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二つの命令

――ジュネプロ村 討伐隊天幕 夕刻


事態は、その日の夕方に動いた。


カンタヴィアから早馬が来たのだ。乗り手は検閲局の制服を着ていた。早馬は夕陽を背に村道を駆け上がり、蹄の音に、畑の村人たちが一斉に手を止めて一斉に目を伏せた。見ないことが躾になっている国で、全員が見ないようにしたものを、悠仁ははっきり見た。乗り手が下馬して天幕に入るまでの短いあいだに、村から音というものが引いていた。ロヴェルトが受け取った命令書は、蝋封に検閲局の印章。彼はそれを読み——読み進むにつれて顔から色が失われ——読み終えると、無言で悠仁に差し出した。


『観測記録の精査により、当該存在の「歌唱」に住民への感染性が確認された(ジュネプロ村児童1名の唱和事例)。

 よって当該存在の討伐を優先度・最上位に引き上げる。

 七日後の夜、音撃の全力投射をもって当該存在を消滅させよ。

 なお唱和事例の児童については、保護のため検閲局預かりとする。引き渡しは投射作戦に先立ち完了せよ。引き渡しに際しては騒擾を厳に避け、説得をもって穏便に完了すること。』


「……ティノを、連れて行くだと?」


「『保護』です。建前は。」


ロヴェルトの声は、抑えても抑えても、震えを隠せていなかった。


「唱和事例——歌を聞いて、覚えて、歌い返した子どもは、『感染源』になり得る。だから隔離する。検閲局の理屈は、いつも清潔です。……冒険者殿。あそこが子どもを『預かって』、その子が元のまま村に帰ってきた例を、私は寡聞にして知りません。」


「帰ってこないんですか。」


「帰っては、きます。」


ロヴェルトは、疲れ切った声で言った。


「悪いことをされる訳でもないんです。ただ……教育を、受けるんです。丁寧に、根気強く、徹底的に。数年後に出てくる頃には、その……とても、静かな子に、なっているそうです。」


悠仁の脳裏に、ポルタセーラの四つ角がよぎった。娘の口元に添えられた、母親の、慣れた優しい手。


あれの、国家版。


怒りは、遅れてきた。書面の字面を目が二度なぞり終えた頃、腹の底で火が点いた。7歳だ。窓の隙間の歌に、歌い返しただけだ。それを「事例」と呼び、「感染源」と呼び、「預かる」と呼ぶ。言葉を綺麗にする技術と、やることの中身は、別々に進化する。この国でいちばん恐ろしいのは音撃筒ではなく、この文面を書いた誰かの、乱れのない筆跡なのかもしれなかった。


「七日後の夜に全力投射。それまでにティノの引き渡し。……二つとも、命令ですか。」


「命令です。私は、王国の騎士です。」


「……七日。」


悠仁は、命令書の期日を、もう一度目でなぞった。


「国が本気で消したいにしては、妙に猶予が長い。」


「猶予では、ありません。」


ロヴェルトは、初めて吐き捨てるような声を出した。


「引き渡しで騒ぎを起こすな、というのが局の付款です。泣かれ、叫ばれ、村人が集まれば——騒擾。騒擾は、静謐法に触れる。ですから七日かけて、説得で、穏便に、だそうです。……法を守らせるための作戦が、法に手を縛られている。私は時々、この国の何が守られているのか、分からなくなります。」


ロヴェルトはそう言ったきり、命令書を睨んで、うつむいた。「命令です」という言葉と「従います」という言葉の間には、まだ、目に見える距離があった。その距離だけが、いまのところ、この村に残された希望だった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

――同夜 パーチの天幕


「状況を整理する。」


悠仁は、地面に広げた村の見取り図の上で、全員の顔を順に見た。


「七日後の夜、国はあの人を消す。ティノはその前に検閲局へ引き渡し。あの人の願いは『歌を最後まで聞くこと』。……そして俺達は、この国の王に署名を貰いに来た客人だ。」


「国に逆らえば、署名は消える。ハーダリアを止める算段が、根本から狂う。」


ステラが、感情を消した声で、あえて言った。全員が分かっていて、誰も口にしたくなかったことを、先に卓に載せる。それがこういう時のステラの優しさだということを、もう全員が知っている。


「……それでもさ。」


ミーナが、膝を抱えたまま言った。


「あの子、言ってたじゃない。『さみしいんだとおもう』って。『うれしいって、なきかたがしてたもん』って。……7歳にそこまで言わせといて、大人が揃って聞こえないフリって、ないんじゃないの。」


「フルールは、どうだ。」


「……私は。」


フルールは、膝の上の拳を見つめていた。


「私は、あの歌を知ってます。理由は分からないまま。……もしあの人が消されたら、私の中のこの歌は、世界でこの歌を知ってる、最後のひとつになります。」


顔を上げた。


「そんなの、重すぎます。私ひとりじゃ、抱えきれません。だから——皆で、最後まで聞きたいです。」


「アリスは。」


「言うまでもありません。」


即答だった。


「カイン。」


「七日で聞き終わりゃ、全部丸く収まるんだろ。なら悩む話じゃねぇ。悩むのは、七日で終わらなかった時の話だ。」


「……その時は、その時に悩む。」


悠仁は、見取り図の上に、掌を置いた。


「七日だ。七日で、歌を最後まで聞く。国が消す前に、あの人の歌を終わらせる。それが多分、あの人も、村も、ティノも、俺達の署名も——全員が生き残れる、唯一の細い道だ。」


「ティノの引き渡しは?」


「引き延ばす。ロヴェルトさんは多分、乗ってくれる。あの人は命令と良心の間で、まだ立ち止まってくれてる人だ。……立ち止まってる人の背中は、押しちゃいけない。並んで立つんだ。」


見取り図の端で、燭の火が揺れた。七日、と悠仁はもう一度胸の中で数えた。長い猶予だと、さっきは自分で言った。それでも七つの夜で20年ぶんを聞き切れるのか。その勘定の合わなさは口には出さなかった。出せば、細い道はもっと細くなる。


夜風が天幕を叩いた。遠く、古木の方から、今夜も歌が始まる気配がした。

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