影の谷④ 影返しの夜
方法は、暁の組の台帳の見返しに、続けて書いてあった。書いた者の名はない。ただ、試した者がいたのだと分かる書き方だった。
『影は名に応ふ。持ち主の名を呼ばば、影、獣を離る』
遺族の寄り合いは、一晩で支度を整えた。討伐派の牧場主たちは最後まで渋い顔をしていたが、組合長が「殺して終わるなら、とっくに猟師が終わらせてる」と言って、篝火の薪を出した。薪を出すというのが、この街の男たちの謝り方らしかった。
夜。谷の草地に、篝火が輪になった。
十二頭の群れは、逃げなかった。むしろ、待っていたのだと思う。輪の中心に降りて、翼をたたみ、影を、火の方へ向けた。草の上に、十二人ぶんの人影が、揺れながら並んだ。
最初に進み出たのは、膝の悪い歩き方の影の前に立った、若い猟師だった。矢を向けられなかった男だ。彼は弓を置いて、影に向かって、名を呼んだ。
「――親父。ドレンの親父。あんたの倅だ」
影が、揺れた。火のせいではない揺れ方だった。そして、糸の切れる音もなく、大鹿の足元から、するりと剥がれた。剥がれた影は一瞬だけ膝を伸ばして、まっすぐに立ち――火の明かりの届かない方へ、歩いていって、消えた。
影を失った大鹿の足元には、月明かりの、薄い、鹿の形の影が差していた。あるべきものが、あるべき形で、そこにあった。
一人、また一人。籠を抱えた影に、娘が。背の曲がった影に、老いた妻が。子供の影の一つには、母親が、名前と一緒に「宿題は、もういいから」と言って、集まった丘の上を、泣き笑いが通った。灰色の鴉が二羽、いつの間にか篝火の外周に来て、名を呼ばれるたび、羽を畳み直した。チェネリコルボ。改葬地の鳥。参る者の顔を覚える鳥だと、遺族の一人が言った。
夜半までに、十一の影が返った。
十一頭の大鹿は、一頭ずつ、翼を広げて夜空へ上がった。月を横切る時、その体はもう、影絵ではなくて、ただの大きな、綺麗な獣だった。
草地には、最後の一頭が残っていた。氷の檻から出された、あの一頭。その足元の、膝を抱えた小さな影の前には――誰も、立たなかった。




