記録の街
――スクリヴァーナ
隊は、二手に分かれた。
村にはカインとミーナとフルールが残る。リリカとの夜の対話を絶やさないこと、ティノの引き渡しを一日でも引き延ばすこと、そして万一、投射命令が前倒しになった時に体を張って時間を稼ぐこと。残る側の方が、重い。
「任せろ。うちの一番硬い盾と、一番速い足と、一番マナの見える目を置いてくんだ。」
「……頼む。期限の前の日までには、戻る。」
悠仁とアリスとステラの3人は、夜明けと同時に馬を駆り、南西へ向かった。
道は途中から丘陵を縫い、昼を過ぎると、行き交う荷が変わった。薪や野菜の代わりに、紙の梱と革の束とインク壺の木箱。荷車の御者は皆、荷台に油布を二重に掛けていた。雨より先に、紙のことを思う土地に入ったのだ。
スクリヴァーナは、丘の上の街だった。カンタヴィアの白とは違う、灰色がかった石の街。そして街並みの印象は、一言で言えば——四角かった。家々は倉のように武骨で、窓は小さく、通りは碁盤の目。街の頂上に、ひときわ大きな四角い建物が鎮座している。
「あれが、大書庫。」
ステラの声に、隠しようのない熱があった。
「コレスタニア王立大書庫。蔵書数は大陸で三本の指。検閲局の書庫を除けば、この国の『書いていいことになった言葉』の、ぜんぶがあそこにある。」
「書いていいことになった言葉、ね。……言い方に棘があるぞ。」
「……事実だから。」
街は、書記の街だった。行き交う人間の指はインクで染まり、通りには紙屋、筆屋、装丁屋、封蝋屋が軒を連ねる。そして目立つのは、角ごとに座る「代書人」たちだった。小さな机と椅子だけを構え、手紙から嘆願書まで、口述を受けて書き起こす。この国の「言葉の流通」は、その大半が声ではなく紙で行われている。書記の街が栄えるわけだった。
通りの角にはところどころ、小さな石の龕があって、使い切られた羽根ペンが数本ずつ供えられていた。軸は擦り切れ、羽根は書き手の癖の形に曲がっている。誰も説明せず、誰も持ち去らない。ステラだけが足を止めて、しばらくそれを見ていた。
灰の図書館コレスタニア分館は、大書庫の裏手の坂を下った先にあった。
飾り気のない石造りの建物。看板は小さく、『図書館』とだけ。だが入り口の脇に、見覚えのある意匠があった。灰色の、閉じた本の紋。カプランドの分室で見たものと、同じだ。
「……ここまで来ると、逆に落ち着くな、この紋を見ると。」
入り口の石段は、三段。その中央だけが、浅い皿のように、擦り減って窪んでいた。銅貨50枚を握った人々が、何百年、同じ場所を踏み続けた窪みだ。悠仁は特に何も思わず、その窪みに、自分の一歩を重ねた。
扉を開けると、紙と埃と、わずかな黴の匂い。天井まで届く書架。そして受付には、羊皮紙の束を揃えている、初老の女性がいた。
「閲覧ですか。当分館は初めてで?」
「はい。……カプランドの分室を、利用したことがあります。」
悠仁が言うと、受付の女性は手を止めて、初めてこちらの顔を見た。
「カプランド。……遠くからおいでで。閲覧は銅貨50枚。掟は、ご存じですね。」
「『知って、動かない』。」
「結構。」
「それと——館内は、火気厳禁です。燭台の持ち込みも。奥の書架は、暗うございますが。」
「あ、それなら大丈夫です。」
アリスが、指先で小さく詠唱した。
≪灯れ、細き道≫
ルクスフィラ。指先から伸びた光の糸が、ふわりと宙に浮かんで、細い道になる。熱のない、火花ひとつ散らない、紙の国のための灯り。受付の女性は、それを見て、初めて、わずかに口元を緩めた。
「……光糸をお使いの方は、当館では『上のお客様』です。書庫の紙は、蝋燭の火を、200年恨みますので。」
書架の間を進むと、通路の隅に、小さな木箱が点々と置かれていた。中には乾いた杜松の枝。ステラが目敏く見つけて、受付の女性に問うと、初めて、彼女の眉間に皺が寄った。
「……リブリーノです。紙喰いの虫。放っておくと群れで本を齧って、あろうことか、齧った本の文字の形に並ぶんです。悪趣味でしょう。杜松の枝で箱に誘き出して、外に逃がします。」
「潰さないんですね。」
「書庫で潰すと、染みになります。染みは、200年残ります。……それにね、旅のお方。リブリーノに食われた蔵書は、司書の恥、と言いましてね。憎むべきは虫ではなく、点検を怠った私どもの方なんです。」
書架の三段目で、飼われている銀色の蜘蛛が、ゆっくりと巣を張り直していた。虫を狩る蜘蛛は、この館の非公式の職員らしい。名簿にも載っているという。「銀糸のヴィオラ、警備係」。
(……この世界、どこまで作り込んでるんだよ)
悠仁のその感想が、後にどれほど皮肉な意味を持つかは——まだ、誰も知らない。
女性は、悠仁とアリスとステラを順に見て——それから、声の調子を半音も変えずに、言った。
「……それで。『動かない』はずの旅のお方が、三人おそろいで。当分館に、何をお探しです?」
試すような目だった。悠仁は、一度アリスと目を見交わしてから、腹を決めた。この組織に対して、搦め手は多分、通用しない。
「20年前の。」
声を落とす。
「……『あの夜』の記録を。」
受付の女性の表情は、動かなかった。ただ、羊皮紙を揃える手が、完全に止まった。長い沈黙のあと、彼女は立ち上がり、奥へ声をかけた。
「——バルド様。お客様です。」
スクリヴァーナ(地名)
コレスタニア領南西部の丘上都市。「書記の街」の異名を持ち、王立大書庫と検閲局南方支局が置かれる。国内の公文書・出版・写本業の中心地であり、住民の識字率は大陸で最も高いとされる。代書人の数は「住民10人に1人」と俗に言われる。




