証人
――ジュネプロ村 古木の斜面
「……冒険者Yuji。戻られたか。」
ロヴェルトの声には、安堵と絶望が半々に混ざっていた。戻ってきてくれた、という顔と、戻ってきてしまった、という顔。
「命令は変わらない。今夜、あれを消す。あなたに止める権利はない。」
「権利はない。」
悠仁は、肩で息をしながら、頷いた。
「けど、手続きならある。」
「……手続き?」
「ロヴェルトさん。あんたの命令書には、こうあったはずだ。『声状の存在の消滅を確認するまで、音撃を継続せよ』。……つまり、あんたの任務は『消滅の確認』だ。そうだな?」
「……そうだが。」
「なら、聞かせてほしい。——歌が、自分から終わった場合。それは『消滅』に数えられるのか?」
ロヴェルトが、目を見開いた。
「あの人は、歌い終われば、終わる。本人がそう言ってる。歌ってのはそういうものだからだ。最後まで歌わせて、静かに終わってもらう。村の被害も止まる。夜の歌も止む。……命令書の言う『消滅』と、外から見て何が違う?」
「詭弁だ。」
「詭弁だよ。」
悠仁は、認めた。
「あんたの国の、代筆屋に教わった。『届かない正論より、届く婉曲』。……ロヴェルトさん。あんたはこの詭弁に、乗れる人だと思ってる。乗れる人だから、部下に古木へ背を向けさせて『観測』させた。乗れる人だから、俺の仲間がマナを注ぐのを、ひと晩中『見なかった』。」
「…………。」
「最後の歌は、そう長くないはずだ。今夜——いや、あと数刻でいい。号令を、遅らせてくれ。」
ロヴェルトは、砲列を見た。兵たちを見た。兵たちは、誰一人、砲に手をかけていなかった。全員が、隊長の背中を見ていた。祈るような目で。
悠仁は待った。急かせば崩れる均衡だった。夜風が砲列の布を鳴らし、古木の歌は細く続いている。ロヴェルトの喉が一度、上下した。
「……検閲局の監察官が、伝令と共に村に入っている。」
ロヴェルトは、低く言った。
「私の一存で遅らせれば、監察官が代わりに号令を出す。それが、あちらの手続きだ。……時間稼ぎにもならん。」
「監察官には、俺が話す。」
「話す?何を——」
「その必要は、ありません。」
声は、天幕の陰から来た。
灰青の官服。結い上げた銀髪。夜駆けの早馬に劣らぬ速さで来たはずなのに、その姿には土埃の一つも見えなかった。
検閲卿ドンナルーチェが、静かな足取りで、砲列の前に歩み出た。
「監察官は私が兼ねます。この作戦、ここからは、私の直轄です。」
「……検閲卿、自らですか。」
「私の職分ですから。」
ドンナルーチェは、悠仁を見た。それから、古木の根元の靄を。その視線が靄に触れた瞬間——ほんの一瞬だけ、あの疲れた目の奥で、何かが軋んだのを、悠仁は見逃さなかった。
兵たちが一斉に姿勢を正す気配で、彼女の地位の重さが知れた。この場の誰にとっても検閲卿は書面の奥にいる存在で、夜の泥の上に立つ姿を見た者はいなかったのだ。その人がいま、31人の眠る谷への道の途中に、自分の足で立っている。
「冒険者Yuji。スクリヴァーナまでの旅は、実りがあったようですね。」
「……えぇ。おかげさまで。」
「では、単刀直入に。」
検閲卿は、夜気よりも冷えた声で言った。
「貴方がたが谷から持ち出した物を、この場で引き渡しなさい。それが済めば、貴方がたの静謐法違反の数々は、旅行者の無知として処理します。謁見も、予定通り叶うでしょう。……ハーダリアを止めるのでしょう?大陸の平和のために。ならば、この国の古い傷を掘り返している暇など、ないはずです。」
正論だった。ぞっとするほど、正論だった。
一瞬、本当に一瞬だけ、悠仁の中で算盤が鳴った。名簿を渡し、署名を取り、ハーダリアへ向かう。救える命の数だけなら、そちらが多いかもしれない。……だが懐の角が、肋に当たっていた。数で測っていいものと悪いものの区別くらい、この旅は教えてくれている。
悠仁は、懐の名簿の重みを確かめて——それから、静かに、首を横に振った。
「お断りします。」
「……理由を。」
「これは俺のものじゃないからです。」
悠仁は、古木の根元の靄を、手のひらで示した。
「これは、あの人の——リリカさんのものだ。31人の名前だ。返す相手は、検閲局じゃない。」
その名前を口にした瞬間。
ドンナルーチェの、完璧に整えられた無表情に——初めて、ひびが、入った。




