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南部交易路

――カシュカント 南門 早朝


「よし、忘れ物はないな?」


「ないですよ。昨日3回も確認したじゃないですか。」


御者台に上がった悠仁が振り向くと、荷台の中でアリスが呆れたように笑っていた。その横ではフルールが真新しい革鎧の胸元を撫でている。ギッシュの店で仕立て直したものだ。退院祝いと言って悠仁が代金を持ったら、律儀に「出世払いです」と言い張られた。NPCの出世払いというのはどこに支払われるのだろうか。


「素材の積み込みも終わってるぜ。っていうか、ワイバーンの骨ってのはなんであんなに軽いんだろうな。あの大きさで飛ぶんだから当たり前っちゃ当たり前なんだが。」


「軽くて硬いから高いんでしょ。ギッシュさん、悠仁が素材を分けるって言ったら顔が職人になってたわよ。」


カインとミーナが荷台の奥で口々に言う。領主の城の倉庫に保管されていたワイバーンの素材は、時間をかけて回収を済ませてある。大半は収納の中だが、ギッシュに加工を頼んだ分だけは完成が旅立ちに間に合わなかったので、出来上がり次第組合経由でコレスタニアへ送ってもらう手配をした。こういう時、大陸中に組合の網があるのは本当に助かる。


「……ん。こっちも、大丈夫。」


荷台の一番奥で、ステラが膝の上の帳面を閉じた。旅の間の消耗品と資金の管理は、いつの間にかステラの仕事になっている。本人は「……好きでやってるから」と言うが、あの几帳面な帳面がなければパーチの財布はとっくに穴が開いているだろう。


「じゃ、行くか。」


悠仁は手綱を軽く揺すった。車輪が石畳を噛んで、馬車がゆっくりと動き出す。門の衛兵が敬礼をしてくる。ワイバーン討伐の話はすっかり知れ渡っているようで、なんとも面映ゆい。


早朝の南門界隈は、匂いでできていた。パン屋の窯の熱気と、馬房の藁と、石畳に残る夜露。その全部を上書きするように、屋台の湯気が香辛料の匂いを撒いている。フェリスが荷台の縁に前脚をかけて鼻をひくつかせ、それから諦めたように丸くなった。あの屋台の串は、去年の冬からフェリスの朝の楽しみだった。次にこの匂いを嗅ぐのがいつになるのか、それは誰にも分からない。


「ほら、餞別だとよ。」


門の詰所から駆けてきた若い衛兵が、油紙の包みを荷台へ放り込んだ。開けると、揚げ菓子が人数分と、一匹分。カインが噴き出して、フェリスが跳ね起きた。


(さて……残るは、コレスタニアだ。)


ウェイル、カースゼス、セダ、そして会わずして署名をくれたゼットフォード。ハーダリアの顔に一撃を入れるための書面には、既に4つの署名が並んでいる。あと1つ。大陸南部の大国コレスタニアの署名が揃えば、外堀は埋まる。


(……順調すぎる、って思うのは職業病かね。)


レッドキャップの3人組。紫の玉。消えた98人の兵。考え出せば切りがない不安を頭の隅に押し込めて、悠仁は南へ馬車を走らせた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

――南部交易路 2日目


カシュカントから南へ延びる街道は、南部交易路と呼ばれている。大陸でも有数の交易路で、道幅は広く、石橋は太く、宿場も等間隔に整備されていた。初日は行き交う隊商の数に驚かされたくらいだ。


宿場の飯にも、道の性格が出る。初日の宿場で出たのは香辛料の効いた串と揚げパンで、皿が卓に届く前から匂いで腹が鳴った。セダの飯だ。二日目の宿場では同じ串が出たのに、香辛料が半分になっていて、代わりに塩の当て方が丁寧になっていた。カインが一口食って、ほう、と眉を上げた。


「……国境が近いんだな。飯が先に、隣の国になってやがる。」


料理人スキルを取ってからのカインは、こういうことを言うようになった。道は地図の上では一本の線だが、舌の上では、もうずっと手前から混ざり始めている。


だが。


「……なんか、静かになってきたと思わないか?」


御者台の隣に座ったカインが、ぽつりと言った。


「お前もそう思うか。」


「おう。昨日すれ違った隊商は、みんな何かしら声をかけてきたろ。『どこまで行くんだ』とか『先の橋が混んでる』とか。今日は……。」


今日すれ違った隊商は3つ。どれも御者が軽く会釈をしただけで、声はなかった。荷台の商人たちも、話をしていないわけではないのだろうが、車輪の音に消える程度の声量しか出していない。


三つ目の隊商の御者はまだ若い男で、手綱を握る左の手首に緋色の紐を御守りのように巻いていた。会釈の仕方が少しだけぎこちなかった。御者になりたてなのかもしれない。すれ違って、それきりだった。旅とはそういうすれ違いの束である。


「南に行くほど静かになる、か。」


「コレスタニアってのは、そういう国なんだとよ。」


カインが後ろへ親指を向ける。荷台からミーナが顔を出した。


「昨日の宿場で聞いたのよ。コレスタニアで商売するなら、まず口数を減らせって。声のでかい奴から損をする国だって。」


「声のでかい奴から損をする……?」


「詳しくは教えてくれなかったわ。っていうか、その話をしてくれた商人さん自体がもうすっごい小声でね。国境をまたぐ前から練習してるんだって。」


「……変わった国ですね。」


アリスも顔を出してくる。全員が首を捻る中で、ステラだけが帳面から目を上げずに言った。


「……『静謐法』。」


「せいひつほう?」


「コレスタニアの法律。公の場で、言っていいことと、書いていいことが、法律で決まってるの。……行ったことはない。けど、本で読んだ。あの国の書物には、全部に検閲の印が捺してあるから、扱ってる問屋だと、すぐわかる。」


本の話になると、ステラの言葉から気だるさが抜けていく。


「言っていいことが、法律で決まってる……。」


悠仁は思わず復唱した。日本で生まれ育った悠仁には、うまく想像ができない。言葉を選ぶ場面なんていくらでもあるが、それはマナーや空気の話であって、法律の話ではない。


「悪口を言ったら捕まるってことか?」


「……そんなに、単純じゃないと思う。詳しいことは、入ってみないと。」


ステラはそこで言葉を切って、少しだけ眉を寄せた。


「……ただ、あの国の検閲印は、本の扉に捺すの。題名の、真上に。」


それきりステラは帳面に戻ってしまった。何がステラの気に障ったのか、正確なところは分からない。ただ、本の題名の真上に印を捺すという行為が、ステラにとって愉快なものではないことだけは、その横顔から伝わってきた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

――南部交易路 4日目 夜営地


パチ……パチ……。


焚き火が爆ぜる。今夜の夜営地は街道脇の旅人溜まりで、石で組まれた竈と風除けの低い塀まで用意されていた。先客はいない。この辺りまで来ると、旅人の絶対数自体が減っているようだった。


「旅程の確認だけしておくか。アリス、頼む。」


「はい。今日でカシュカントから4日目です。明日の夕方には国境の関所に着くと思います。関所の向こうがコレスタニアの北の関門都市、ポルタセーラです。」


アリスが地図を広げる。焚き火の明かりに照らされた地図の上を、細い指がすっと南へ滑っていく。


「首都のカンタヴィアはポルタセーラから更に南へ6日。途中に大きな街はなくて、宿場が点々とあるだけですね。」


「6日か。補給はポルタセーラでしっかりやる必要があるな。」


「ですね。あと、これは商人さんに聞いた話ですけど……コレスタニアの関所は、荷物の検査よりも『申告』に時間がかかるそうです。」


「申告?関税のか?」


「それが、そうじゃないみたいで……。」


アリスは困ったように首を傾げた。


「歌とか、楽器とか、本とか。そういうものを持っていないか、聞かれるそうです。」


「……歌?」


歌を申告するとはどういうことか。荷物としての楽譜のことだろうか。全員の視線が自然とステラに集まったが、ステラは首を横に振った。


「……そこまでは、知らない。」


「ま、明日になればわかるさ。」


悠仁は火に薪を一本足した。火の粉が夜空へ昇っていく。見上げた空は雲一つなく、星の数はカシュカントの夜よりもずっと多かった。南に近づくほど、夜が静かになっていく。虫の声と、火の音と、仲間の寝息。それだけの夜だった。


火の番の間、悠仁は懐の書類入れを外から一度だけ撫でた。ウェイルの署名は癖のある大きな字で、書き終えたあと万年筆を二度振る癖まで思い出せる。カースゼスの署名は細く几帳面で、セダの領主のそれは途中で一度インクが掠れていた。あの疲れた男は、署名の途中でため息をついたのだ。紙の上の4つの名前は、悠仁にとってはもう文字ではなく、4人の顔だった。5人目の顔は、まだ知らない。どんな声で、どんな字を書く相手なのか。


——そもそも、声のことをとやかく言う国の王とは、どんな声で話せばいいのだろう。


(静かな国、か。)


戦争を止めるための旅で、静かな国に行く。それ自体は悪い話ではないはずなのに、どうしてか胸の奥がざわつくのを、悠仁はまだ言葉にできずにいた。

南部交易路(地名)

カシュカントとコレスタニア領を南北に結ぶ大陸有数の交易路。セダ領内の区間は道幅・宿場ともに大陸最高水準の整備がされており、隊商の往来が絶えない。ただし国境が近づくにつれて往来は目に見えて減っていく。これは治安の問題ではなく、コレスタニア側の商慣習に適応できる商人が限られているためである。街道自体の治安はセダ・コレスタニア両国の巡回によって非常に良好に保たれている。

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