姉弟
――ジュネプロ村 村長の家
最初に「夜の歌」を聞いたのは誰か。
聞き込みは、その日のうちに一組の姉弟に行き着いた。村人たちは口が重かったが、その重さには濃淡があった。歌の話題そのものを避ける者と、特定の何かを庇って避ける者。ミーナはその濃淡だけを頼りに、半日で網を絞った。仕事の聞き込みは苦手なくせに、こういう勘だけは誰より鋭い。
聞き込みのあいだ、村の家々は一行を拒まなかった。戸口までは通し、白湯を出し、杜松の実を焙じた茶を出す家さえあった。ただどの家でも同じことが起きた。歌という言葉が出た途端に注ぐ手が止まり、話は天気と畑に戻る。戸を閉められるより、そのほうが応えた。もてなしの形だけ残して中身を仕舞う仕草を、この国に入ってから何度見たか、もう数えていない。
ノーラ、11歳。ティノ、7歳。
両親は先の流行り病で亡くなり、いまは村長の家に身を寄せているという。会わせてほしいと頼むと、村長は長いこと黙り、それから「……乱暴なことは、なさらんでくだされ」とだけ言った。その一言で、村の大人たちが何をどこまで知っていて、何を知らないことにしているのか、おおよその見当がついた。
裏庭で、姉弟は薪を運んでいた。
その仕事ぶりは、手慣れすぎていた。姉が割り、弟が運び、積む向きは互い違い。教わった手順というより、そうしなければ冬が越せないと知っている者の手順だった。二人の上着は仕立てが良く、そして二人の寸法に合っていなかった。大人ものを詰めて直した肩の線が、夕方の光にはっきり出ていた。
「こんにちは。少しだけ、話をさせてもらえないかな。」
悠仁が目線の高さまでしゃがむと、姉のノーラは薪を置き、弟をさっと背中に庇った。11歳の目が、値踏みするように悠仁を見る。子どもの目ではなかった。両親を亡くした子が、弟を守るために大急ぎで作った、大人の目だった。
「……夜の歌のことなら、何も聞いてません。」
「まだ何も聞いてないのに、歌のことだって分かったんだな。」
「……っ。」
しまった、という顔。悠仁は、できるだけゆっくり、笑ってみせた。
「大丈夫。俺たちは、この国の人間じゃない。『聞いた』って言っても、誰にも報せない。誰にも叱らせない。……約束する。」
「大人は、みんなそう言います。」
「そうだな。……じゃあ、約束の代わりに、こっちの秘密を先に渡すよ。」
悠仁は声を落とした。
「俺たちも、聞いた。カンタヴィアの屋根の上で。二晩。……綺麗な歌だった。」
ノーラの目が、大きく見開かれた。「聞いた」と、この国で、大人が、自分から言った。それがこの姉弟にとってどれほどの椿事なのか、その顔が全部語っていた。
長い、長い沈黙のあと。口を開いたのは、姉の背中に隠れていた弟の方だった。
「……おねえちゃんはね、わるくないんだよ。」
「ティノ!」
「だって……ぼくが、さきに聞いたんだもん。ぼくが、さきなんだもん。」
ぽつり、ぽつりと。7歳の言葉で、それは語られた。
ひと月と少し前の夜。眠れなかったティノは、鎧戸の隙間から入ってくる歌を聞いた。きれいな歌だった。悲しいのに、あったかい歌だった。だから——覚えた。
そして次の日、畑の隅で誰もいないと思って、覚えた歌を小さく歌ってみた。
「……そうしたら、夜、『こえのひと』が来たの。」
「こえのひと?」
「うん。」
ティノは、こくんと頷いた。怖がっている顔ではなかった。それが何より雄弁だった。
「くらくて、よく見えないの。かおも、ないの。でも、こえだけ、あるの。ぼくのまどの外に来て……あのね、おこらないでね?」
「怒らないよ。」
「……いっしょに、うたってくれたの。」
一緒に、歌ってくれた。
ノーラが、観念したように、弟の隣にしゃがみ込んだ。そこから先は、姉が引き取った。その晩から、夜の歌は村のすぐ近くまで来るようになったこと。同じ頃から、村の年寄りが朝起きられなくなり始めたこと。大人たちは「歌のせいだ」と言い、討伐の願いが出され、でも誰も「なぜ歌が村に来るようになったのか」を知らないこと。
ノーラの話は、順序が立ちすぎていた。誰にも話せないまま、胸の中で毎晩さらい直されてきた話の順序だった。話しながら、姉は弟の襟の折れ目を二度直した。手が空くと不安になるのだと、その手つきで知れた。
知っているのは、この姉弟だけ。もし知られたら——弟が、歌を「聞いて」「覚えて」「歌い返した」なんて知られたら。11歳は検閲局という言葉の意味を、11歳なりに正確に知っていた。
「……おじさん。」
帰り際、ティノが悠仁の袖を、ちいさく引いた。
「こえのひとね、こわくないよ。わるいひとじゃ、ないよ。ただね……。」
7歳は、そこで言葉を探した。一生懸命、探して、探して——見つけた。
「……すごく、すごく、さみしいんだとおもう。」
「……そうか。」
「うん。だってね。」
ティノは、自分の胸を、小さな手でとんとんと叩いた。
「ぼくがうたったら……こえのひと、ないてたもん。うれしいって、なきかたが、してたもん。」
ジュネプロ村(地名)
カンタヴィアの東、山際に位置する小村。村名は斜面に立つ杜松の古木に由来する。杜松の実は薬種・香料として王都に卸され、村の主産業となっている。古木は「村より先からそこにある」と言われ、伐採はもとより枝を払うことすら忌まれてきた。




