届く婉曲の夜
――カンタヴィア 代筆屋の店 謁見前夜
王への謁見の前夜、悠仁は、あの代筆屋を、再訪した。
謁見での口上を、見てもらうためである。ハーダリアの署名の件。ジュネプロ村の件。伝えるべきことは多く、そして相手は、この国の王だった。
店は、閉め支度の刻限だった。それでも老人は何も言わずに灯りを一つ増やし、机の上を客のために空けた。祭壇の折れた羽根ペンに灯が入って、影が伸びた。前に来た時と同じ場所に、同じ角度で、それはあった。
老代筆屋は悠仁の書いた口上の下書きを一読して——黙って、赤インクの筆を取った。
「……全部、書き直しですか。」
「いいえ。九割は、そのままです。」
老人は、二箇所だけ、直した。
一箇所目。『31人の詩人が殺されました』→『31人の詩人が、まだ、正式に弔われていません』。
「事実は同じです。ですがね、お若いの。前者は、王を責める文です。後者は、王にできることを示す文です。責められた人間は、守りを固める。できることを示された人間は……動ける。」
二箇所目。『真実を公表すべきです』→『真実を、陛下がどう扱われるか、私どもは口を挟みません。ただ、真実そのものは、お渡しします』。
「……こっちは、弱くなりすぎませんか。」
「逆です。これが、いちばん強い。」
老人は、赤筆を置いて、言った。
「決定権を、相手に全部渡す。これはね、相手を信じている、という宣言なんです。……人はね、信じられると、信じられた通りの人間に、少しだけ、なろうとする。王様でもね。……言葉で人を動かす技の、いちばん奥の手は、動かそうとしないことです。」
「……あんた、何者なんですか、ほんとに。」
「ただの、字ぃ書き屋ですよ。」
老人は、直した口上を、丁寧に畳んで、渡した。
「……ただね、この国で五十年、字ぃ書き屋をやるとね。言葉の通れる道と、通れない道が、地図みたいに、見えてくるんです。あなたの言葉は、いい言葉だ。いい言葉こそ、いい道を、通してやらないと。」
代金は、銅貨40枚。悠仁は、銀貨を置いて、釣りを断ろうとして——断れなかった。老人が、几帳面に、銅貨60枚の釣りを、数えて返したからである。
「言葉の値段を、まけたり吹っかけたりしないのも、この商売の掟でしてね。」




