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船上の不安②

「…アリスは、戦争を見た事あるか?」


沈黙に耐えられなくなって悠仁が口を開いた。


「少しだけ。ただ、私が見た時には冷戦状態みたいであまり大きな戦争が起きていたわけじゃなくて所々で小競り合いが起きていたくらいです。街はそんなにピリピリしていませんでしたし、あまり戦争って感じはしませんでした。」


「そうなのか。」


てっきり常に大規模な戦争をしているかと思ったが激化したのはここ最近のようだった。


「大規模な戦争ってどんな感じなんだろうな…。」


「私にもわかりません…。ですが…、きっと…。」


「そうだな…。」


凄惨な光景が脳裏をよぎる。間違いなく想像の上をいくのだろう。そして確実にそれを目にすることになるだろうことも想像がついた。


「そういえばセダまで1日だそうですね。」


「さすがに流れに逆らって進むんだからそれくらいかかるか。」


地図上ではそこまで距離がなかったが川上に向かって風の力以外を使わずに進むのだから仕方のないことだろう。別にこの時間は異常なものではなく正常なようで、それ相応の施設が船内には用意されている。客室はもちろんのことバーや、食事処が3つほど入っていた。


「カシュカントってどんな場所なんだ?」


「そうですねぇ、トラングによく似てますよ?というよりもトラングがカシュカントを真似たんですけどね。」


「あー、やっぱりそうなのか。」


カースゼス領はセダの属領だ。現在の領民もそこから流れていることが大半なようで、もともとカースゼスの土地に住んでいた人間はもうそう多くはないようだ。開放的な国というのは得てしてそういう物である。


「ただ川が見えるところはほぼないですね。『川の上に橋があってその上で生活している』っていうのがはっきりわかるのはトラングがまだ整備されていないからだと思います。」


「カシュカントは違うのか?」


「カシュカントはかなり整備された街です。それこそヴァリエスタと同じくらい。上下水道はほぼ整備されていますし、軍事力はかなり大きいですし、経済も良く回っています。」


「確かに経済的にはかなり有利そうだ。」


セダ領の西、ハーダリアとの領境は大半が山脈になっている。つまりハーダリアもセダを攻撃するには大きく北東へ迂回するか山脈越えをしなくてはならないのだ。そしてセダと言えば『大陸中央』と呼ばれる初めての領だ。脱初心者たちが初めて訪れる大陸中央がここであるがゆえに滞在する冒険者は多く更に西の領と東の領の経済を繋ぐ街であり、人口が大陸の中で1位2位を争う程多いとされている。しかもカシュカントは山脈の東に位置しているため防御面で非常に高い優位性を保っている。


「あそこは街自体がかなり巨大ですね。恐らく大陸全土にある街の中で最も大きいんじゃないでしょうか。」


「そんなに大きいのか…。」


「一般的に人口と街の大きさは比例するとは限りませんが、あそこは完全に比例していますね…。」


どれだけ大きいのだろうか想像もつかない。2年近くいたヴァリエスタでも隅々まで回ったことなどないのにそれよりも大きいとなればもう見ることのない場所がたくさんありそうだ。


「百聞は一見に如かず、です。一度見てみればわかりますよ。」


「そうだな。想像はいくらしても想像だ。…だけど想像は…。」


「…いつか現実を打ち負かす。いつか悠仁さんが酔って言った言葉ですね。」


「え、俺そんなこと言ってたのか?」


自分でも言った覚えのないことを言い当てられて戸惑ったような表情を浮かべる悠仁をアリスはころころと笑いながら横目で見てくる。


「あの日はカインさんが先にログアウトしちゃってミーナちゃんと私と悠仁さんの3人で飲んでて、珍しく悠仁さんが浴びるように飲んでいたから大丈夫かなって心配してたんですけど結局潰れるギリギリまでいっちゃって…。」


「……。」


記憶にない。


「それはまだいいんです。私は素敵な言葉だなと思いましたし、ミーナちゃんもうんうんと頷いていました。けど問題はその後で、ミーナちゃんはその後触れてませんけど…。」


アリスは悠仁の顔を見つめてしばらく黙り込んでいる。自分がとんでもないことを言ってしまったのではないかと不安になる悠仁はごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待つ。


「他にも…、俺は何を言ったんだ?」


「……。やっぱり内緒です。」


「えぇ!?!?」


悠仁は素っ頓狂な声を上げてしまう。ここまできてそれはないだろうとアリスに手を伸ばすがひらりと躱されてしまった。


「この話はまた機会があったら、ですね。」


「勘弁してくれ…。」


最近はアリスに振り回されてばかりな気がする。口ではこんなことを言っているが心の中ではこういうのも悪くないかなと思ってしまっている自分に悠仁は気付いているのだろうか。悠仁はそれから言葉を続けないアリスのことをちらりと見てみると、濃霧に視線を移しているのが見えた。


「…。」


何を考えているのだろうか。何も見えないその先を見て。


(あぁ…。)


こんなに近くにいるのに何を考えているのかがわからない。


(知りたい…。)


この感情はどこから来るものなのか。アリスに対して元々こんな感情を抱いていたか、それはもうわからない。アリスに命を救われたあのときか、それともその後の公園での出来事が原因なのか。悠仁本人にも分からないのであればもうそれは誰にも分からないことだ。知りたかった、自分の気持ちが、そして目の前にいる人がどんなことを考えているのか。


そっ…。


気付いたら手が伸びていた。少女は驚きの表情をしている。悠仁の右手はその白磁のような左頬に添えられていた。柔らかさと温かさが伝わってくる。それはどちらのものなのだろうか、長く触れているとその感覚は段々と曖昧になっていき、やがて混ざり合う。


「あ…う…。」


少女の口がぱくぱくと動いている。まるでエサを求めて水面に口を出している魚だ。少し上気した顔が可愛らしい。悠仁はその瞳を覗き込む。そうすれば何を考えているのかがわかるような気がして。


(綺麗だな。)


翡翠を埋め込んだかのように澄み切った緑の瞳。これがゲームで作られたものではなく自前だというのだから驚きだ。奥にある少しの黒に飲み込まれてしまいそうな錯覚に陥りそうになるその瞳を覗き込んでいると段々と落ち着いてくる。


(…睫毛長いな…。それに瞳孔ってこんなに動くんだな…。)


悠仁が呑気にそんなことを考えていると横から声がかかる。


「よ、お二人さん熱々だねぇ。」


「「!?!?」」


その声が聞こえた瞬間、我に返った悠仁とアリスはばばっと体を離した。


(お、俺は何をして…っ!)


横にはNPCだと思われるガタイのいい中年の男性がニヤニヤしながら腕を組んでいた。どうやら一部始終を見られていたようだ。そのまま悠仁のそばに近寄ってきてがばっと肩を組まれた。乗客なのか乗組員なのかは分からないがその丸太のように太い腕がずしりと悠仁の肩に重みを伝えてきた。


「な、なんでしょう…?」


「実はだな…?あそこのドアを入ると下に行けるのは知っているだろう?」


男性は甲板中央にあるドアを指差して呟く。そこは階段で下へ繋がっており客室や食事処がある。乗船する時に誰にでも説明されていることなので別段新しい情報でもないが何が言いたいのだろうか。


「え、えぇ。」


「実は秘密の部屋を貸していてな?白楽(はくらく)って店のオーナーに「つばの無い緑の帽子を2つ」って言やぁわかる。いやなに、騒音の苦情なんかが出ない、そんな部屋だ…。」


「ちょちょちょちょちょっ!!」


悠仁が無理やり組まれている肩を外す。


「そういうんじゃないですからっ!!」


「そんなアピールしなくていいんすよ旦那!」


何故かノリノリの男性はセールス口調になっている。こんなことアリスに聞かれていたら大変なことになると悠仁が視線をアリスに向けると。


「~~~……!!」


しっかりと聞こえていたようだし、意味も分かっているようだった。


「ちょっ!もういいから!あっち行っててくれ!」


「はいはい、ごゆっくりー。」


男性は手をひらひらさせて立ち去っていく。そんなこんなをしているんだから他の乗員乗客の視線を集めてしまうのも無理はなく、視線がいくつも悠仁の背中や顔に突き刺さっていた。


「い、移動しよう…。」


悠仁はアリスの手を取ってとりあえず視線から外れられるような場所に移動を始めた。悠仁に手を引かれるがままについてきているアリス。悠仁が目の前に集中していると背中に声がかかる。


「あ、あの、悠仁さん。」


「どうした?」


歩きながらの会話。お互いの顔を見なくても表情がわかってしまうような声色がなんだか恥ずかしい。


「わ、私は大丈夫ですからっ……。その…。」


「!?」


「わぷっ!」


悠仁が急に足を止めたのでアリスは悠仁の背中に突っ込んでしまった。悠仁はゆっくりと後ろを振りむいてアリスの顔を伺おうとしたがアリスは悠仁の背中に顔を埋めたまま動かない。


「お…。」


おじさんをからかうのもほどほどに、そう言おうとしたのだが恐らくからかってはいないのだろう。もしあの夜のことが事実ならそれを言ってしまうのは問題だ。悠仁は口をつきそうになった言葉をぐっと飲みこんで溜息に聞こえないようにゆっくりと息を吐く。


「ふぅ…。まぁ、なんだ。その話は少し落ち着いたらにしよう。」


またも結論の先延ばし。しかし今はこれしか選択肢がないのも事実だ。これからどんどんと激化していく旅でこういったことに気を取られていると思わぬ事故に繋がる。


「そう、ですね。」


アリスの細々とした返答。これはアリスの満足いく回答ではなかったのだろうが我慢してもらうしかない。


「…向こうに行くか。」


「…そうですね。」


悠仁とアリスは船尾から移動して船首へ移動した。さすがに船尾と違って波を掻き分ける音が大きく聞こえる。周りで人が話していてもその口が動いているだけにしか見えず声は一切聞こえてこない。先が見えない方向へ進んでいる光景は今の悠仁達を暗示しているようにも思えた。波の音が二人の間を通り抜けていく。


「…俺達は大丈夫なんだろうか。」


「そうですね。」


悠仁の言葉にはいろいろな意味が込められていたが、それらをアリスはどこまで汲み取ることができたのだろうか。


「いつも、すまないな。」


「それは言わない約束ですよ。」


様式美ともとれる返答に悠仁は吹き出してしまった。悠仁が感じている不安を、アリスも感じているはずだ。それなのにどうしてここまで毅然とした態度が取れるのだろうかと不思議になってくる。


「なぁアリス。」


「?なんでしょう。」


どうして。そう言いかけたがぐっと堪える。きっとそれは自分で考えて自分で何とかしなくてはいけないものだからだ。


「いや、なんでもない。」


「あー、私の真似しましたね?さっきの仕返しってことですか?」


「いや、そういうんじゃないんだ。これは俺が何とかしなくちゃいけない問題だからな。」


そういうとアリスは瞳を閉じて微笑み、ゆっくりと悠仁に近づいてきてその肩にとんっと頭を当てる。


「そうですか。ならいいです。だけど話したくなったら話してください。悠仁さんが私の言葉を待ってくれていたあの時のように、私も待っていますから。」


「…ありがとう。」


波の音が聞こえる。沈黙はもう、辛くなかった。

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