国章の依頼
――カンタヴィア 冒険者統括組合
翌朝、組合の掲示板の前に、小さな人だかりができていた。
この国で人だかりというのは、それ自体が事件だ。悠仁達が近づくと、冒険者たちが無言のまま、一枚の真新しい依頼書を囲んでいた。羊皮紙の右上に、金の箔押しで国章が入っている。
人だかりと言っても、誰も長くは留まらない。依頼書を目だけで二度なぞり、写しも取らずに離れていく。年嵩の槍使いが一人だけ写しを取りかけ、窓口の方を一度見て、やめた。羊皮紙の金箔は朝の光を撥ね、くすんだ掲示板の木地の中でそこだけ場違いに輝いている。国の色は目立つ。目立つものの前でこの国の人間がどう振る舞うかは、もう見慣れた通りだった。
『討伐依頼(国章付き)
対象:ジュネプロ村近郊に出没する「声状の存在」
発生地:村北方、杜松の古木周辺
等級:不明(上級相当と推定)
報酬:金貨150枚+出来高
備考:夜間、村民に衰弱被害あり。国軍討伐隊への同行者を求む。』
「声状の、存在……?」
「モンスターの名前じゃねぇな。『声のカタチをした何か』ってことか。」
囲んでいる冒険者たちが、囁きを交わしている。国章付き——国が直接出す依頼は報酬も破格だが、手を出す者は少ないようだった。等級不明の依頼ほど怖いものはない、というのは冒険者の常識だ。そして囁きの端々から、もう一つの理由も聞こえてきた。
——相手が相手だろう。
——割に合わねぇよ。国の「あれ」に関わるのは。
窓口で詳細を聞くと、顔見知りになった職員は周囲を一度見てから、声を一段落とした。
「ジュネプロ村は、ここから東へ2日の山際の村です。ひと月ほど前から、夜になると……その、『あるもの』が村に近づくようになりまして。」
「あるもの。」
「……依頼書の通りです。私の口からは、これ以上は。」
職員の目が、ちらりと泳ぐ。この国の人間が「言えないこと」の周りでどう振る舞うか、悠仁達はもう見慣れていた。言えないことの輪郭は、言えることを並べれば浮かび上がる。
「被害の方は本当です。村の方が夜ごとに衰弱していて、既に寝付いたご老人が2人。国は討伐隊を編成して現地入りしています。ただ、その……対象が対象ですので、同行する冒険者が集まらず、募集の範囲がとうとう外国籍の冒険者にまで広がった、というわけです。」
「討伐隊は、何を斬るつもりなんですか。」
悠仁は、半ば確信しながら聞いた。
職員はしばらく黙った。それから、囁きよりもさらに小さな、ほとんど吐息だけの声で言った。
「……歌を、だそうです。」
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――宿「白鳩亭」 中庭 夕
夕方の中庭で、フルールが井戸の水を汲みながら、鼻歌を——。
「おいフルール、この国で鼻歌は——。」
縁台で剣布を使っていたカインが顔も上げずに注意しかけて、その声が途中で止まった。止めたのはフルール自身だった。ふ、と息が旋律の形になりかけた、そのほんの二音か三音で、彼女は自分の口を手で押さえていた。桶の水面が揺れて、光が割れた。
二音か三音。それだけだった。それだけで、井戸端の空気が変わったのが分かった。夜の屋根の上で聞いた、あの糸のような旋律の——出だしに、似ていた。
「……ごめんなさい。癖、ですね。気をつけます。」
フルールは笑おうとして、うまく笑えず、汲んだ水を抱えて厨房へ行ってしまった。カインは畳みかけの剣布を手の中で意味もなく畳み直し、それから、誰にともなく低く言った。
「……なんでだろうな。今の、ほんの出だしだけなのによ。初めて聞くはずなのに、俺、なんか——懐かしかったんだ。」
井戸の縄が、からからと乾いた音を立てた。誰も、何も答えなかった。
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――宿「白鳩亭」 夜
「——というわけだ。受けるか、受けないか。」
夕食の後、悠仁は依頼書の写しを卓の真ん中に置いた。
皿はすでに下げられ、卓には茶の器とステラの帳面と燭台が一つ。鎧戸の隙間から夜気が細く入り、蝋の火を時々揺らした。写し一枚を六対の目が囲む形は、はからずも朝の掲示板の再現だった。違うのは、ここでは誰も立ち去らないことだ。
「受けるべきだと思います。」
真っ先に言ったのは、アリスだった。いつになく、はっきりした声だった。
「村の人が実際に弱っているなら、放っておけません。それに……。」
「それに?」
「あの歌の正体を、国の討伐隊より先に、私たちが知るべきだと思うんです。討伐隊は『斬り』に行きます。でも、もしあれが……誰か、だったら。」
誰か。屋根の上でアリスが使った言葉が、卓の上に静かに置かれた。
フルールが、膝の上で両手をぎゅっと握った。
「……私も、行きたいです。私、あの歌を知ってます。理由は分からないけど、知ってる。だったら……確かめたいです。知らないままで、あの歌が消されるのは、嫌です。」
「……ん。私も、賛成。」
ステラが静かに手を挙げた。
「この国は、歌を消したがってる。消すこと自体、止められないかもしれない。でも……消される前に、あれが誰の歌なのか、知ってる人が一人でも多いほうがいい。……本と、一緒。」
「本と一緒、ときたか。」
カインが苦笑して、大きな手で自分の膝を叩いた。
「俺は難しいことは分かんねぇが、村の年寄りが弱ってて、ちいせぇガキが夜に怯えてるかもしれねぇんだろ。なら行く理由はもう充分だ。」
「ま、全員一致みたいね。」
ミーナが依頼書の写しを取り上げて、ひらひらと振った。
「決まりだな。」
悠仁は頷いて、それから一同を見回した。
「ただし、全員、忘れるな。俺達は謁見待ちの身で、検閲卿にはっきり目をつけられてる。この依頼は向こうから見れば『問題の外国人をまとめて監視下に置ける、都合のいい檻』でもある。」
「……うわ。言われてみれば。」
「表向きはあくまで、報酬目当てで国章依頼を受けた冒険者だ。夜の歌を聞いたことも、フルールが旋律を知ってることも、外では一言も出すな。……本音は胸の中にしまっておけ。」
「この国の流儀で、ってわけね。」
ミーナが皮肉っぽく笑い、誰かが小さく吹き出した。笑いごとではないのだが、笑うしかない。この国に来てから、そういう笑い方ばかり上手くなっていく。
その晩は、めいめいの支度が長かった。カインは砥石を出し、ミーナは投げ具の数を二度勘定し、アリスは薬包を種類ごとに紙で括り直した。フルールは荷の詰め替えの途中で手を止め、しばらく自分の掌を見ていた。歌を知っているのは耳でも頭でもなく、この体のどこかだ。それが分かってから、彼女は自分の体と少しだけ他人行儀になっている。悠仁は帳場に降りて数日分の部屋代を先払いし、女将は釣り銭に乾した石鹸草の小枝を黙って添えた。旅立つ客への、この国の見送りの型だった。
そして対象の欄は、こうだった。『声状の存在。クラス評価——不能』。組合の物差しは、ハイからキングまで称号で刻んである。その物差しが最初から折れている相手だということを、国章入りの紙が、事務の顔で告げていた。
国章付き依頼(制度)
国家が組合を通じて直接発行する依頼。報酬は国庫から支払われ、通常依頼より大幅に高額となる。その一方で、依頼内容に国家機密が関わることが多く、受注者には守秘の誓約が課される。冒険者の間では「実入りはいいが、知らなくていいことを知ることになる」として敬遠する者も多い。
依頼書の隅には、組合の書式で推奨等級の欄があった。国章入りの上等な紙でも、そこだけは冒険者の世界の文法で、『推奨レベル35以上・編成六名』と素っ気なく書いてある。「うちは、全員足りてますね」とアリスが指でなぞって確認した。足りるようになったのだ、いつの間にか。それがなんだか、ここまでの道のりの証明書みたいだった。




