白の玉座
――カンタヴィア 王宮
謁見は、村から戻った二日後に叶った。
書面ではなかった。王宮からの使者が宿に直接来て、口頭で日時を告げた。この国で「書面でないこと」がどれほど異例なのか、悠仁達はもう知っていた。
王宮は、白く、高く、静かだった。長い回廊。音のしない衛兵。そして玉座の間は、意外なほど飾り気がなかった。
回廊を渡る間、一行は誰も囁かなかった。囁きが、要らなくなっていた。この国に入って初めて、静けさが窮屈ではなく儀礼として体に馴染んでいる自分たちに、悠仁は途中で気づいた。良いことなのか悪いことなのか、これも考えないことにした。白い石の広間に、白い石の玉座。そこに、その人は座っていた。
クレメンテ王。歳は40半ば。豊かとは言えない金の髪に、簡素な冠。玉座の脇には、灰青の官服——ドンナルーチェが、いつもの姿勢で控えていた。
「冒険者Yuji。ならびに、クラン『パーチ』の諸君。」
王の声は、低く、静かだった。この国の王らしい、静かさだった。
「まず、公務の話からしよう。ハーダリアの件。……検閲卿より、貴殿らの書面と、これまでの働きについて、詳細な報告を受けた。」
王は、傍らの小卓から、見覚えのある書面を取り上げた。ウェイルから始まった、署名の連なるあの書面を。
「人体を触媒とする禁呪。領民の拉致。……大陸の恥だ。コレスタニアは、貴殿らの義挙に、署名をもって応える。」
王自らが、ペンを取った。署名と、玉璽。5つ目の、最後の大国の名が、書面に加わった。あれほど遠かったものが、拍子抜けするほど静かに、成った。
書面の上で、五つの署名は少しずつ字の癖が違った。剛胆な字、几帳面な字、そして今加わった、細く正確な王の字。癖の違う筆跡が一枚に並ぶさまを、ステラが目に焼き付けるように長く見ていた。紙一枚が国々の意志になる瞬間を、記録者は見逃さない。
「……ありがとうございます。」
「礼には及ばない。国益の判断だ。」
王は書面を使者に渡し、それから、初めて公務の声を解いた。
「——さて。ここからは、公務ではない。」
王は、玉座から立ち上がった。衛兵が驚くのが分かった。王は構わず、階を降り、悠仁達の前に立った。近くで見る王の顔には、年齢よりも深い皺が、目元に刻まれていた。
「ジュネプロ村の件の、報告書を読んだ。検閲卿の書いた、公式のものをだ。『声状の存在は消滅を確認』。……それから。」
王は、ドンナルーチェを一瞥した。検閲卿は、目を伏せた。
「公式でない報告も、聞いた。生まれて初めて、あの者が書面でなく、口で、私に長い話をした。……20年前の夜のこと。31人のこと。そして——兄の、遺言の歌のことを。」
玉座の間は、静まり返っていた。
「単刀直入に問う、冒険者Yuji。そなたらは、その全てを聞いた唯一の証人だ。……兄は、私に、何と?」
悠仁は、息を整えた。この問いに答える資格が自分にあるのか、一瞬迷い——リリカの歌声を思い出して、迷いを捨てた。歌は、届けられるために歌われたのだ。20年遅れの配達を、引き受けた者の義務として。
「……『玉座はおまえに。わたしのぶんまで、よい王であれ』。」
「…………。」
「歌の全体は、俺なんかの言葉じゃ運べません。ですが、遺言の一節は、これです。一字も違えていません。……あなたの即位を縛る影は、最初から、どこにもなかった。あなたのお兄さんと、31人の詩人が、それを歌で証明しようとして——その歌ごと、消された。それだけです。」
王は、長いこと、動かなかった。
40半ばの王の顔の上を、いくつもの季節が通り過ぎていくのが見えた。兄の窓に花を届けた季節。玉座と一緒に「影」を背負わされた季節。何も知らされないまま、静けさの上に座り続けた、20年ぶんの季節。
やがて、王は、目を開けた。そして誰にともなく、短く命じた。
「——人払いを。」
衛兵たちが退がり、白い扉が閉まる音が、玉座の間に一度だけ、響いた。あとに残ったのは、王と、検閲卿と、俺達だけだった。
「配達の礼を、しなければならん。」
王は、静かに言った。
「そなたらは、20年遅れの言葉を、わたしに届けてくれた。……ならば次は、わたしの番だ。こちらは、20年間、宛先を失っていた報告だ。誰にも——検閲卿、そなたにすらも、届けられなかったもの。」
ドンナルーチェが、怪訝な顔で、王を見た。
その顔を見返す王の目に、俺は、見覚えがあった。灰の図書館の奥の間で、使われない羽根ペンを撫でていた、あの老人の目と、同じ色をしていた。
クレメンテ王(人物)
コレスタニア現国王。先王の第二王子として20年前に即位。治世は堅実で、大規模な戦役を避け、内政と交易に力を注いできた。即位の経緯を巡る風聞が長く囁かれてきたが、公の場で王自身がそれに触れたことは一度もない。




