衰弱の理由
――翌日 ジュネプロ村
「歌を、『最後まで聞いてほしい』……ですか。」
翌朝の天幕での報告会で、ロヴェルトは頭を抱えた。
「それは……討伐命令と、どう折り合いをつければいいのですか。」
「分かりません。ただ、少なくとも、あれは村を襲いに来てるんじゃない。それだけは昨夜ではっきりした。」
「では、村の衰弱はなんなのです。現に寝付いた者が2人いる。昨夜も1人、朝起きられなくなった。……冒険者殿、私とて、あれを斬りたいわけではない。ですが被害は実在するのです。」
もっともだった。そしてその答えは、その日の昼過ぎに、アリスが持って帰ってきた。
アリスは朝から、村の家々を杖ひとつで回っていた。診るといっても大仰なことはせず、手首を取り、瞼の裏を見て、二言三言だけ話す。戸口で断られた家は一軒もなかった。回復術士の白い杖は、この村では検閲局の印章より強い通行証だった。戻ってきた時、彼女の書き付けは端まで細かい字で埋まっていて、その几帳面さがそのまま、彼女の張り詰め方だった。
回復術士として村人を診て回ったアリスは、村長の家の食卓に、書き付けを広げた。卓には杜松の実を炒ったものが小鉢で出ていて、誰も手をつけないまま、小鉢は書き付けの重石になった。
「……マナ枯れです。軽度の。全員、症状が一致します。」
「マナ枯れ?」
「はい。外傷も、病毒も、呪詛の痕もありません。ただ、体の中のマナの量だけが、少しずつ目減りしています。お年寄りから順に倒れているのは、もともとマナの巡りが細いからです。」
「原因は。」
「……あの方、だと思います。」
アリスは、言葉を選びながら続けた。
「あの方は、体を持ちません。声だけの存在です。声を——自分を保つために、周りのマナをずっと使い続けています。フルールさんが言ってた、古木の根元の『マナの井戸』。あの方は20年間、あそこのマナだけを、涸らさないように少しずつ汲んで、歌ってきたんだと思います。」
「それが最近、村まで来るようになった。」
「はい。……ティノくんが、歌い返してしまったから。」
20年で初めて「応えてくれた声」に出会って、あの人は、井戸を離れて村に近づくようになった。そして人の多い場所では、本人も気づかないまま、周りの人間からも薄く、薄く、マナを吸ってしまう。
「本人に、悪気は。」
「ないと思います。……吸っている自覚も、多分、ありません。ただ嬉しくて、村の灯りに近づいてるだけで。」
天幕の中が、静かになった。
誰も悪くない構図が、そこに完成していた。寂しかった声。応えてしまった7歳。弱っていく年寄り。そして「歌を消せ」という国。どこにも悪意がないのに、全員が少しずつ傷ついていく。悠仁はこういう構図を、この世界に来てから何度も見てきた気がする。悪意のある事件のほうが、まだ楽だった。斬る相手がいるから。
「……なぁ。」
沈黙を破ったのは、カインだった。天幕の柱にもたれたまま、腕を組んで。
「その『最後まで聞く』ってのをやったら、どうなるんだ?」
「わかりません。でも。」
アリスは、昨夜の声を思い出すように、一度目を閉じた。
「あの方、言ってました。『歌は、聞いてもらえたら、おわれる』って。……歌って、そういうものですよね。最後まで歌い終わったら——終わる。」
「終わったら、マナ枯れも止まる。村は助かる。国の言う『消滅』も、形の上では達成される。」
悠仁は指を折りながら言って、それから、折った指を見つめた。
「……全部、辻褄が合うんだよな。合いすぎて、怖いくらいだ。」
「何が引っかかるんです?」
ロヴェルトが問う。悠仁は正直に答えた。
「あの人が『最後まで』って言ってる歌が、どんな歌なのか、まだ誰も知らないってことです。」
昼の光の中で、古木は静かだった。天幕を出た悠仁は、斜面の上のあの木をしばらく見上げた。夜ごとに歌う人は、昼はどこで何をしているのだろう。日が暮れるのを待っているのだろうか。20年、暮れるのを待つだけの昼というものを悠仁は想像しかけて、やめた。想像の届く深さではなかった。




