対ワイバーン⑧
「ぐぁぁああああああぁあ!!」
直後に響き渡る悲鳴。大腿に深々と噛み付いたワイバーンが、首を一度横へ薙ぐ。引き千切る、というより捻り取る動作だ。股関節のあたりからごっそりと右脚を持っていかれたカインの巨体が、糸の切れた人形のように空中へ放り出される。受け身も、体勢の立て直しもできない。重い鎧の音を引き連れて、カインはそのまま地上へ落下した。
ゴッ、と鈍い音。
「くそっ!!アリスッ!」
「はいっ!」
悠仁とアリスが同時に走り出す。パーティーの盾がいなくなったのだ。後ろに固まっている必要はない。視界の端で、ステラが悠仁の指示を待たずに援護へ回っているのが見えた。さすがに状況の読みが早い。
「あ…あぁ…。」
ミーナが顔を真っ青にしてこちらを見ている。唇が震えて、それ以上の言葉にならない。
ドッ!
その絶望を加速させるように、ワイバーンは口にくわえていたカインの右脚を、よりにもよってミーナの目の前に放り投げた。鎧の脛当てごとの、見間違えようのない脚が、湿った音を立ててミーナの足下に転がる。
「ミーナさんっ!」
フルールが走り出してミーナの体を攫う。直後、ミーナがいた空間をワイバーンの翼が凄まじい勢いで通り抜けた。風圧だけで草が薙ぎ倒される。あと一拍遅ければ、ミーナの胴は両断されていただろう。
「しっかりしてくださいっ!」
「あ、脚が…。カインの…。」
ミーナの目はワイバーンを見ていない。地面に転がったそれと、その先で倒れた男だけを見ている。悠仁とアリスに囲まれたカインが倒れている。大腿の付け根からは夥しい量の血液が流れだしており、土を黒々と染めていく。明らかな致命傷だ。
「カインさんっ!」
「カインッ!」
「ヒュ…ヒュッ……。ぁぁぁ……。しくじっちまった…くそ…。どうなった…。」
激痛からか、カインの呼吸が不安定になっている。短く、浅く、喉だけで息をしている。どうやら自分の状況も理解できていないようだ。なくなった脚へ手を伸ばそうとして、そこに何もないことにも気づいていない。
「動くなよ…動くな…。アリス、早く治療を…。」
声が、自分でも驚くほど低く掠れた。
「は、はい…。我を導きし女神よ 貴女の僕たる私に力を 彼の者に寧謐と翠華を さぁこの身を以て爽癒と為せ」
アリスは短剣で自分の手首を刺す。先ほどミーナに行った回復魔法と同じ詠唱だったので、きっと同じ魔法なのだが、手首から流れる血液の量が先ほどの比ではない。ボタボタと流れ続ける血液を、惜しむ素振りも見せずカインの傷口に振りかけていく。自分の血の気が引いていくのにも構わずに。
「ディ…ディバインヒール…。」
苦しそうな声で魔法名を口にすると、ミーナの時よりも強い、プロテクションが凝縮されて目の前にあるかのような光が傷口を包む。零れ落ちていた血が、見えない手に押し戻されるように傷口へと吸い込まれていく。
「うっ…。」
アリスの体が傾く。膝が砕けるように地面へ向かう。
「アリスッ……。」
悠仁がその体を受け止める。腕の中のアリスは、驚くほど軽く、そして冷たかった。4小節の回復魔法であることに加えて、自身の血液も相当量使い、注ぎ込んだ魔力の量も半端ではないだろう。こうなることも無理はない。むしろ、よくこれだけ保ったというべきだ。
【ほぅ。窮地、といったところだのう。】
悠仁の脳内に声が響く。
「あぁ…。その通りだ…。」
悠仁が目を動かせば、そこに映るのは瀕死の盾。消耗しきった回復役に、戦意を削がれてしまった前衛。すぐに動けるのは、前衛一人と後衛2人といったところか。最悪に近い。悠仁はアリスにマナポーションとササリの葉を飲ませる。喉を通りやすいように、背中をそっと支えてやりながら。
「あ、ありがとうございます。」
「いい、気にするな…。今は休んでくれ…。」
アリスが動けるようになるまでに数分はかかるだろう。それまではダメージを受けることがあってはならない。たった数分が、果てしなく遠い。
「どうすればいい…。」
【そうじゃのう…。まずはそのデカブツを眠らせるところからじゃな。】
「ワイバーンをか?」
【違う違う。その男じゃ。寝かせておけば多少体力の減少が抑えられるじゃろうて。】
「そういうことか…。ステラ!」
「っと!はいっ!」
何か自分に補助魔法を付与しているのか、足が緑色に光っているステラが悠仁に返事をする。銀白の長髪が、跳ねるステップに合わせて揺れた。
「何か眠らせるスクロールを持っていないか!?」
「あぁ、ええと…。これなら…!」
軽快なステップで悠仁の傍まで走ってきたステラは、星をかたどった魔女帽子のつばを片手で押さえながら、2枚のスクロールを悠仁に向かって投げる。
「綺麗なのがスリープ、古めかしいのがサンドマンです!先にスリープからっ!」
「サンドマン…?」
何のことを言っているか理解するのに少しかかったが、スリープが魔法名なので、サンドマンも魔法名なのだろう。悠仁は綺麗な方のスクロールの封を解いて、魔法名を口にする。
「スリープ」
「う…うぅ…。つぅぅ…。くふっ…。はぁ…。」
カインにかけているが、どうにも効果がないようだ。相変わらず苦しそうな声が口から漏れている。原因はいくつか考えられるが、決定的な確証はない。痛みが眠りを上回っているのかもしれない。
「カイン、これを…。」
あまり飲ませることはよくないとされていた鎮痛剤。こういった場面でもないと使うことはないだろう。悠仁はカインの口元まで小瓶を持っていき、それを流し込む。
「う…ごはっ…。」
「飲んでくれ…頼む…。」
意識は朦朧としているのだろう。準備ができていなかった喉は流れ込んでくる液体を拒絶した。吐き出してしまったものは仕方がないので追加で口へ流し込むと、次はスムーズに飲み込んでくれた。喉仏が、ゆっくりと一度上下する。
「ゆ…悠仁…。すまねぇ…。」
「いい…気にするな…。今は休んでいてくれ…。」
「すまねぇ…。すまねぇ…。いてぇ…。」
謝罪と痛みを交互に漏らすその声を聞いているのが辛い。一向に眠りにつかないカインを見て、悠仁はもう一つのスクロールを解く。
(サンドマンって言ってたか…?)
便利なスクロールも魔法名を口にしなければ発動しない。ある種の安全装置を担っているのだ。
「サンドマン」
悠仁がその名前を口にすると、何もない場所から砂が生まれ、カインの顔にサラサラとかかっていく。瞼の上に、頬に、薄く積もるように。
「暗いな…。」
そんな言葉を口にしてカインの体から力が抜ける。どうやらスリープよりも上位の睡眠魔法だったようだ。荒かった呼吸が、ようやく穏やかになる。悠仁はカインの体を地面に横たえて立ち上がる。
「これからどうすればいい。」
【どうすればといってものう。戦力差は圧倒的じゃ。何か決定打があれば考えられなくもないが…。】
「決定打か…。アリス、収納触ってもいいか?」
「え?はい、どうぞ。」
了承を取って、悠仁は横で休んでいたアリスの収納からあるアイテムを取り出す。
「あ、弱見の。」
悠仁がアリスの収納から取り出したのは弱見の水晶。悠仁はそれをワイバーンのほうへ向けてのぞき込む。水晶越しに、巨体が淡く色づいて見える。
(この色は…。)
水色よりも白い。冬の湖に反射した雪のような色がワイバーンを包んでいる。指先が、無意識に水晶を握りしめていた。
「そうか。」
「悠仁さん、あれの弱点属性は。」
「水…、その中でも氷だ。」
「氷…。」
水属性魔法の中でも氷が弱点だということが確認できたが、そもそも氷を発生させる魔法は限られている。悠仁も2種類程度しか覚えていない。しかもそのどちらも、あの巨体に通るほどの威力はない。
【クラック、聞いたことないか?】
「クラックってあの最初の…。」
突然話し出したタバルに少し戸惑いながらも悠仁は返事をする。クラックとはメイジが最初から覚えている魔法のことだ。空気中で少しポンッと弾けるくらいの魔法で、大した攻撃力はないため、使っている冒険者はほとんどいない。役立たずの代名詞のようなものだ。
【あれは本来単体で使うものじゃない。我々のようなウィザードが上手く使うことで効果のあるものなんじゃ。】
「…で、それが関係あるのか?」
【あるから言っとるんじゃ…。普通の魔力量でアイススピアを発動してみぃ。】
「……。」
意図は読めないが、今までタバルの言っていることに間違いはなかった。悠仁はその言葉を信じて詠唱を始める。
「水よ 槍持たぬ我の槍となり 我らの敵を討て」
【それでいい。溜めろ。】
「!?」
そのまま発動すると思っていた悠仁は、魔法名を口にしようとしていたが、口を噤んでそれを回避した。そのまま杖に魔力を送り込んで飲み込む。喉元まで出かかった魔法名が、胸の奥でつかえる。
【今度は全力でスパークを使え。1小節の魔法じゃ、全力で魔力を注ぎ込むのじゃ。】
多小節の魔法であれば、否が応でも魔力は消費していく。小節が多いため、魔力を注ぎ込むのはそんなに大変ではないし、むしろ調子に乗って注ぎすぎないようにしなくてはならない。逆に1小節の魔法は、その節しか口にできないため、逆に魔力を注ぎ込むのは難しくなる。
「弾けろっ!!」
腹から声を出して、その言葉に魔力を注ぎ込む。今自分にできる最高の技術で。
【それを同時に発動するのじゃ。アイススピアを先にしてな。】
「…。」
何を言っているのかはわからないが、素直に従っていく。そういった工夫をしたことはない、ここで頭を使っても仕方がないのだ。今は、信じる。
「アイススピア」
悠仁の頭上に4本の氷の槍が出来上がる。数も、大きさも、鋭さも、全て平均的だ。すかさずクラックを発動する。
「クラック」
幸か不幸か、ただ偶然に、もしかしたらタバルの狙い通りだったのかもしれないが、射出されるその瞬間、アイススピアの後ろで強く圧縮された空気が、弾けた。
パァァンッッ!!
一斉開始の競技で使われるスターターピストルの十数倍の音が鳴ったと思ったら、そこに氷の槍はもうなかった。鼓膜を殴りつける衝撃に、悠仁は反射で目を閉じてしまう。
「は?」
反射で目を閉じてしまった悠仁の目が見たものは、深々とワイバーンの腹に突き刺さっている氷の槍だった。
【まったく…。誘導式の魔法なのだからしっかり見とかんとずれるじゃろう…。でもまぁ、幸運にも1つが当たったようじゃな。】
人間を超えた反応のできるワイバーンに通用すると思わなかった魔法が、しっかりと効いている。どんな手品を使ったのかはわからない。使った本人がわかっていないのだから。少し離れた場所で、フルールも驚いて振り向いている。
『ギエェェェエエェェエエエッッ!!』
見えている長さからして相当な長さが体の中に入り込んでいるだろう。叫び声を上げてしまうのも仕方がない。しかし…。
ググッ!
ワイバーンの目に力が入る。赤色の瞳がさらに赤く光ったように見えた。
(?)
それがどんな意味を持っているかわからないが、嫌でもそれを分からせられる瞬間が訪れる。
ゴォォッ!!
ワイバーンの首が赤く光り、腹が膨らむ。喉の奥で、何かが燃えるような音がする。そして何より目立つのが。
「ターゲットを引いたかっ…!」
視線がこちらを向いていることだった。今までアリスの回復を待っていたり、カインの治療をしている間、前衛の2人とステラでワイバーンの気を引いていてもらっていたが、ついにそれが起きた。ダメージ量とヘイトから、まだこちらにターゲットが向くことはないと思っていたが、アイススピアが相当効いたようだった。
悠仁はアリスとカインを巻き込まないようにその場を去ろうとした。眠るカインと、まだ立てないアリス。あの火球を、二人に近づけるわけにはいかない。
「アクセラレーション!」
アリスもそれが分かっていたからか、悠仁に速度上昇の魔法をかける。相変わらずの判断速度だ。軽くなった体を動かしてこれからの回避行動について考えていると。
「!?」
悠仁の表情と体が驚きで固まる。
(こっちを向いていないっ…!)




