歌の谷
――西方山地 旧道~谷 改葬の日
改葬は、布告から十日の後に行われた。
かつての旧道は、工兵の手で仮補修され、荷車の通れる道になっていた。行列は長かった。王宮の役人、聖堂の神官、工兵、そして——遺族たち。20年前に家族を「いなくなった」とだけ聞かされた人々が、国中から集まっていた。
遺族たちは、道中ほとんど喋らなかった。ただ、多くの者が小さな包みを大事に抱えていた。20年、行き先のなかった供え物。棚の奥や櫃の底で届け先を待ち続けた品々が、今日ようやく、宛先を得たのだった。
谷の入り口で、行列は止まった。
「ここからは。」
先導していたメルロが、振り返って言った。黒地図の団長は、この日のために正装——といっても、いつもの野外装のいちばん綺麗なやつ——を着て、図板を抱えていた。
「一人ずつ、ご案内する。……どの石の下に誰が眠ってるか、あんたたちの証言と、うちの実測図で、全部、突き合わせてある。間違いなく、家族のところへお連れする。」
31の白い石の前で、31組の再会が、順に行われた。
声を上げて泣く者は、少なかった。この国の人たちだから。ただ、皆、石の前に膝をつき、20年分の何かを静かに置いていった。メリッサの石の前には、老いた母親が、櫛を一つ。トルドーの石の前には、弟だという男が、酒盃を一つ。
ドンナルーチェは、公務としてではなく、一人の参列者として、列の最後にいた。
彼女は、どの石の前でも足を止めず——ただ一つ、竪琴の名手の石の前でだけ、足を止めた。長いこと、立っていた。それから、襟元の飾りの小さな石——あの一つきりの装飾を外して、白い石の傍らに埋めた。
誰も、何も聞かなかった。
三十一番目の石の前だけ、再会の形が、違った。
改葬の掘り起こしのとき、その一基だけが——空だったのだ。骨のひとかけも、髪のひとすじもなく、ただ二十年ぶんの土が、丁寧に、眠っていた。谷を検分した日のアリスの言葉を、俺は思い出していた。あの端の一基だけ、土の言うことが違う。土は、最初から、本当のことしか言っていなかった。
埋めた人は、名簿の数だけ、墓を掘ったのだ。運べた骸が、ひとつ、足りなくても。
骸の在り処は、俺達が知っていた。本人が、歌の合間に、教えてくれていたからだ。——にげて、にげて、この木のしたまできて、ここで、たおれて。報せを受けたジュネプロの村人たちが、古木の根方を、掘った。根が、抱くように、かかえていたそうだ。小さな骸を、二十年。花が置かれ続けたあの木は、最初から、墓標だった。
棺は、村でいちばん静かな荷車で、姉弟の家の毛布にくるまれて、谷へ運ばれてきた。
三十一番目の石の下へ、いちばん年下の詩人が、いちばん最後に、帰った。埋め戻しの土の音だけが、谷に、規則正しく響いた。誰も歌わなかった。歌は、もう、済んでいるからだ。あの朝、夜明けの光の中で——本人が、自分で、最後まで。
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式の終わりに、王の名代として来ていた大臣が、布告を読み上げた。
「『……本日、この谷を王国の地図に復す。』」
メルロが進み出て、真新しい地図を、大臣に手渡した。黒地図の実測に基づく、谷の正式な図面。国が消した場所を、国の地図に戻すための原図が、国家の官製地図を上回る精度を持つ民間の測量クランの手になるものであることに、もう誰も文句を言わなかった。
図面を受け取る大臣の手つきは、公文書のそれだった。だが受け取ってから、彼は図面を一度だけ光にかざした。31の点の並びが、白い紙の上で透けた。役人の顔が、ほんの一瞬、ただの人の顔になった。
「『谷の名は、王の命名により——』」
大臣は、一拍置いて、読み上げた。
「『——ヴァッレカンタ。歌の谷、とする。』」
歌の道の国の、歌の谷。20年、名を消されていた場所は、この国でいちばん歌に近い名前を貰って、地図に帰った。
「……聞いたかよ。」
メルロが、ぼそりと言った。目が、赤かった。測量屋は心が分からんとか言っていた男の目が。
「名前、ついたぞ。……これでやっと、地図が完成だ。」
もっとも、メルロの「完成」には注文がついた。谷の深さだけが、どうしても測りきれていないのだという。
「Yujiさん、あんた確か、音の魔法を齧ってたね。ちょいと谷底へ向けて鳴らしてくれんか。」
言われて悠仁は、短い詠唱を組んだ。≪ちいさく呼べば世界が返す/その返事で道を描け≫——エコルディア。放った小さな音が、谷を降りて、幾重にもなって帰ってくる。返ってきた反響が、頭の中に淡い線を引いた。深さ、岩棚の位置、水脈らしき空洞。歌の谷は、音で呼ぶと、音で自分の形を教えてくれた。
「……いい谷だ。」
測量屋は、悠仁が読み上げる数字を帳面に書き取りながら、それだけ言った。
帰り支度の頃、谷の奥から、細く長い遠吠えが立ち上った。一声。反響が幾重にも折り返して、遠吠えはいつまでも、谷の中で伸びていく。
「狼か?」
「カンタヴォルペ。歌狐ですよ。」
答えたのは、地元の若い衆だった。
「反響に向かって吠えて、返ってくる音で、自分の縄張りの広さを測るんです。……俺らは『歌う』って言ってます。あいつらにとっちゃ、この谷は、大陸一の楽器でさぁ。」
「……メルロさんと、同業ですね。」アリスがくすりと笑った。「音で、土地を測る。」
「はっ。」測量屋は、鼻を鳴らした。鳴らしてから、少し考えて、帳面の隅に、書き付けた。『先客あり。狐』。
後年、ヴァッレカンタの命名譚には、尾ひれがつく。曰く——名付けの日、狐が三日、歌い続けた、と。実際は一声だったのを知る者は、少ない。尾ひれとは、そういうものである。
ヴァッレカンタ(地名)
西方山地の小渓谷。長らく官製地図に記載がなかったが、王命により再測量・再記載された。名は「歌の谷」を意味する。谷には31基の墓所が整備され、毎年、霜の月に王家の名で慰霊が行われることが定められた。再記載にあたっての実測はクラン『黒地図』による。




