フレンド
――ヴァリエスタ 酒場「栄光の杯」
栄光の杯は、大通りに面している酒場だ。西部劇に出てくるような木造の建物に、木のテーブルや椅子、そして食器類。ジョッキまで樽材で作られているのだから凝っている。現実世界でこんな店は見たこともない。
扉の前まで来ると、木の壁越しにもう店内のざわめきが聞こえてくる。長年の客に磨かれた扉の取っ手は角が取れて鈍く光り、足元の敷石は入り口の一箇所だけ浅く窪んでいた。何万人の靴底がここを踏んだのだろう。開店から今日までの時間が、建物のそこかしこに素直に積もっている。
カインが先に着いていないか、入り口付近できょろきょろしていると。
「お好きな席へどうぞー!」
ウェイトレスの元気な声が投げかけられる。手をひらひらさせながら店内を見回し、カインが着いていないことを確認してから、端の方にある空いている席に着く。他にも確実に確認する方法はあるにはあるのだが、いちいちそれをするのは面倒なので、結局は目視で見つけることになる。
この街はリットリア領にある大都市「ヴァリエスタ」。
通称「始まりの街」と呼ばれている。理由は簡単、新規利用者が一番初めに送られるのがこの街だからだ。
そのため初心者プレイヤーを中心に、かなりの人数がこの街を拠点としている。そんな理由で、どこも酒場といえば大混雑だ。まだ明るいが、現実世界ではもう社会人の仕事が終わる時間である。もともと広くないこの酒場も、人でごった返しているため更に狭く見える。
店内には蜂蜜酒の甘い匂いと揚げ物の油の匂い、それに革と鉄の匂いが層になって漂っている。今日の稼ぎを自慢する声があり、装備の値段を嘆く声があり、明日の狩場を相談する声がある。テーブルの木肌はどこも杯の跡と刃物の傷だらけで、それが妙に落ち着くのだから不思議だ。隅の卓では古株らしい男が、飲む前に杯を少しだけ傾けて一滴を床に落としていた。誰も気に留めないし、悠仁も理由を知らない。ただそういう仕草をする人間を、この街の酒場では時々見かける。
(今日はどこへ行こうか。街の近郊でモンスターを狩ってドロップ品の収集をするのもいいし、露店商から依頼を受けて生産の材料を取りに行くのも良い。組合にクエストを受けに行くのもいいな。)
席から店内を眺めていると、パーティーごとの色のようなものが見えてくる。地図を広げて真剣に囁き合う一団もあれば、もう出来上がって歌い出しそうな一団もある。壁際の席では一人客が黙々と装備の手入れをしていて、その手つきの慣れ方だけで場数が知れた。同じゲームの中に、人の数だけ過ごし方がある。
悠仁が今日の予定をあれこれ思案していると、入り口付近から声がかかる。
「悪い遅くなった!」
一人の大男が、ガシャガシャと音を立てて近づいてくる。ボロいが全身鎧で固めた、見るからに前衛職のこの男が、悠仁のフレンドであるカインだ。亜人の証として、その頭には可愛くもない耳がついている。
「いや、俺も今来たところだよ。」
「うわ…キモ…」
悠仁の返答を聞いて、カインは明らかに顔をしかめる。失礼な奴だ。
「その反応はおかしいだろ…」
「いやだってなぁ…」
「まぁいい、座れよ。」
同じパーティーメンバーで、これからの予定を話し合うのに片方が立っているのはあまりにも不自然なので、座るように促す。
「おう、あ!お姉さん!こいつと俺にハニー酒をジョッキで!」
「はーい!」
カインは席につくやいなや注文を始める。
「いや、まてまて。」
「あれ?お前ハニー酒嫌いだったっけ?」
そういう問題ではない。
「いや、そうじゃないけど、今日の稼ぎも出てないうちから酒はまずいだろ。」
ゲーム内での酒は多少の酩酊感を味わうことが出来るが、体内にアルコールを取り込んでいるわけではないので、あくまで擬似的なものだ。量にもよるが大抵の場合、気合を入れればあっという間にしゃきっとすることが出来る。だが、アルコールに酔いを求めないで飲む人間がいるのだろうか。
それでも酒場が毎晩満員になるのだから、みんなが買っているのは酔いではないのだろう。一日の終わりに誰かとジョッキを合わせる口実。それはたぶん、現実の居酒屋で売られているものとそう変わらない。
「まぁいいじゃねぇか。それで、今日はどうするよ。」
「俺も悩んでたんだけどな、例えば…」
先ほどまで思案していた案を提案してみた。
「なるほどなぁ…、俺もお前も金欠だしなぁ…。ちょっと稼ぎたいよな、せめて月額利用料くらいは。」
ALGOは最新鋭の技術を使い、このゲームを開発・運営している。仮想世界へ意識を送り込むという点にかけては他の追随を許さず、まさに独占状態だ。そもそも、このような技術を持っているのはALGOだけである。
競争相手がいないためか、はたまた運営資金が莫大なのかは知らないが、月額利用料は日本円にして約10万円。一介のサラリーマンには少々痛い金額である。それでも全プレイヤー数は2000万人を越え、特にアジア圏のサーバーは人数が多い。それだけこのゲームが人気ということだろう。
「俺たちのレベルじゃ、コツコツ稼いでいくしかないだろ。」
「このままじゃ新しいスキルもとれねぇよ…」
そう、このHOPEの世界ではスキルの習得にもお金がかかる。厳密にはゲーム内マネーだが、聖堂で行われるスキル習得試験及びスキルレベル認定試験を受けなければ、スキルを習得することもスキルレベルを上げることも出来ない。レベルが上がるごとに、試験料も上昇していく。
金がなければ強くなれず、強くならなければ金は稼げない。どこの世界でも聞いたような話だが、ここではそれが命の話と地続きになっている。だからこそ酒場では、今日をしのいだ者同士の杯がよく鳴るのだろう。
「じゃあ今日もモンスター狩りをして稼ぐか。」
「いいねぇ、腕が鳴るぜ。」
大方の行動方針が固まったところで、酒が運ばれてくる。現実世界の大ジョッキどころの大きさではない。日本とアメリカで同じLサイズに違いがあるように、ここでも同じ大ジョッキという名称だが、大きさにかなりの違いがある。
卓に置かれたジョッキは樽材の側面がしっとりと冷えていて、注ぎたての蜂蜜酒が琥珀色の泡を立てている。甘い香りが鼻先まで届いた。運んできたウェイトレスは空いた手で隣の卓の注文まで受けて、人混みの間を器用に戻っていく。この混雑を毎晩さばいているのだから大したものだ。
「お待たせしましたー!ハニー酒ジョッキ二つです!」
「よっ!待ってました!」
「やれやれ…」
相変わらずのお調子者感を出していくカインを見ていると眉間に指を当てたくなってくるが、一人でいると静かになってしまう悠仁は、この勢いとノリに何度も助けられている。だから、嫌いになれない。
思えば現実でも似たようなものだ。職場では必要なことしか喋らないし、飲み会では聞き役に回る。それで困ったことは特にないが、こうして向かいの席で誰かが勝手に騒いでくれる時間は、自分では作れない種類のものだった。ゲームの中でくらい、と思って始めた付き合いがいつの間にか、一日のうちで一番肩の力が抜ける時間になっている。
「さぁYuji!今日の快勝の前祝いといこうじゃないか!」
「あいよ。まぁ、死なない程度にいこう。」
ガッ!
力強くジョッキを合わせ、これからの勝利に乾杯をする。
ぶつけた樽材のジョッキは見た目より重く、蜂蜜酒が縁から零れて手の甲を濡らした。死なない程度に、という言い回しをこの世界の人間は冗談の顔で使う。冗談の形をしていないと口に出しにくいことを、みんなどこかで知っているからだろう。悠仁も笑いながら言う。笑いながら、毎回きちんと本気で言っている。
そういえば、現実で最後に誰かとジョッキを合わせたのがいつだったか、悠仁は思い出せなかった。
(さて、どこへ行こうか。)
悠仁はジョッキに口をつけながら、目的地を思案していた。




