容体
――5時間後 カシュカント 大聖堂
「っはぁ!はぁ…はぁ…。」
「くふっ…はっ…はっ…」
「ぁ…。きっついわね…。」
如何に馬が効果的な移動手段であるかが身に染みてわかった瞬間だ。3人とも肩で息をしていることに加えて、装備はボロボロだ。アリスに関しては傷口が開いて出血を始めている。乾きかけた血の上に、新しい赤がにじむ。
悠仁達は約5時間半をかけてこれまでの道を走り続けてきた。瞬間的な速度は馬を超える悠仁達だが、それを長時間続けるのは土台無理な話である。急く気持ちもあったが、結局はペース配分をしながら走り続けるのが一番早く目的地へ着く。途中で水分補給などを挟みながら走った結果が5時間半。恐らく治療が可能なら、既に済んでいるだろう。それが朗報なのか凶報なのかは、扉の向こうにしかない。
「か、カインは…。」
悠仁がそう口にすると、そのつぶやきが聞こえたのか一人の職員が悠仁の下へやってくる。
「失礼します。冒険者カイン様のお連れの方ですか?」
「は、はい…あいつは…。」
ぐちゃぐちゃの悠仁を見ても落ち着いた様子で職員は続ける。煤と血にまみれた冒険者など、この場所では見慣れたものなのだろう。
「お連れ様が来ることは冒険者ステラ様から伺っておりました。プレイヤーカードを拝見しても?」
「はい、これです。それよりもカインは…!?」
「……はい、簡易的な確認ではありますが、ステラ様から聞いていた情報と相違ありませんね。では、こちらへ。」
どうやら情報の照会ができたようだ。結局聞きたいことに答えてもらえないことにやきもきしながらも、悠仁達は職員の背中を追う。靴音が、磨かれた床に冷たく反響する。
(落ち着け…落ち着け…。)
カインの容体が気になるのは確かだが、自分が取り乱してしまってはどうしようもない。悠仁は深呼吸をしながら胸をどんどんと叩く。激しく動く心臓が鬱陶しい。一つ叩くごとに、最悪の想像を一つずつ追い払う。
そうして悠仁達は、どこの聖堂にもある治療室へ通される。
「……。」
いつ来ても無機質で、清潔だ。天井も壁も白で統一されている。光が差し込んでいるステンドグラスには女神が描かれており、聖堂の中でも特別な場所であることが伺える。空間を捻じ曲げているのではないかと思うほど広い空間には、ベッドが何床も並べられており、その上には多くの冒険者と思しき人が寝かされている。呻く者もいれば、ぴくりとも動かぬ者もいる。そんな人たちの前でも淡々と作業をしている職員を見ると、嫌でも落ち着かせられる。そんな雰囲気が今は気持ち悪い。
「あちらです。」
職員が手を向けた先には大量の医療スタッフと思われる人物がおり、真っ赤になったシーツを何枚も片付けていた。赤いシーツに気を取られて見えていなかったが、その横にはステラの姿もあった。時間がたって少し茶色くなったシーツを見たミーナが走り出す。
「ミーナッ!」
もしかしたら目も当てられない状況かもしれない。そんなカインの姿を後輩に見せていいのか。そんなことを考えているうちにミーナは悠仁の手の届かない場所まで到達し、カインのベッドの横に立つ。そしてそのまま動かない。悠仁はその様子を見て背中から汗が噴き出るのを感じるが、クランマスターとして、何より友としてその姿を見届ける必要があった。
「……。」
足が重い。疲労のせいもあるだろうが、それよりも大きい重しが足に纏わりついているのを感じる。それでも足を動かす。一歩。また一歩。段々と様子が見えてくる。見覚えのある鎧がベッドの横に置かれている。いつも仲間を守ってきた、傷だらけの鎧だ。ベッドに横たわる大きな体も見えてきているが、詳しい様子はまだわからない。ついに悠仁はカインの寝ているベッドの横へ立った。
「………。」
カインの意識はなかったが、胸部が上下しているので、生きているようだった。その一点に、まず安堵する。しかし、カインの体はボロボロだった。普段鎧に隠されていて見たことはなかったが、体中に酷い打撲の跡があり、もはや元々の肌の色がわからないくらいだった。不自然に陥没しているところは骨が酷く折れているのだろう。もしかしたら既に骨がないのかもしれない。切り傷や擦り傷は数えきれないほどあり、今回の戦闘だけではなく、今までカインがどれほど身を挺して仲間を守ってきたのかがわかる瞬間だった。新しい傷と、古い傷の上に重なった傷。その全部が、誰かを庇った跡だ。
(足は…。)
眼球すらも重い。そんなことを感じるのは初めてだった。目の前で仲間の足が千切られたのだ。確認しなくてはならない。悠仁は動こうとしない眼球に無理やり現実を見せるために首を動かして下肢へ目をやる。喉が、からからに渇いていた。
「……ついてる…?」
「はい、ありますよ。」
さも当然のことを話すかのように片づけをしている男性職員が、悠仁のつぶやきに答える。服装からして彼が今回の主治医なのだろう。
その一言で、張り詰めていた糸が、ふっと緩みかけた。
「対応が早かったですね。コルコイ山脈の麓での戦闘とお聞きしましたので、諦観していたのですが、まさかクイーンズリターンで帰還されるとは。資源と資金の使い道をよく把握しておられる方々だ。」
「…それで、彼…、カインの詳しい容体は。」
「詳しい…、ですか。」
男性職員は近くのスタッフに声をかけて紙を持ってこさせる。
「詳しい容体というと、お伝えするのに1時間はかかりますね。少し省略した報告のほうがよろしいかと思いますが、いかがでしょう。」
無言の圧力を感じる。悠仁としてもさすがに1時間容体を聞き続けるのは無理なので、その条件で首を縦に振る。
「ご理解、感謝します。では、報告を。」
男性職員は意識のないカインをちらりと見てから紙に目を落とす。
「目立った外傷は右脚ですね。切断面からみて、恐らく大型のモンスター…。ワイバーンやドラゴンの類に食い千切られたのでしょう。厄介なのが、そのまま歯で噛み切ってくれればいいものを、引き千切っているんですよね。」
確かにカインはワイバーンに噛まれた後、振り回されていた。引き千切られたというのはそういうことだろう。あの光景が、嫌でも瞼の裏に蘇る。
「包丁で切ったように綺麗に切断されていれば治療も楽なのですが、こうなってしまうと大変面倒です。筋肉や血管、神経、骨は不自然な形で体と離れてしまうので治療は難航しました。実をいうと治療が終わったのはつい先ほどの話です。」
言われてみればまだカインの周りは片づけの途中だ。この聖堂の治療室で使われたものがそのままにしてあることなどありえない。それだけ、ぎりぎりだったのだ。
「資金には目を瞑って良いとのことでしたので、数々の魔法薬とスタッフ、魔具を使用してなんとかこの形まで復帰させることができました。いやはや大した生命力ですよ。とりあえず2週間ほど休養すれば歩けるようになるでしょう。」
「2週間…。」
右脚が根元から切断されたのに2週間で済むとは、流石HOPEといったところだろう。胸の奥で、固く握っていたものが少しだけほどける。
「ありがとうございます。うちのメンバーがお世話になりました。」
労いと礼を言われた男性職員は、少し緊張を解いたように話を続ける。
「本当に、対応が早かったのがよかった。クイーンズリターンなんて高価なものは中々使うのに覚悟がいるものなんですが、しっかりと命の価値が分かっている方々でよかった。失われた命は白金貨を何百枚積んでも帰ってきませんからね。…他の外傷は…、確かにひどいですが、脚に比べたら大したことはないでしょう。盾役であればこのくらいの怪我は日常茶飯事です。…では、治療費などのお話をしたいので、代表の方、少しついてきてもらっていいですか?」
「あ、はい。」
治療をしてもらったのだ。しかもそのままでは命を落としていたであろう自分の仲間を、治療費はいくらでも払いきる必要がある。ひとまずカインの命が救われた悠仁はほっとしていたが、再び緊張で背筋が伸びる。「ついてきてくれ」という言葉の、その奥に何かが沈んでいる気がした。アリスもついていく素振りを見せていたが、ミーナが動揺しているためそのままいるように合図を出すと、頷いてミーナの手を握った。
ドアをくぐり、大聖堂のロビーに出る。そのまま横にある部屋へ移動すると、これまた見たことのある応接室だった。真ん中に手ごろなサイズの机と椅子が用意されており、腰かけるように促される。そして一息…、と思った次の瞬間、すぐに声がかかる。
「…落ち着いて聞いてください。」
急にもったいぶったことを言われて悠仁はドキリとする。腰を下ろしきる前に、背中がこわばった。
「はい、何でしょう。」
なるべく平静を装った声を出したが、少し上ずった声になってしまった。
「その場では混乱を避けるために言わなかったことがあります。」
「…なんでしょう…。」
この話の切り出し方はよくないものだ。そう感じながらも聞かないわけにはいかないので、悠仁は覚悟を決めて座りなおす。机の木目を、意味もなく見つめた。
「カインさんの脚ですが、思ったよりも損傷が酷かったです。検査薬で確認しましたが、恐らく相手のモンスターは歯に毒を持っていたことが考えられます。特に体から離れてしまった方の、切断された脚のほうが酷く…。」
「結論をお願いします…。」
「…結論を申しますと、カインさんは現実世界では元の生活を送ることはできません。神経へのダメージが大きかったため、上手く脳からの信号が送られない可能性が高いです。歩行できないわけではないですが、今までのように歩行することが困難になると思われます。走ったりするのは、補助がないと難しいでしょう。」
「……。」
分かっていたことだ。HOPEでの怪我は現実世界にも波及する。脚がなくなれば、現実世界でもなくなるのだ。そして本来であれば脚は既に無くなっており、あと少し遅れていれば命すらもなかったのだ。それでも、頭で分かっていることと、言葉にされて受け止めることの間には、思っていたよりずっと深い溝があった。【それくらい】で済んでよかったというしかない。
「ただ、こちらの世界では問題ないと思われます。ステータスの補正が掛かるのと、鎧やインナーへの魔法付与を行えば支障なく…、いえ、今まで以上に動くことができるようになるかもしれません。冒険者生命が断たれたわけではないのでご安心を。…もちろん本人が続ければ、の話ですが。」
「そうですか…。」
ひとまずこの話を一番に聞いたのが自分でよかったと悠仁は気持ちを飲み込んだ。喉の奥に、苦いものが残る。
「あいつを、カインを助けてくれてありがとうございます。治療費はどのくらいになりますか。」
「いえ、冒険者を助けるのが私の仕事ですから。治療費に関しては詳しいことはわかりません。使った用具や薬品の明細は受付へ渡してあるのでそちらで詳しいことは聞けると思いますが…。」
「…が?」
「決して安いものではありません…。覚悟をしてから話を聞くのをお勧めします。使った薬品の中には2等級や3等級の薬品も数多くあります。並みの冒険者では一生かかっても払いきることのできない額でしょう…。」
「…あいつの命に比べたら安いもんですよ。脚のことも、自分たちが支えになってやればいいんですから。」
迷いのない声だった。自分でも意外なほど、すんなりと出た言葉だった。それを聞いた男性職員は驚いた表情を浮かべた後に、ふっと笑う。
「彼はいい仲間を持たれた。この話を聞いてもそう言ってもらえるのならば、次も喜んであなた方を守ってくれるでしょう。最高で最強の盾として。」
「もちろんです。うちのカインは、最高で最強ですから。」
悠仁は立ち上がって部屋を出る。そのまま受付に向かうと、そこには場に似つかわしくない格好の人物が立っていた。




