影の谷③ 一羽だけ違う
答えは、峠を登ってきた。
塚参りの一団だった。灰色の外套の二十人ほど。武装はなく、老人と女と子供、先頭の数人が白い石を抱えている。大陸中を巡って、弔われなかった死者を弔って歩く一団——「暁の組」。毎年この季節、峠の行き倒れの塚に石を積みに来るのだという。谷の話を聞くと、先頭の老人は驚かず、ただ疲れたように目を閉じて、革紐で綴じた古い台帳を開いた。その見返しに、細い手控えの字で、それは書いてあった。ペリュトン。牧人たちが「影連れ」と呼ぶものの、正式の名。
『鹿鳥。その影は己のものに非ず。死者の影を拾いて纏う。人をひとたび殺さば、おのれの影を取り戻し、翼、自由を得ん』
「……人を殺したら、卒業ってこと?」とミーナが顔をしかめた。
「逆だ」と俺は言った。「殺すまで、囚われてる。あの群れは、人を殺したくて谷にいるんじゃない。殺さない限り、死んだ人の影を、担がされ続ける」
だから討伐は駄目だ。影ごと射れば、遺族は「家族が二度殺された」街で暮らすことになる。だから放置も駄目だ。群れのうちのどれかが、いつか、飢えか偶然で一線を越える。越えた一頭は影を返して飛び去り、残りの遺族の前には「殺した獣」と「殺された影」だけが残る。
そして、その「いつか」は、俺たちの相談より早く来た。
昼、牧童の少年が谷に迷い込んだ。羊を一頭、追って。
群れの端にいた一頭が、首を上げた。他の十一頭と、目の色が違った。
(……称号持ちだ。エリートか)
同じ群れでも、クラスの乗った個体は目の色から違う。物差しの古い癖で、俺は先にそれを読んでいた。
飢えの色ですらなかった。もっと単純な、出口を見つけた者の色だった。
「ミーナ!」
「もう出てる!」
黒蜃の残像が尾根を蹴り、谷底へ跳ぶ。大鹿が翼を広げた。広げると、馬車どころではなかった。一拍で少年との距離を半分にした滑空へ、フルールの声が追いつく。
「風のみなさん、あの子の前に、壁を!」
突風が谷を横切り、大鹿の滑空が浮き上がる。狙いが逸れた。逸れた先で、ミーナが少年を抱えて転がる。大鹿は旋回し――二度目は、翼をたたんで、落ちてきた。速い。風では、もう逸らせない。
「≪ライトニングボルト≫!」
昔なじみの雷を、翼の付け根の手前、空の何もない一点に置いた。当てるためじゃない。曲がらせるためだ。獣は雷を嫌う。基本の雷で吊り上げた軌道の先に、カインが立っていた。
「≪アイアンウォール≫ッ!」
角と大盾が、谷に鐘みたいな音を立てた。カインが三歩めり込み、大鹿が跳ね返されて草に転がる。起き上がったそいつの前肢は、まだ少年の方を向いていた。俺は氷を選んだ。
「≪アイシクルパイル≫!」
氷柱の檻が、大鹿を囲んで立った。殺さない太さと、殺させない間隔。旅のいちばん最初の頃に覚えた基本の氷は、こういう細工が一番うまい。
檻の中で、大鹿は暴れた。暴れて、疲れて、最後に――泣いた。獣の声で、しかし、どうしようもなく、泣いた。そいつの影が、檻の格子の影の間で、小さな子供の形のまま、膝を抱えていた。
谷が静かになってから、フルールが檻に近づいた。危ない、と言いかけて、やめた。彼女は格子の外から、影に向かって、しゃがんだ。
「……帰りたいんですよね。あなたじゃなくて、その影の子が。……大丈夫です。呼んでもらいましょう。名前を知ってる人たちが、この丘にはたくさんいますから」




