白の告白
――カンタヴィア 王宮 玉座の間(人払いの後)
「20年前、わたしは兄を亡くしたばかりの、31歳の王だった。」
王は、玉座に戻らなかった。白い床の上に、俺達と同じ高さで立ったまま、話し始めた。
「戴冠の前から、囁きは聞こえていた。第一王子の、急な病没。間に合いすぎた弔いの支度。読み上げられなかった、父王の遺言。……誰もわたしに直接は問わん。だが回廊のどこを歩いても、囁きの尻尾だけが、すっと消えるのだ。ああ、いま、わたしの話をしていたな、と分かる。その繰り返しが、若い王に何をするか、そなたらに分かるか。」
誰も、答えなかった。王も、答えを待っていなかった。
「そこへ、報せが来た。詩人団が、歌を作っている。継承にまつわる歌を、戴冠の日に献じるつもりらしい、と。……中身は、誰も知らなかった。報せた者も、知らなかった。わたしも、知らなかった。」
王は、そこで初めて、少しだけ笑った。笑いの形をした、別のものだった。
「知らないものは、恐い。囁きに三月も炙られた王には、なおさらだ。あの歌が玉座の間で歌われた瞬間に、国が割れる——そうとしか、考えられなかった。だからわたしは、命じた。」
王は、自分の右手を見下ろした。
「『歌わせるな。国から、出せ』。……追放だ。わたしが命じたのは、追放だった。戴冠が済んで、囁きが涸れて、国が落ち着いたら——そっと呼び戻すつもりだった。詩人のいない歌の国など、あるものか。数年の、辛抱のはずだった。」
「……執行したのは。」
「初代検閲卿。タチェトという男だ。検閲局は、あの夜のために作られた役所ではない。だが、できたばかりで、忠実で、仕事が早かった。……三日後、あの男は報告に来た。『完了しました』と。一枚の書類もなく、口頭で、それだけだ。わたしは、それ以上を問わなかった。」
王は、目を閉じた。
「問わなかったのだ。31人がどの国境から出たのか。路銀は持たせたのか。誰か見送ったのか。……若い王は、忙しかった。忙しさは、問わないことの言い訳に、いくらでもなってくれた。」
玉座の間の白い光が、少しずつ、西に傾いていた。
「三年目の春、わたしは密使を出した。国が落ち着いた。呼び戻そうと思った。……密使は、半年かけて、隣国という隣国を回って、戻ってきた。そして報告した。『どこにも、おられません』。」
俺の背中を、冷たいものが降りていった。結末を知っているのに、いや、知っているからこそ。
「31人だぞ。歌い手が31人、まとまって国境を越えて、噂の一つも立たぬはずがない。歌う者は、どこの国でも目立つ。それが、どの街の酒場にも、どの領主の宮廷にも、影も形もない。……その晩、わたしはタチェトを呼んだ。」
「……白状、したんですか。」
「誇らしげに、な。」
王の声は、そこで初めて、割れた。
「『国境の外に出せば、歌はいつか、戻って参ります。陛下の御世の安寧のため、恒久の措置をとりました』——あの男は、わたしの命令を、わたしのためという理由で、書き換えたのだ。そして書き換えたことを、忠義と呼んだ。」
長い、沈黙があった。
「……わたしは、あの男を裁けなかった。裁判にかければ、すべてが公になる。公になれば、誰が信じる?『王は追放を命じただけだった』と、誰が信じてくれる?囁きは正しかったことになる。兄の死も、遺言も、31人も、ぜんぶが、わたしが玉座のために消したことになる。……反証はどこにもない。証明できたはずのただ一つのもの——兄の歌は、あの男が、消してしまった。」
「……だから。」
「だから、わたしは、あの男を消した。」
王は、まっすぐに俺を見て、言った。逃げ場を自分に残さない言い方だった。
「裁判もなく、記録もなく、静かに。公式には、病だ。局の者は今も、初代は早逝したと思っている。……気づいているか、冒険者Yuji。わたしは兄の歌を消した男を、兄の歌を消したのと寸分違わぬ手口で、消したのだ。それが、二つ目の罪。」
「……三つ目も、あるんですか。」
「ある。」
王は、即答した。
「それから20年、谷を掘らせなかったことだ。掘れば、問われる。問われれば、語れぬ。語れば、割れる。……だからわたしは、黙った。この国の誰よりも、深く、長く、黙った。静謐法はタチェトの置き土産だが、あれを20年、廃さずにおいたのは——静けさがいちばん都合のよかったのは、このわたしだ。」
がしゃん、と音がした。
ドンナルーチェが、手にしていた書類挟みを、取り落としていた。あの人が物を落とすところを、俺は初めて見た。拾おうともせず、検閲卿は、王を見ていた。
「……陛下。わたくしは。」
声が、公文書の声ではなくなっていた。
「20年間……あの夜の命令は、玉座から出たものと。あなたが、お命じになったのだと……そう信じて、わたくしは。」
「そう信じさせておくことも、刑の一部だと思っていた。」
王は、静かに応えた。
「憎まれている自覚のない王より、正しく憎まれている王のほうが、まだしも誠実だろう。……ルーチェ。」
敬称のない名を、王が呼んだ。
「そなたが谷に埋めたものの話を、あの夜、そなたの口から聞いた。自分の罪から話し始めたな、そなたは。……臣下にそれをさせて、王が、それより軽い覚悟で口をつぐんでいられるはずがなかろう。この告白は、そなたの勇気の、写しだ。」
検閲卿は、何かを言おうとして、言えず、ただ深く、頭を下げた。下げた頭は、しばらく、上がらなかった。
「——さて。」
王は、俺達に向き直った。
「これで、そなたらは知った。この国の王が何を命じ、何を怠り、何を殺し、何を黙ってきたか。……この話を、どこで誰に語ろうと、そなたらの自由だ。退位の支度なら、20年前から、できている。」
言葉を探した。探して、やめた。こういう時に探して出てくる言葉は、大抵、誰かの借り物だ。
「……あなたは、下りちゃいけない。」
「ほう。」
「あなたが今ここで下りたら、この国の20年は『何も知らなかった気の毒な王の悲劇』で締まる。タチェトひとりが悪党で、あとはみんな被害者で。……それは、二度目の『なかったこと』です。31人を二度消すのと、同じだ。」
王の目が、細くなった。値踏みの目ではなかった。もっと、飢えた目だった。
「知ってる人間が、覚えてる人間が、玉座に座り続けるべきなんです。改葬も、慰霊も、法の撤廃も、遺族への償いも——ぜんぶ、あなたの手で。あなたが、あなたの刑として。……下りるのは。」
一度だけ、言葉を切った。灰の図書館の老人の顔が、頭をよぎった。
「下りるのは、多分——楽になることだから。」
「…………。」
「それと、陛下。ひとつ、訂正をお願いします。」
「……何をだ。」
「さっきの署名。『国益の判断だ』と仰いましたね。」
俺は、使者の手に渡った、五つの署名の並ぶ書面の方を、顎で示した。
「人を、体を、順番をつけて消費する国を告発する紙だ。あの紙に載るあなたの名前の意味を、訂正してもらえますか。」
王は、長いこと俺を見て——それから、今日初めて、本当に笑った。
「……手厳しい客人だ。よかろう、訂正する。あれは国益ではない。」
「償いだ。最初の、一筆の。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「……検閲卿。」
やがて、王は言った。声は、また公務のものに戻っていた。戻っていたが、その芯のところが、さっきまでとは違っていた。
「はい。」
「三日後、枢密院を招集する。議題は二つ。……一つ。西の谷の改葬と、慰霊。」
「……はい。」
「二つ。静謐法、第7条——歌唱の条項の、撤廃。」
ドンナルーチェの頭が、跳ね上がった。
「陛下。それは……第7条は、静謐法の、背骨です。抜けば、法全体が。」
「知っている。」
王は、静かに言った。
「全部は、変えられん。この国は20年、静けさの上に建ってきた。急に壊せば、そなたの言う通り、新しい犠牲が出る。……だから、まず一本だけ抜く。背骨の中で、いちばん最初に間違えた一本を。」
王は、玉座の間の高い窓を見上げた。白い光が、白い床に落ちていた。
「……順番なのだろう?冒険者Yuji。そなたが検閲卿に言ったそうだな。まず、いちばん古い一滴から流す、と。」
「……はい。」
「では、これがこの国の、二滴目だ。」
退出の間際、扉の前で、王がもう一度だけ、口を開いた。
「冒険者Yuji。……兄の一節を、もう一度だけ、頼めるか。」
「……『玉座はおまえに。わたしのぶんまで、よい王であれ』。」
「……そうか。」
王は、頷いた。
「今日からそれが、わたしの刑期の、文言だ。」




