対ワイバーン①
――コルコイ山脈からカシュカントへ2km地点
「っ……。」
悠仁は突然の出来事に体が固まってしまう。今までいた50人近くの人間がいなくなっていたのだから仕方のないことだろう。誰だってこんなことが起きれば体が固まってしまってもおかしくない。
つい数秒前まで、確かに居た。退屈そうに槍の石突きで地面を突く者がいて、行軍の愚痴を零す者がいて、悠仁の指示にぞんざいに頷いた者すらいた。それが、いない。
(なんで…さっきまで一緒に…会話だって…。)
消え方があまりにも不自然だ。全てが幻のように無くなっていればそれこそ幻覚で済む話なのだが装備だけを残して消えているところを見るととてもじゃないがただ事ではないことがわかる。芝の上に、誰も着ていない胸当てがぽつんと伏せている。槍が一本、支えを失って倒れ込む。その乾いた音だけが、やけに大きく響いた。しかしそれを後回しにしなくてはならない危機が迫っていることを忘れている悠仁ではない。
(今はっ…!)
前方を見つめる先ほどよりも確実に大きくなっている影。繁殖期に大量の家畜が目の前にいれば襲ってこないわけがないだろう。だが討伐に来たこちらからすると探す手間が省けて手っ取り早いとも考えられる。
そう自分に言い聞かせても、近づくにつれて影が空の面積を喰っていく感覚は拭えない。
「かっ……いや、アリス!あいつを止めてくれ!」
「わかりましたっ!」
相手は人間からすれば巨大だ。それが高速で突っ込んでくるのであればカインだけで止めるのは厳しいだろう。こういう時にはアリスの防御魔法に頼るのがいい。
「形あるもの全て壊れる だからこそ今が輝こう 其の担う役は私を守る事 さぁそれが今だ」
アリスは杖の先で地面をコツンと叩いてタイミングを計る。杖の上部に据えられている宝玉からは淡い輝きが漏れ出している。ワイバーンの体躯は巨大でその動きはゆっくりに見えてしまうが速度は嘘をつかない。そのまま運動エネルギーを先頭にいるカインに叩きこもうとしているのは明白だ。メンバーまだ聞いたことのないその詠唱を聞き終え発動を待つ。
「クランブルウォール!」
アリスが魔法名を高らかに口にすると地面からパキパキと氷柱が生えてくるかのようなビジュアルで壁が出来上がっていく。空気中のマナが硬質化して壁を作り出しているのは間違いないだろう。あっという間に出来上がってくるその壁は悠仁達の前に立ちはだかる。
(完璧だ。)
このタイミングであれば避けることは困難だろう。アリスが選択した魔法である、崩れることは考えにくい。つまり持っている運動エネルギーが全て自分へ返ってくることになる。さすがにワイバーンもこの速度で地面にぶつかったような状態になれば軽傷で済むはずがない。
『…!』
目の前に突然できた壁、離れていてもその動揺は見て取れた。綺麗な直線を描いていた軌道はぶれている。だがそう予定通りは進んでくれない。ワイバーンが壁にぶつかろうとするその時。
ブォォォッッ!!!
強風が吹き荒れる。地面は綺麗な芝だったがそれが巻き上がりその下の土が煙になるほどの風だ。幸い壁のおかげで風が直接当たることはなかったがそれでも肌に感じる空気の流れはその力を物語っている。悠仁の頬を、生暖かい風の壁が叩いて過ぎていった。
ドンッッ!!
直後の衝突音、土煙で姿が見えなくなっていてもワイバーンが壁に衝突したのは確実だった。しかし不可解な点がある。
(あの速度でぶつかったとしたらこの衝撃はおかしいだろう…。)
実際に見ていた速度で物が壁にぶつかったところを見たことがあるわけではないが、衝撃の予測くらいはできる。壁の反対側に衝撃が来ることはないが、音や壁が触れている地面からの衝撃は届くはずだ。しかしそれも弱弱しいものだった。足の裏に来るはずの揺れが、こない。何が起こったか不安に思っているとプロテクションよりも透過性の悪い壁の向こうで土煙が強風で吹き消されるのが見える。
ブワァッ!!
風が巻き起こり土煙は吹き飛ばされ、アリスの作った壁が崩れ落ちる。アリスが驚いたような顔をしていないので恐らくこれが効果時間なのだろう。土煙の向こうには無傷のワイバーンが立っていた。爬虫類特有の鱗状の肌に、鋭い眼。蝶のように胴体と不釣り合いなほどに大きな翼に鋭い爪が生えた手足、前情報通りの茶色の体。
衝突の寸前に、自ら羽ばたいて速度を殺したのだ。壁を見て、ぶつかる愚を一瞬で計算した。獣ではない。そのことを、悠仁は鱗一枚傷ついていない胴を見て理解する。
「へっ、ドラゴンよりも随分ちいせぇな。」
「中々やるじゃない。」
ドラゴンを見た事があるカインが鼻で笑い飛ばす。とはいうものの、それは人間よりも遥かに大きい。どう考えても並の冒険者で太刀打ちできる相手ではないだろう。
『グルルルルルル……。』
高出力のスピーカーが低音で空気を揺らすように体を揺さぶられる。喉の奥から漏れるその音は、可聴域というより内臓に直接響くようで、悠仁は無意識に奥歯を噛みしめていた。
「悠仁さん…。」
「あぁ、敵さんも準備万端みたいだな。…フルールとミーナは左右に展開!状況応じてカインの援護を!カインはここに残っている俺達の盾だ!特にアリスへの攻撃は何があっても防げ!」
「あいよ!任せとけ!!」
「フルール、そっちお願いねっ。」
カインが盾と大剣を取り出して足を広げ、守りを固める。ミーナから声をかけられたフルールは向かって左方向へ走り出した。走っている途中で手に持った短剣が白く輝いたので恐らくステラからもらったマジックシャードを使用したと見える。同様にミーナも右から回り込んでいる。ミーナの武器に関しては属性付与をしてエフェクトが出てしまうと、折角見えなくなる刃が見えてしまうので使わないことは今までにもあったので今回もそうなのだろう。そしてそれらを追うようにワイバーンの瞳は左右バラバラにぎょろぎょろと動き始める。ワイバーンが大きいせいで短く見えていたが、実際のワイバーンとの距離は50m程、それを一瞬で詰め切って攻撃を開始する。
「ふっ。」
フルールが短剣をワイバーンの体に突き立てる。茶色の体をしているワイバーンの弱点である雷属性、そしてフルールの魔力を注ぎ込んだ短剣による一撃、しかもそれは同時に攻撃を仕掛けたミーナの微かな陽動によって完全に決まった。フルールの持っている短剣のサイズではワイバーンのような大きな体のモンスター相手だと急所を狙わない限り致命傷を負わせることはできないが、それでも痛い傷を負わせることは十分にできると思われた。
ギギッ…。
「うっそっ!」
『ガァァァアア!!』
フルールの驚嘆した声が響く。短剣の刃はほんの数ミリしか鱗に傷を負わせることができず、ワイバーンの反応からするにダメージはほぼ通っていないと思われる。弱点属性を、魔力を、陽動を、全て噛み合わせて、それでこれだ。攻撃が脅威ではないと判断したワイバーンはフルールを捕食するように素早い動作で頭を丸齧りしようと首を動かす。
「っく…!!」
「わっ!とっ!」
それから逃れるような、ワイバーンの首の動きを超える速度でのバックステップ。仮にそこに悠仁がいたら避けることができないだろうと思うくらいの速度だった。確実に体に負担のかかる速度だ。ワイバーンが体を捻ったことによって尻尾が陽動をしていたミーナの方向へ鞭のように動き、寸でのところで回避をしていた。
バチンッッ!!
まるでギロチンが落とされたかのような金属音が悠仁の場所まで届いてくる。50mも離れた場所に届くほどの音量、そして金属音。それがどれだけの威力を持っていて、どれほど硬質な牙であるかが音だけで伝わってくる。カインならまだしも、軽装であるミーナやフルール、そしてローブ職がその牙の餌食になったらそれだけで治癒不能な損傷を受けることは目に見えている。
牙がかすめた空間に、まだ熱が残っているような気さえした。
「打撃はともかくあれだけは絶対にもらうな!!」
「わかってる…っての!!」
軽快な動きで避けた尻尾を蹴り、空中へ跳んでいたミーナが力を込めた返事と共に落下し、尻尾に向かって短刀を突き立てる。ミーナが装備している黒蜃は薄氷のように冷たく、鋭い。フルールの短刀と違い魔力を宿すことはなく、物理攻撃に特化した武器だが切れ味は抜群だ。その証拠にミーナの全体重を乗せた刺突はワイバーンの尻尾に突き刺さっていた。
『ギェェェェァァアアアアア!!』
流石にダメージが通ったのは確実だ。ワイバーンは悲痛な叫びと共に尻尾をしならせて振り、それに乗っていたミーナを吹き飛ばす。
「ほっと…!」
曲芸師のように宙を舞い、ワイバーンから少し離れた場所へ着地する。自身にダメージを与えたミーナのことを憎悪の眼差しで追っていたワイバーンはそのタイミングを見逃さず、ヘイトが稼ぎやすいカインではなくミーナへターゲットを移して攻撃をするモーションへ移行した。その口からは炎が漏れ、火炎による攻撃を使用としているのは明らかだった。それの射程がどのくらいかは分からないが、ミーナに攻撃をしようとしているところを見ると20m範囲でなら通用するようだ。
「それは流石に困るってのっ!」
ミーナはすかさず収納から何か丸いものを取り出して地面へ叩きつける。
ボンッ!!
遠目からではその正体は分からなかったが小気味いい音と共に煙がミーナの体を包む。黒煙ではなく、灰を巻き上げたような灰色の煙だがミーナの体を覆い隠すには十分な量だった。そしてミーナの体が見えなくなって数秒、観客からの反応を急いだマジシャンがショーを早く進めるかのように風が吹き、煙を流し去る。それに対する知能は持ち合わせているのだろう。ワイバーンは煙が流れ去る場所へタイミングを見計らって攻撃を放つ。
ゴォォォォァァァア!!
輻射熱で離れた場所に居る悠仁達にまで伝わってくる熱量。ミーナの新しい装備がどれほどの耐性を持っているかは分からないが、正面から受ければただでは済まないことは誰もがわかっていた。そしてそれを最も分かっているミーナが起こした行動だ、誰も不安には思っていない。
ボゥッ!!
ワイバーンの口から放たれた火炎が地面を焼き、地面との接触によって生じた音が聞こえてきたがどう聞いても地面との接触によるものだった。
『…!?!?』
動揺したワイバーンは火炎での攻撃を中断して辺りの確認を行うが、そこにミーナはいない。どこにいるかというと。
「ふぃー、危ない危ない。」
「ひぁぁあ!!」
アリスの後ろである。突然背後から声が聞こえたアリスは悲鳴を上げる。ミーナが攻撃を避けたとは思っていたのだろうが、自分の後ろに来るとは思っていなかったのだろう。離れた場所から広い視野で戦闘を見ていた悠仁達でさえ気づくことができない移動、ミーナは自身が陰に包まれた時に特殊な移動方法によって近くにある陰へ移動することが可能だ。どういった原理なのか仲間である悠仁でさえ教えて貰っていないが、これは条件付きとは言え敵からすれば凶悪だろう。
「ちょっとぉぉぉ…ミーナちゃぁぁん…。」
「あぁごめんごめん。」
いつも通りの非難の声と、いつも通りの謝罪の声が聞こえる。ミーナがアリスにいたずらを仕掛けたときによく見る光景だ。いつもであればそれが普通なのだが、戦闘中に聞くと浮世離れして聞こえる。
その軽口が、逆に肌を粟立たせた。それだけの余裕を見せなければ、押し潰されてしまう相手だということだ。
バンッ!!……ヒュォォ!!…ドンッ!!
戦闘音が聞こえたので悠仁がワイバーンに意識を移すと、ミーナが逃げるだけの時間を稼いでいたのだろうフルールがミーナから移行されたターゲットを受け続けていた。以前ならこういった光景が広がった瞬間に、カインが前へ出てターゲットを引き継ぐところだが、今回の悠仁の指示は「何があってもアリスを守れ」というものだ。焦らず、冷静に、慎重に考え、行動しているのは悠仁にも伝わってくる。その証拠に、カインの意識が前方のワイバーンだけではなく後方のアリスにまで届いているのを悠仁は肌で感じていた。
「…………ふぅ。」
カインが小さく息を吐く。盾役がこれを為すには信頼がものをいう。フルールであれば自分が出なくても相手の攻撃を何とかすることができる、そう信じているのだ。仲間が削られていく光景を、出るなと縛られたまま見続ける。それがどれほど胃を焼くか、悠仁にはわかる。
「ふっ…はっ…つぅ…!!」
カインの目に映っているのは激しく、軽快な陣取り合戦のようなダンスだ。ワイバーンの動きに慣れてきたのだろうか、フルールは一流のプロボクサーがスウェーで相手のパンチを躱すように攻撃を避けていた。肌が見えている部分には赤く、細い筋が無数に見えているが恐らくワイバーンの攻撃が掠ったものだろう。ギリギリで攻撃が命中しそう、そう思わせているからこそワイバーンの意識はフルールに集中している。
掠るたびに一本、また一本と赤い線が増えていく。あれは「躱せている」のではない。「躱し続けなければ即終わる」綱渡りなのだと、悠仁の喉が干上がる。
「っと、私ももう一回行ってくるっ!そっちはガンガン攻撃しちゃっていいからっ!」
そう言い放ち、ミーナは再度ワイバーンに向かって走っていく。最初もそうだったが、軽装で、速度特化のミーナの動きはさながら風である。大きな空気の揺れもないのに常人を超えた速度で突進していく。ワイバーンも広い視野を持っているらしく、フルールに攻撃を仕掛けていた手を止め、ミーナの対応をし始める。
(さて、こっちも攻撃をしないとな。)
攻撃の流れを変えるのは時に危険を伴う。それもあり、ローブ職の2人は悠仁の行動を待っているのだろう。それを感じ取った悠仁はタバルの魔導書を開いて詠唱を開始する。
クランブルウォール(魔法)
4小節の神聖属性魔法。プロテクションと同様に空気中のマナを硬質化させ、自身の魔力操作で無理やり結合させることで壁を作り出す。プロテクションよりも効果時間がかなり短いが、生成までの時間がやや短く、時間を引き換えにプロテクションよりも多くのダメージを防ぐことができる。バラバラのガラスを無理やりくっつけたようなビジュアルをしているので、視認性はプロテクションやユニラテラルカーテンに比べて悪い。
影渡り(スキル)
くノ一のみが使用することのできる戦闘スキル。自身を陰で覆いつくした時に発動できる。使用者の熟練度や、ステータスに依るところが大きいが、近くの陰に移動することができる。くノ一の追加特性として暗闇では「隠密」の特性が強化され、一時的ではあるが相手の索敵に著しく引っ掛かりにくくなる為、それを利用して移動を行う。夜間やダンジョン、洞窟の中では容易に発動することができるが、日中では何とかして体全体を陰で覆い隠す必要がある。影渡り後の数秒間、攻撃には追加ダメージが付与される。




