水の妖精
――1日後 カースゼス領とウェイル領の領境から南東へ20kmの地点
カタカタカタ……。
馬車の車輪と地面が奏でるリズムが音になって耳に届く。音の数に対して振動が少ないのはジマルが調整してくれた馬車だからだろう。少しの荷物と人が5人も載っているのに荷台は随分と快適だ。御者の乗る台もとても調子がいい。心の中ではモヤモヤしたものがあるが、喫緊の課題がない状態での旅は久しぶりだ。前方には何もなく、ゲーム内の広さが思い知らされる。日本から出たことのない悠仁からするとこのような光景はゲーム内以外で見ることはないが、ヨーロッパの人口過疎地域ではこれが普通なのだろうか等と考えながら手綱を握っている。
「…?………、……。」
荷台では何やら話し声が聞こえる。悠仁達が馬車を手に入れてから悠仁は長いこと馬車の操作をしてきた。いつの間にか馬車の操作をするのは悠仁の役目という暗黙の了解ができていた。もちろん馬車の操作をするのは楽しいし、誰よりも先に風景の変化を楽しめるのは特権ではあると思うが、たまには交代してもらって荷台でゆっくり話でもしてみたいものだと思うのは我がままではないだろう。
「……?…………………?」
後ろの会話が段々と盛り上がってきているようだ。悠仁が環境音と荷台での話し声を混ぜて聞き流していると幌が開いてカインが顔を出してきた。
「よ、お疲れさん。変わるか?」
「いや、まだ大丈夫だ。」
「そうか、代わってほしい時はいつでも言えよ。お前よりは上手くないけど俺も操作自体はできるからよ。」
「その時は頼む。…後ろでは話が盛り上がってたみたいだな。」
何を話していたのか気になった悠仁はカインにそれとなく話題を聞いてみる。
「ああ。…いざ出発!!…ってしてみたのはいいけどよ。これからどうするんだってことを話してた。」
「あー…。そうだよな。」
悠仁達はヒュルテの森で起こっていたことをウェイルに報告した。そしてそれらが全てハーダリア領が仕組んだことであることがわかり、それらの行為を止めさせるために行動を始めたのだが具体的な指針はまだ立っていなかった。
「これをどう使うか、なんだよな。」
悠仁は収納を撫でる。その中にはウェイルからもらった文書が入っていた。これがあれば確かに各領の領主からの力添えは期待できるとしてもそれをして何になるのか。そしてそれをどう使っていくのか等の具体的な話し合いはまだできていない状態だ。
「なんかいつもお前任せにして悪いけどよ。俺が考えてもお前よりいい案が浮かぶとは思えねぇからな。」
「こういうことはな。戦闘面ではお前に期待してるから、適材適所ってやつだろ。」
確かにこういったことは悠仁の考えることではあるがカインも別に馬鹿という訳ではない。結局得意分野の人間が担当すればいいのだ。専門家ばかりのチームは脆いというがこれに関しては問題ないだろう。
「それで、まずはカースゼスにでも行くのか?…あぁ、その前にエディオル村に行って鹿肉製品の受け取りだっけか?」
「いや、それに関してはリアッツォで依頼を出してきたから大丈夫だ。エディオル村から品物をトラングに運んでほしいってな。水害と、ハーダリアのことについて話さないといけないからカースゼスには必然的によることになるだろうよ。」
「了解。ちなみにトラングってカースゼスのどこだ?」
「カースゼスの丁度中央辺りだ。領主もそこにいるって話だしな。」
「なるほどな。どれくらいかかる?」
カインから所要時間の質問があったため悠仁はちらりと馬に目を配って手綱を離しても問題ないことを確認してから収納にしまわれている地図を取り出した。
「アリスのよりは詳しくないが、今俺達がいるのがだいたいこの辺りだ。ヒュルテの森に行った時の道の状態から考えて…。4日くらいか?カースゼスはそんなに大きくない領地なんだけど山が多いらしくて馬車だと迂回しなくちゃいけない道がたくさんあるみたいだ。」
「なるほどな。…分かった、後ろには伝えとく。」
カインが話を理解して荷台へ戻ろうとしたその時。
「「「おぉーー!!」」」
荷台で大きな歓声が上がった。何事かと思い悠仁は手放していた手綱を握って馬を停止させ、カインと一緒に荷台へ移動した。
「どうした?」
「悠仁さん悠仁さん!見てください!フルールさんが妖精を見せてくれてるんです!」
そう言われて悠仁がフルールに視線を移すとフルールの持っているカップに注いである水からなにやら小さな水の球体が浮かび上がっている。そしてそれを持っているフルールの目が淡く青色に輝いているのが見えた。
「わっ、Aliceさん大きな声出しちゃダメ。」
「わわっ…ごめんなさい。」
アリスはフルールに声の大きさについて注意され口を手で覆う。
「ごめんね、あなたのことをみんなに紹介したかったの。みんな悪い人じゃないわ。だってあなた達を纏めてるウンディーネと契約してる私の友達よ?大丈夫、怖くないわ。さっきのはあなたに会えてうれしかったから大きな声を出してしまっただけなの。」
「ご、ごめんね。」
アリスが球体に向かって謝りだす。これが現実世界なら随分とおかしな光景である。
「少しだけみんなに姿を見せてあげてくれる?私のマナを分けてあげるから。」
そうフルールが球体に話しかけるとふよふよと形を変えていた。悠仁の目にはまだ普通の水の球体にしか見えないのだが起きていることは確かに自然現象ではないようだ。それが返事だったのかフルールが目を閉じてしばらくすると水の球体が渦巻いて小さい人型を作り出した。
「………。」
その妖精はきょろきょろと辺りを見回しているように見えた。
「おお、大したもんだな。」
「水の精霊の力を分け与えてもらったのでこんな感じで水の妖精くらいなら呼び出せるようになりました。水の妖精ってそこかしこにいるんです。ただ顕在化はしていないのでこうやって意図的にマナを分け与えてあげれば形を持って私たちの前に出ることができるんです。結構力使いますけどね。」
「……それ、正式には『フェアリーレント』って言うのよね。マナの貸与。……本でしか読んだことなかったけど。」
ステラが帽子のつばを少し上げて、興味深そうに覗き込む。
「そうなんですか!?私はウンディーネ様から『こうすればいいですよ』って教わっただけで…。じゃあ、この子を呼ぶのにも名前があるんですか?」
「……『ウンディネッラ』。水の妖精の顕在化。……エレメンタリストの基本、らしいわよ。当人が知らないっていうのが、あなたらしいけど。」
「うぅ、精霊魔法って感覚でやってきたので…。でも、名前があるってなんだか素敵ですね!」
フルールはあははと笑いながら水の妖精をつんつんと突いている。その指に反応していやいやとするように顔を振っている姿は可愛らしい。そしてそれよりも驚いたのが。
「ん?フェリス、どうしたの?」
いつもは寝て過ごしているフェリスが起き上がってアリスの首から降り、水の妖精の近くまで歩いて行ってまじまじと見つめていることだ。
「…!」
妖精は驚いたように跳ねてフェリスに向かってお辞儀をしている。
「え?え?どういうこと?」
アリスが戸惑いの声を上げる。
「どういうことなんでしょう…。私にもわかりません。」
今この場に存在が確立されたばかりの妖精が何故フェリスに向かってお辞儀をしているのか。ただその光景はとても自然に見えてどこも不自然ではなかった。しばらくするとフェリスがその短い手でちょんちょんと妖精の体を突く。まるで顔を上げろと言わんばかりに。そしてその通りだったようで妖精は顔を上げて嬉しそうにふよふよと辺りを漂い始めた。
「やっぱりマナを分けると動きが活発ですね。」
「いつもは違うのか?」
悠仁が質問を投げるとフルールは丁寧に答えてくれる。
「マナっていつも均一に存在しているわけじゃないですよね。」
「ああ、確かにそうだな。」
場所によってマナの濃い薄いはよくあることだ。魔法の威力にも深く関係している。
「妖精ってそんなマナの濃淡の濃い場所が何かの拍子でもう少しだけ濃くなった時にぽっと現れるんですよね。大体は濃くなった場所から周りに霧散しちゃうので誕生した妖精はすぐに消えちゃうんですけど、誕生した時に運よく更にマナが濃くなってくれると体を維持できて周りからマナを回収するっていう行動に移れるのでそのまま存在を維持し続けられるんですよね。」
「ほぉー、さすがエレメンタリスト。」
「まぁ私も試験前に図書館で調べた口ですが…。それで、一度存在が確立してしまえばあとは水さえ近くにあれば存在できますね。体を消しても存在はあるわけなので。慢性的にマナが不足し続けると存在は消えてしまいます。」
「そ、それは死んでしまうってことですか?」
アリスが少し寂しそうにつぶやく。
「死んでしまう、とは少し違うんです。妖精は普通自然が生み出した偶然。その偶然が自然に還っていく、だからまた帰ってこられるんです。」
フルールはフェリスと遊んでいる水の妖精を見ながら微笑んでいる。まるで自分の子どもを見ているかのようだ。
「そうなんですね。」
「ただこの子は私のわがままで生み出してしまった子。しっかり責任を持ってあげないとかわいそうだから。」
そういってフルールはちょいちょいと手招きして遊んでいる妖精を呼び寄せる。妖精はそこが定位置だといわんばかりにカップの上に戻ってきた。
「あなたは近くに川があったらそこでお別れよ。その川を、周りのみんなを守ってあげて。それがウンディーネを助けることに繋がるから。」
意味が分かっているのかいないのか。それは妖精自身にしかわからないが妖精はじっとフルールの顔を見ている。
「みんなあなたに会えて嬉しかったわ。今度はあなたがみんなを幸せにしてあげてね。…それじゃあ水がすくないここで体を維持するのは大変だからここに戻ろうか。」
フルールがそういうと水の妖精は存在を少しずつ薄めてまた水の球体に戻り、ゆっくりとカップに戻っていった。とても不思議な時間と空間。映画を見ていたかのような光景で、悠仁達の間には何とも言えない空気が漂っていた。
「こ、こんな感じです。」
「へぇー…。エレメンタリストってすごいのねぇ…。もうなんだか清純の塊っていうか…。殺し専門の私とは縁遠い存在っていうか…。」
ミーナが少し悲しそうに感想を述べる。
「そんなことないですよ。ミーナさんはハンターですし、音なく森を移動しているってことは風の妖精たちに愛されているってことですから。」
「そ、そうなんだ。そう言われるとなんかちょっと嬉しいわね。」
ミーナはぽりぽりと後頭部を掻いて照れている。嫌われていると思ったのに実は愛されていたと言われたら確かに照れてしまうだろう。
「確かにいいものを見せてもらったな。…なんか気分が良くなったように思えるし、ちょうどいいからここで休憩するか。確か少し先に大きな木があったからそこで野営しよう。」
人が生きて死に、地球上と同じように物理法則が存在するこの世界、ずっと生活していると現実世界との相違点が段々と曖昧になってきてしまうここで、久しぶりにファンタジーを体感できた悠仁達はこれからの指針を決めるのと休憩を兼ねて野営を始めるのだった。
その晩の焚き火は、いつもより会話が柔らかかった。指針の話をしながらも、誰かがふと妖精の仕草を真似ては笑いが起きる。重い旅の途中にああいう時間が挟まるのは、偶然ではなく、フルールの人徳なのだろう。




