↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
338/394

歌の道

――カンタヴィア街道 最終日


白い都は、丘を三つ越えた先で、唐突に現れた。


「……おぉ。」


御者台の悠仁が声を漏らすと、幌の中から次々に顔が突き出してきた。ミーナ、アリス、フルール。最後にカインが幌ごと持ち上げるようにして顔を出し、馬車が少し軋んだ。


「でっか……。」


ミーナが囁く。夕陽を受けた白亜の街壁が、丘陵の底に横たわっていた。壁の向こうには尖塔と円屋根が幾重にも重なり、その全てが同じ白い石でできている。都の上の空は、鳥の一羽も、声の一つもなく、ただ完璧に澄んでいた。


「ヴァリエスタより大きいですね……いえ、カシュカントよりも、もしかしたら。」


「大きさもだけど……揃ってるのが、すごいわね。全部同じ白なんだもの。」


「……石灰岩。この辺りの丘は、全部それでできてるの。」


ステラが荷台の奥から静かに解説を挟む。


「都を作る時に、法で石材を統一したって言われてる。……何もかも、揃えるのが好きな国だから。」


誰も注意しなくなって久しいが、一行の声量はすっかりこの国の水準に馴染んでいた。声を潜めているという意識すら、もうない。それが良いことなのかどうかは、考えないことにしている。考え出すと、夜の歌のことまで考えてしまうからだ。


入市審査は、ポルタセーラの倍の時間がかかった。同じ申告を、今度は一人ずつ個別に取られたのだ。楽器。歌集。詩集。戯曲。朗唱を目的とした文書。審査官は若い女性で、終始にこやかで、そして書類の記入は一字も崩さなかった。


フェリスの分の書類まで、あった。『同伴獣、一。鳴き声の等級、小』。審査官は真顔でフェリスを覗き込み、フェリスは審査される側の顔で、きゅう、と控えめに一声だけ鳴いてみせた。等級欄に丁寧な字で『小』と書き込まれるのを、ミーナが肩を震わせて堪えていた。笑ってはいけない場所で笑いを堪えるのは、この国に来てから一番の重労働かもしれない。


「カンタヴィアって、どういう意味なんだ?」


待ち時間、悠仁は隣のステラに小声で聞いてみた。石壁に刻まれた都の名前は、飾り文字で読みにくかったが、随分と古いものに見えた。


「……古い言葉で、『歌の道』。」


「歌の道?」


思わず聞き返した。ステラは石壁の刻字を見上げたまま、頷いた。


「……ん。変でしょ。歌を禁じてる国の都の名前が、歌の道。」


「……変、だな。改名しようとは思わなかったのか。」


「名前は、法律より古いから。」


ステラの声は、独り言のように低くなった。


「……名前だけ、消し忘れたのか。それとも……消せなかったのか。」


審査官に呼ばれて、会話はそこで途切れた。だが門をくぐる間際、悠仁はもう一度だけ刻字を見上げた。カンタヴィア。歌の道。彫られた文字の縁は、長い年月に丸く磨り減っていて、それでも消えてはいなかった。


刻字の下に、カインが目を留めた。名の下の帯状の一画だけ、石の白が周りと微妙に違う。彫られていた何かを削り、同じ石で埋めた補修の痕だった。職人の目でなければ見過ごす、丁寧すぎる仕事。名前は消さなかった国が、名前の下の何かは、消したのだ。カインは何も言わず、悠仁も聞かなかった。この国では、目で交わす会話が増えていく。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

――カンタヴィア 市街


都の中は、白い石畳と白い壁と、深い緑の鎧戸で統一されていた。


美しい。文句のつけようがなく、美しい。大通りは広く、ごみ一つなく、街路樹は等間隔に刈り込まれている。露店は例によって木札で商い、行き交う馬車の御者は鈴を鳴らさず、すれ違う時には手を挙げて合図をする。


「あ、見てください。子どもたち。」


アリスが指す先、路地の入り口で、子どもが4人、石蹴りをして遊んでいた。掛け声はない。順番が来ると黙って石を蹴り、上手くいくと、声の代わりに両手を高く挙げる。仲間たちも両手を挙げて応える。からん、と石の鳴る音だけが路地に響いて、それがこの都に入ってから聞いた、一番大きな音だった。


「……楽しそう、なんですよね。ちゃんと。」


「あぁ。笑ってるしな。」


声のない万歳を交わし合う子どもたちは、間違いなく笑っていた。抑圧されている顔ではなかった。それはポルタセーラの母娘と同じで、だからこそ、同じ種類の寒気がした。


馬車が路地を過ぎてしばらくして、悠仁はふと荷台を振り返った。フルールが、膝の上で両手を小さく挙げていた。子どもたちの、あの声のない万歳を、こっそり練習していたのだ。視線に気づいたフルールは慌てて手を下ろし、それから開き直って、もう一度きちんと両手を挙げてみせた。記憶のない子は、行く先々で世界の使い方をひとつずつ拾って歩く。その拾い方が、この国のものであることに、彼女自身はまだ気づいていない。


「綺麗な街ですねぇ……。」


宿を探して大通りを行きながら、アリスがしみじみと言った。


「あぁ。……綺麗、なんだよな。」


頷きながら、悠仁は自分の語彙の乏しさを呪った。綺麗で、清潔で、平和で、豊かで。旅してきたどの街より整っている。それなのに、この都の印象を一言で言えと言われたら、悠仁は多分、こう言ってしまう。


——絵みたいだ、と。


音のしない、隅々までよく描き込まれた、大きな、大きな絵。


絵の中では、誰も歌わない。

カンタヴィア(地名)

コレスタニア領の首都。古語で「歌の道」を意味する。名の由来について検閲局は「古称であり現行法と関係しない」との定型回答を返しており、公文書に記載はない。白色の石灰岩で統一された街並みは大陸で最も美しい都の一つに数えられ、その清潔さと治安の良さは他国の都市計画の手本とされることも多い。人口は大陸有数だが、街の騒音量は小村のそれを下回るという冗談のような測定記録が残っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。