新たな提案
――3週間後 悠仁の職場
「青木さーん…あついですー…」
横の席で石橋がぼやく。
「言うな、俺も暑いんだ…」
「確かに5月は終わりに近づいてますけど…、夏はまだ先ですよー…?こんなんじゃ春が短くなっちゃいますよー…」
時は5月下旬、そろそろ初夏にさしかかろうかという時分だ。フロア内がやけに暑いので節電の影響かと思ったが、空調の故障だということを上司から聞いた。
窓の外の街路樹はもうすっかり濃い緑で、ビルの谷間を行く人の袖も短くなり始めている。ゲームの中の季節は土地ごとの設定で決まっているが、こちらの季節は誰にも文句を言えないまま巡ってくる。汗の匂いのするオフィスというのは、それだけで人を三割がた無口にする。
「まだ修理業者の繁忙期前でよかったな、これが6月に入ると冷房を使い始めるところが増えて故障も増える。そうすれば1週間使えない、なんてこともあったかもしれない。」
「この暑さで1週間ならもはや外回りに回してもらったほうが幾分ましな気がしますぅ…それにしても…はぁ暑い…」
石橋は胸元を少し開けてパタパタと仰いでいる。シャツのボタンを外しすぎるのは仕事をする服装としては聊かだらしがない気もするが今日に限っては仕方が無いだろう。悠仁も人目がなければシャツに短パンで仕事がしたいと思っているくらいだ。
「でもしっかりこなさないとー…」
石橋はぼやきながらも仕事をする手を再開させる。
言葉ほど嫌そうでもない手つきで、書類の山が着実に低くなっていく。配属当初の、ミスを恐れて一枚ごとに手が止まっていた頃を思えば大した進歩だった。人が変わる時は、案外こういう暑さの中でひっそりと変わる。
「お、やる気が出たか、感心感心。最近やる気があるよなお前。」
「はい!ちょっと仕事後が楽しくなりまして!」
「それはいいことだ。仕事だけしてても駄目だからな。プライベートも充実してこその社会人だ。…まぁ両立は難しいんだが…。」
「青木さんも最近楽しそうですね。」
「仕事も覚えてないのによくそこまで見る余裕があるな石橋、もしかしてもう少し仕事を増やしても…」
「いやいやいやいや!そうじゃないですって!青木さんから技術を奪おうとして見てるだけですって!」
これでもかといわんばかりに慌て始める。ただの冗談にここまで飛び上がる人間は初めてみた。
「冗談だ冗談。今までも不満があったわけじゃないんだが、最近は楽しくてな、仕事は早めにこなして帰ることにしてるんだ。仕事はなるべく定時で上がる。じゃないと次の日が大変だからな。」
「とか言って青木さんも昔は残業ばっかりしてたって聞きましたよ。」
「誰にだよ…」
「部長。」
「あんのバーコード…」
「あははっ。私は青木さんのおかげで助かってます!今度何か奢りますね!」
「楽しみにしてるよ…。」
「よーし!今日が終われば2日間休みだ!頑張るぞー!」
「ふー、部下が頑張っているのに俺が怠けるわけにいかないな。」
悠仁と石橋は粛々と業務をこなしていくのだった。
窓の外では夕方の光が少しずつ延びて、ビルの影が通りの反対側まで届き始めている。空調の直らないフロアのあちこちから、下敷きで顔を仰ぐ音がぱたぱたと聞こえた。こういう不便は誰のせいでもないから、かえって職場の空気を少しだけ和らげる。定時までの数時間を、悠仁は久しぶりに軽い気分で数えた。
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――ヴァリエスタ 大通り
(急がないと…。っとと、どっちの道が早いんだったか。)
足早に大通りを抜けようとしたところで、袖をくいと引かれた。見下ろすと、10歳くらいの男の子が立っている。
「お兄さん、急いでるの?栄光の杯なら、こっちの路地のほうが早いよ!」
「お、おう。…君は?」
「ぼく、トト!この街の案内役なんだ!」
胸を張る少年に案内されるまま路地を抜けると、なるほど、見慣れた酒場の裏手にすんなり出た。礼を言うと、少年はにこにこと手を振った。
「また来てくれた!」
(…ん?初めて会った気がするんだが…)
子供の言うことだ。深くは考えず、悠仁は酒場の扉をくぐった。
――ヴァリエスタ 栄光の杯
「やっちまったなぁ…」
週末ということで仕事が多かったことと、早く帰りたそうにしている石橋の仕事を少し肩代わりしてしまったせいでいつもよりも遅くなってしまった。
扉を開けた瞬間に、三人分の視線が一斉にこちらを向いた。遅れて入る側になってみて初めて、いつも先に着いて待つ側の落ち着かなさが分かる。誰かに待たれているというのは、責められるより先に少しくすぐったい。
悠仁が酒場に着く頃には既に悠仁以外の3人が集まっていた。
「あ、Yujiさん。お疲れ様です。」
「おうおせーぞYuji!」
「Yujiが遅刻するならもっとゆっくりくればよかったよー…。」
「まともに労ってくれるのはAliceくらいか…」
遅刻したのは確かだ、甘んじて受け入れよう。
「よし、じゃあ今日の方針を決めようか。」
「またライン鉱山に行くんだと思ってたぜ。」
「私も鉱山用の装備にしといたよ?」
「あー、それでもいいんだが。みんなはこの週末休みか?」
「俺は休みだぜ、むしろ相手先が休みだから仕事しようとしてもできねぇよ。はっはっはっ!」
カインは営業職なのだろうか、この明るさなら業績もよさそうだ。
互いの仕事について、深く聞いたことは一度もない。聞かないのが礼儀という空気が、いつからか自然にできていた。それでも一年半も一緒に過ごしていれば、働き方の癖のようなものは滲んで見えてくる。この男はたぶん、現実でも人の懐に入るのがうまい側の人間だ。
「私の職場も休みねー。Aliceはどう?」
「私も学校は休みですね。」
「そうか、ならみんなに相談があるんだ。」
「「相談?」」
女性陣が首をかしげる。
「あぁ、俺達が一緒に活動を始めてからもう1ヶ月は経った。二人のおかげでレベルは急上昇したし、資金も増えた。」
「確かになぁ、俺は良くここで食い物を頼むからみんなよりも減るのが早いが、それでも…」
そういってカインは金の入った布袋を取り出す。
「えーっと…、ここから消耗品や修理費用を差っぴいても…、2金貨くらいはあるぜ。」
「私はもう少しありますね。元々少し持ってましたけど。」
「私もそれなりに残ってるわねー、換金に回すか悩むくらいかな。」
「俺は色々試してるせいで二人ほどはないが、カインよりはあるな。それで、だ。昨日いつも戦利品の買取をしてくれる鍛冶屋のおやっさんに聞いたんだが、なんでも馬車が格安で売りに出るらしい。」
「馬車、ですか。」
「あぁ、幌は張りなおす必要があるみたいなんだが、それでも相場よりもかなり安いみたいなんだ。」
「ちなみにそれいくらするんだ?」
結局のところみんなが気になっているところは値段であり、カインがあっさりと質問する。
「金貨7枚と銀貨60枚ってところだ。普通は中古でも金貨10枚ってところなんだが…」
「馬車の値段の相場は知りませんでしたが、安いものでも結構するんですねぇ。」
「もちろんもっと大きかったり、機能が充実していたりするともっと値が張るみたいなんだが、現物が馬車乗り場の倉庫で見られるらしいからみんなで見に行かないか?」
「いいわよ、馬車が一台あれば結構楽になるし、そろそろ行動範囲を広げたいって思ってたからね。」
「俺もいいぜ!」
「Aliceもいいか?」
「はい!もちろん!」
「じゃあ行こうか、その前に鍛冶屋に寄っていこう。おやっさんにも話を通す必要があるからな。」
「お、おやっさんに会いに行くのか!久しぶりだから楽しみだぜ!!」
「んじゃ時間も惜しいからすぐに行こう、すみません会計をお願いします。」
「はーい!ただいまー!」
ウェイトレスに代金を支払って店を出る。4人は工業地区へ向かう。
「お二人はその鍛冶師さんとはお知り合いなんですか?」
「あぁ、昔ちょっと助けてもらったことがあってな、それから付き合いがあるんだ。」
「もう専属ってレベルで買取してもらってるよな!冒険のアドバイスとかもくれたり流通しているアイテムの情報とかくれたりするしホント助かるぜ。」
「へー、そんな鍛冶師がいるのねー、鍛冶師ってみんな少し性格に難ありって感じがしたけど。」
「あー、まぁ確かに職人気質っていうか、そういった人も多いのは事実だな。だがみんな悪い人じゃないから。」
「そんなもんなのねぇ。」
「そんなもんさ、お、あそこだ。」
工業地区の真ん中に位置する場所にジマルの店はある。
夜の工業地区は昼間とは打って変わって静かで、店じまいをした工房の窓からぽつぽつと灯りが漏れている。その中でジマルの店だけは、まだ炉の残り火の匂いをさせていた。鉄の匂いを嗅ぐと足が勝手に安心する程度には、この店に通ってきたのだ。
「ここに来るのも久しぶりだな!俺おやっさんに挨拶してくるわ!」
そういってカインが走り出す。
「あ!おい!…まったくあいつは…。」
そういう悠仁の口は優しく微笑んでいる。カインに遅れて3人はジマルの鍛冶屋に到着する。
「おやっさん、こんにちは。」
「おー!Yujiの坊主じゃねぇか!お前も少し大きくなったか!」
「いや、カインも俺ももうこれ以上大きくならないよ。」
「そうか!はっはっはっ!…と、そこの嬢ちゃんたちはもしや。」
「あぁそうだ、前に話した。」
「はー!また別嬪さん揃いじゃねぇか!どこで引っ掛けてきたんだ!」
ミーナとAliceの二人は苦笑いだ。
「別に引っ掛けてきたわけじゃないって…、ま、紹介ってことで。」
2人をジマルの前に通し自己紹介を促す。
「Aliceです。Yujiさんに助けていただいて、今はパーティーメンバーとして参加させてもらっています。」
「私はミーナです、出会いは…、聞かないでおいて…」
「ほー、ま、それはいいさ。嬢ちゃん達、この二人を頼むぜ。二人だけじゃ危なっかしくてヒヤヒヤしてたんだ。」
「はい!任せてください!」
「まぁ、死なない程度にはね。」
「おやっさんおやっさん、あの話。」
女性陣との会話に花を咲かせそうなジマルを制止して話を元に戻す。
「おっとすまねぇ、馬車の話だったな。」
「あぁ!そういえばその為に来たんだっけか!」
「いや、カインお前が忘れてどうすんだよ…。」
「いやー面目ねぇ。」
「そいじゃ馬車乗り場までいくか。…おい!俺はちょっと馬車乗り場まで行ってくるから何かあったら頼むぞ!」
ジマルは店の奥にいる弟子と思われる人物に声をかける。
「はい!いってらっしゃいませ!」
若い青年が元気のいい声で返事をする。
「よし、じゃあ行くか。ついてきてくれ。」
悠仁一行はジマルの後をついていき、馬車乗り場まで向かうのだった。




