果は分かってきた。自分の命を喰わせて、魔力に変える。単純で、強くて、そのたびに腹の底の"何か"が肥える。そういう魔法だ。
(だが、ここで躊躇っていたら…。)
後方に倒れているカインを見る。何もしなければ、カインはこのまま殺されるだろう。カインだけじゃない。ミーナも、Aliceも。
(俺が苦しいのはいくらだって耐えてやる…だから!)
「Alice!まだ回復魔法は使えるか!」
「はい!ポーションの残量的にあと2回なら!」
「俺にヒールをかけろ!もう一度あれを使う!」
「でもYujiさん!そんなことしたら!」
「いいからやれ!これはリーダーとしての命令だ!」
「…分かりました。」
(すまないな。仲間想いのお前には辛いだろう。だが、やらないと…。)
そして、心のどこかがこの「やるしかない」を歓んでいる。もう一度あの味を、と。それが何よりおぞましかった。
「光よ その大いなる慈しみをもって 彼の者の傷を癒せ!」
少し涙声にも聞こえる詠唱が始まると同時に、悠仁も二度目の呼び水を口にする。腹の底の"それ"が、嬉々として身を起こすのが分かった。
「あぁ…馨しい恐怖の香 怯えに震える命の甘さよ――」
二度目は、抵抗が薄かった。言葉がすらすらと舌に馴染んでしまう。馴染んでしまうことが怖い。一匙ごとに、今度は自分自身の削れていく命までもが甘く感じられた。
「――骨の髄まで饕餮し あぁ…馥郁たる終焉を」
「ヒール!」「デリヴォラ!!」
「ぐっ…ぐぅうううううう!!ああああああああ!!」
ぐぢ、と。今度は心臓よりもっと深いところで何かが千切れた。目からは血涙が流れ、既に左目の視力は無い。皮膚が裂け、体中から血が噴き出し、左足の感覚も無い。立っていられるのが不思議なくらいだ。
「Yujiさん!」
Aliceの叫ぶ声が遠い。体の限界が近いのかもしれない。それでも、手の中の魔力だけはこれまでのどれよりも濃く満ちていた。喰らった分だけ、確かに強い。
(これなら…!これで終わらせる…!)
杖を構えて詠唱に入ろうとした、その時。
目の前の水蒸気を裂いて、リッチが飛び出してきた。
(うそだろ…物理攻撃…!?)
ロケットのように間合いを詰めてくるリッチの左手には、緑色に輝く短剣が握られている。
(こいつ、魔法剣士か!)
驚くべき速さ。杖を構えて詠唱体勢に入っている悠仁に、もう避ける手段は無い。ただの骨のはずの顔が、勝利を確信して笑っているように見える。緑の刃が、手を伸ばせば届く距離まで迫る。
(くそっくそっ!ここまでなのか…俺はパーティーの仲間すら…!)
「だぁあああおらっしゃあああああああああ!!!」
「!?」
耳を劈く叫び声と共に、悠仁とリッチの間に黒い影が割り込んだ。
ガギャン!!
火花が散り、リッチの突進が止まる。そこには、頭から血を流しながら盾を構えて仁王立ちするカインの姿があった。
「…何ぼーっとしてんだ!早く魔法の詠唱をしろ!」
「お前…意識を失ってたはずじゃ…!」
「お前の叫び声がうるせぇから起きちまったんだよ。まったく、ここに落ちてからおちおち寝てもいられねぇぜ…っとぉ!?こいつ本当に魔法職かよ…!」
軽口を叩きながらリッチの攻撃を受け止めているが、盾ごとギリギリと押され始める。
「こっちよ!!」
倒れていたミーナが、震える手で弓を引いていた。放たれた矢は当たっても通らない。それでも横合いからカツカツと当て続ける。その鬱陶しさに、リッチがターゲットをミーナに変更した。
…が。リッチはミーナの方を向くだけ向いて、一歩も踏み出せない。足が淡い光の枷に縛られている。
「早く!今のうちに!」
Aliceの声。恐らくエアバインドだ。魔力切れ寸前で、それでも足止めを繋いでくれている。だがレベル差を考えれば長くは保たないだろう。数秒が限界だ。
「カイン!離れろ!」
「おう!」
カインがバックステップで間合いの外へ逃れる。
悠仁は杖を構える。唱えるのは何百回と繰り返してきた、たった一節。だが今その先には、杖の力と、二度命を削って得た魔力が濁流のように流れ込んでいく。
(頼む!これで…終わってくれ!)
「炎よ…ファイヤーボール!!」
普段よりも遥かに大きく膨れ上がった火球が、足を縛られたリッチを呑み込んだ。
ドゴオオオオオオオン!!!
火球はリッチを巻き込んだまま突き進み、奥の壁に激突する。壁が爆ぜるように崩れ、舞い上がった瓦礫が骸骨をその下に埋めていった。
しばらく待っても、瓦礫の山はぴくりとも動かない。
「はぁ…はぁ…。みんな、生きてるか…?」
「なんとかね…。むしろ私が一番軽症な気がするわ…。」
「俺もとりあえずな…。何か腕の感覚が怪しいが…。」
「はぁ…はぁ…。私は…魔力切れでふらふらするだけなので…。」
満身創痍。それでも全員息はある。それだけで奇跡のようなものだった。
「それにしても…そもそもあいつは死んだのか…?」
「確かめねぇわけにはいかないよな…。後ろからドーンっていうのは御免だぜ…。」
「仕方ない…。Alice、このマナポーションを渡しておく。もしもの時には、プロテクション、だったっけ?それを頼む。俺が行くから3人は後ろで待機していてくれ。カイン、2人を頼むぞ。」
「気をつけろよ。」
「おう。」
悠仁は半分になった視界でリッチが埋まっていると思われる瓦礫に近づき、動く方の手で一つ一つ取り除いていく。しばらくすると黒い布のようなものが見えた。
「…よかった…、死んでるみたいd」
瓦礫が爆ぜた。緑の光を引いて、リッチが飛び掛かってくる。
(嘘だろ…!あれでまだ!)
「プロテクション!」
既に詠唱を済ませていたAliceの障壁が間に合う。青白い壁が刃を阻む。しかし…
「うっ…。」
度重なる魔法の使用でAliceがよろめいた。その瞬間、障壁が点滅して掻き消える。
「Alice!!しまっ…!」
この機を逃すほど甘い敵ではない。短剣が振り上げられる。距離はゼロ。半身は動かず、躱す術も防ぐ術も、もう無い。
その時。迫る骸骨の顎が、最後にカタカタと動いた。
瓦礫の崩れる轟音と自分の心臓の音、その隙間に。悠仁の耳がほんの一瞬だけ拾った。骨の鳴る音の中に。
「…フ…」
人の名前の、断片のような。何かを呼ぶような。
だがそれは、瓦礫の音に呑まれて消えた。
(――え…?)
これまでと諦めて目を閉じた。1秒、2秒。来るはずの攻撃が来ない。
恐る恐る目を開けると、リッチの胸の核に、背後から剣が深々と突き立っていた。
「…全く。お前は、俺がいねぇと危なっかしくていけねぇぜ…。」
血だらけの顔で不敵に笑うカイン。
パキンッとリッチの核にひびが入り、だらりと腕が落ちる。握られていた短剣がカランという音を立てて床に落ちた。カインが剣を核から引き抜くと、リッチの体は糸が切れたようにガラガラと崩れていく。
後に残ったのは黒いローブと緑の短剣、龍血樹の杖。そして、最後に聞こえた気がする、あの一語。
「ひとまず…なんとかなった、のか…?」
「そうしてくれ…。俺はもうこれ以上は無理だぜ…。」
剣を背負い直しながらカインが溜息をつく。
「Yujiさん!大丈夫ですか!」
ふらふらになりながらもAliceが駆け寄って、悠仁の胸に飛び込んでくる。
「Yujiさんが…Yujiさんに何かあったら…私…私…。」
「…心配かけたな。」
飛び込んできたAliceの頭をゆっくりと撫でてやる。Aliceはひっくひっくと声を上げながら、ボロボロになった悠仁のローブに顔を埋めた。
「ミーナも飛び込んできていいんだぜ、ほら!」
「冗談。」
「ったくつれねーやつだな。」
少し離れたところで2人のじゃれつく声が聞こえる。
「とりあえず当面の危機は去ったようだ。これからこの広間の探索をしようと思うんだが…とりあえず。」
「とりあえず?」
「少し休みたいな…。カイン、火を起こしてくれ。傷の手当てと食事を取ってから探索だ。」
「おう、任せときな。お前はAliceちゃんの面倒を見てろよ。」
「……。」
Aliceは顔を埋めたまま上げようとしない。むしろ上げられないと言った方が正しい。
「私は食事の準備をしようかしら…いたた…。」
ミーナが肩を労わりながら収納から食材を取り出す。
「…みんな無事でよかったな。」
コクンとAliceが頷く。
「俺もAliceが無事でよかったよ。ありがとう。」
またコクンと頷く。
「んじゃ、俺たちもそろそろ準備に協力しようか。…あぁそういえばこれ。」
悠仁は腰に括り付けてあったスクロールをAliceに手渡す。
「街で買ったライトヒールのスクロールだ。これも使ってみんなの治療をしてやってくれ。」
「…分かりました。」
埃と血で汚れた神官服で涙を拭い、Aliceは2人の元へ走っていった。
(…それにしても、一体なんだったんだ、この敵は…。)
崩れ落ちたリッチの残骸を見ながら悠仁は考える。なぜこんな場所に居たのか。なぜあの重力を自分から解いたのか。なぜ必中の魔法が外れたのか。そして最後に動いていたあの口は、何を呼んでいたのか。
(…まぁ、それは探索の時に考えればいい。今はそれよりも…。)
「疲れた…。」
目の前の危機を乗り切った悠仁は、自分の命があることを確認してその場にへたり込んだ。腹の底でまだ微かに疼いている"何か"には、気付かないふりをして。
「プロテクション」(魔法)
3小節の魔法。任意の場所に青白い壁を作り出し、魔法・物理どちらの攻撃も防ぐことができる。強度は、使用者の魔力の量や集中力に左右される。




