船上の不安①
――4日後 セルカ海峡
「いやー、本当に良かったな…。」
「全くだ…。知らなかったら大変なことになっていたのは間違いないな…。」
「ちょっとマスター…その位調べておいてよね。」
「いや、お前も少しは調べようとしてくれよ。」
「そういうのは専門外なんでー。」
ミーナは相変わらずこんな調子だ。仕事仲間として働いていた時はもっと積極的に調べ物をする人間だと思っていたのだが、ゲームだとここまで変わるのか。
(いや、こっちが素なのか。)
きっと現実世界では作っていたのだろう。きっとこっちがミーナの、石橋の素の表情なのだ。この世界で初めて乗る船の上で悠仁は落ち着いていた。
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――3日前 トラング 関所
「良い滞在でしたか?」
「ええ、こちらの希望が叶った滞在でした。」
「それは何より。では確認ができましたので、身分証明書をお返しします。」
薄いがプレートアーマーに全身が包まれた初老の男性がにこやかに身分証明書を返してくる。そろそろ引退する兵士なのだろうか、とても温厚なのがその雰囲気から伝わってくる。
「ありがとうございます。…そうだ、セダへ行きたいのですがどこか安全なルートをご存じないですか?ヒュルテの森は現在少々危険だとお聞きしたので。」
水害と水質汚染問題が多少軽減したことは張本人である悠仁達が一番知っているが不用意に噂は広げない方がいいだろうと判断して伝聞形で伝える。
「は?セダへ?」
「?はい、そうです。」
何かおかしなことを言っただろうかと悠仁は不安になる。宿屋での話や市場での話を聞くと、どうやらカースゼス領の人間はセダへ悪意を持っているわけではなく、自身の親のような対応をしていた。カースゼスからセダへ行くのは別に嫌われるようなことではなかったように思っていたが違ったのだろうかと少し身構えてしまう。
「おかしな方だ。セダへ行くならセルカ海峡を超えるのが一番早いですし、安全じゃないですか。」
「セルカ海峡?」
初めて聞く名だった。海峡と名がつくのであれば悠仁達も想像がついているが狭い水域のことだろう。
「おや、ご存じなかったのですね。ちょっとお待ちを。」
そういうと門番の男性は詰め所へ行き何かを手にもって帰ってくる。何やら大きい紙のようだ。入退の仕事は別の人が代わってくれているようだ。
「こちらをご覧ください。」
そういって広げたものはどうやらこの近辺を示した地図のようだった。アリスが持っているものよりも拡大されているためより詳しく内容が書かれている。そして丸く印をつけられている現在地から少し西へ、つまりセダへ向けて視線を動かすと。
「あ、ここか。」
「その通りです。ここがセルカ海峡です。きっとご覧になったのでは?」
「そういえば…。」
確かに街に居る時に見えていた海があった。霧が濃くて分からなかったがどうやらそこまで遠くない場所にセダ領があったようだ。
「霧が濃くて先が見えず海かと思っていました…。」
「はっはっは、無理もないですよ。セルカ海峡は濃霧で有名ですからね。灯台がなければ迷ってしまうくらいの霧です。年に数回霧が晴れる日があるのですが、その時にはセダがくっきりと見えるんですよ。」
「へぇー。それで、セダ行きの船って今でも出てるんですか?」
「いえ、もうこの時間では出ませんね。霧はお昼頃薄くなって夕方にかけて急激に濃くなります。客を乗せる船は安全のために昼に数本が出るだけであとは次の日になります。」
どうやら今日出航の船はないようだ。だが、安全で早いとなればそれを使わない手はないだろう。
「なるほど。しかし私達は見ての通り馬車です。馬車が乗るほどの大きな船があるんですか?」
「ええそれはもちろん。セルカ海峡はセダとの交易に使われている海峡です。大きな貨物船がありますよ。今はもう航行を止めてしまって船は停泊してしまっていますが、明日にはまた出ますよ。」
どうやら時間帯が悪く船を見ることができなかったことが連続した結果船がないものと思い込んでしまっていたらしい。
(ちゃんと確認しないとだめだな…。)
安全には気を配っていたが、いざというときにそれが抜けてしまっては意味がない。悠仁はそのことを反省しつつ初老の兵士に身分証明書を手渡した。
「すみません、延泊で。」
「かしこまりました。確認をしますのでしばらくお待ちください。」
既に話していてお互い知っているが手順を飛ばさないからこそ彼は信頼されてここにいるのだろうとしみじみ思いながら悠仁は確認を待った。
リアッツォの関所でも、同じことを思った。丁寧な仕事は、丁寧な街を作る。旅を重ねるほど、そういう小さな共通点が目に入るようになってきた。
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ザァァァ…と波の音が聞こえる。結構激しく波が立っているような気がするが音はそこまででもない。潮風が頬を撫でる。現実世界と同じように潮の香りが鼻腔を刺激する。湿気の多い風はしばらく当たっているだけで肌がべとべとになっていくが、HOPEの世界で海を経験するのは初めてなのでそのまま味わっておく。
「それにしてもまぁ都合よく風が吹いてるわねぇ。」
ミーナは船の進行方向について行っているのだろう。セルカ海峡は海峡と名がついているが大きな川に近い。セダとカースゼスのほぼすべての川が流れ込んでおり、それが海に繋がっている。今は流れに逆らって川を上っているような状況だ。現在乗船しているこれは帆船なので風の向きが重要になるが川下から強い風が吹いているのだ。
「この世界の天候とか地形とか細かくは分からないけど、都合よく吹いてるんじゃなくて風が吹いている向きで都合がいいように街をつくったんだろうさ。」
「はぁー、なるほどね。逆なのかぁ。」
「いや、俺もわからないけどな。ここゲームだし。」
「それもそうねぇ。」
久しぶりの安全な移動に会話がぽつりぽつりと続いていく。周りには冒険者やNPCが入り混じって話をしているようだ。どうやら数少ない冒険者もこの船を使って移動しているようだった。
(知ってれば得をする。だな。)
知らなくてもマイナスになることはないが知っていればプラスになることは多い。今回の場合は知らないとマイナスになる可能性が高かった。こういったことはメンバーを管理する人間としては知っておかなければならないだろう。
「ちょっと散歩してくる。」
「おう。まだ時間があるからゆっくりしてこい。」
悠仁の言葉にミーナは背中を向けて手をひらひらさせて答えた。悠仁がそのまま海を眺めていると入れ違いになるようにアリスがやってきた。
「悠仁さん。」
「アリスか。どうかしたか?」
「いえ、馬の世話が終わったので。」
「あー、それは助かった。いつも面倒見させちゃってすまないな。」
「いえ、動物は好きですし動物の世話も好きなので。向こうだとああいう大きな動物の世話をすると服とかが汚れちゃいますけどこっちでは違いますからね。それに、馬車の操作はほぼ全て悠仁さんに任せっきりになってますから、これくらいしないと。」
「そうか。俺にもできることがあったら言ってくれ。」
「はい、わかりました。」
「…。」
「…。」
沈黙が流れる。長く一緒にいれば会話が途切れることなんてままあって、それらは自然と苦痛ではなくなっていき、悠仁とアリスの関係もそうなのだが今はその限りではない。
(き、気まずい…。)
今はそれどころではないのは分かっている。これから大国ハーダリアの領主を殴りに行こうと言っているのだ。色恋沙汰など二の次なはずだがこの状況になってしまってはそうもいかない。悠仁とアリスが二人きりで話をするのは実のところかなり久しぶりだ。そして悠仁はアリスのことをなんとなく避けてしまう理由があった。
(まだ返事してないしな…。絶対待ってるだろ…。)
レッドキャップの討伐を行ったあの夜、既に1か月以上前の話だがアリスからの好意の告白、そしてそれに伴うキス。ここまでされて悠仁の出した答えが『少し待ってくれないか』だった。
(我ながらなんて苦しい言い訳だ…。)
通常の戦闘であれば出て来る次の一手が見つからない。人間とは土俵が変わるとこうも無力なのか。
「あの…。」
「おっ!?おう…どうした?」
声が裏返った。完全に聞かれているだろう。横にいたNPCもこちらを振り向いているのだから気付かないはずがない。
「ゼットフォードにも、行くんですよね。」
「…あぁ、そうなるだろうな。」
「ってことはスウェリオムにも…。」
「そうだな。」
「私…。あの街はあまり好きじゃないです。」
「…そう、だろうな。」
ゼットフォードの首都。要塞都市と言われるスウェリオムにアリスは良い思い出を持っていなかった。
「俺から話すか?」
「…いえ、その時がきたら私が…。」
「そうか。」
アリスがそういうならそれでいいのだろう。こういったことは本人の意思が大切だ。悠仁は濃霧で見えない船の行く先を眺めながらアリスの言葉を待った。
霧の向こうには、まだ見ぬ国と、アリスの過去と、殴りに行くと決めた相手がいる。見えないものばかりの航路なのに、隣の気配だけは確かだった。船はゆっくりと、白い水面を進んでいく。




