結界の中
――サヴィンスク湖から北西へ3.5km地点
「これは…何だ…。」
錯乱の結界の向こうにあったのは大量の死体だと思われる肉の塊と、中央に光る妖しい魔法陣、その横にある机の上には何やら実験器具のようなものが置かれており、何かが行われていたことがわかる。机はそこかしこにあり、魔法陣も一つだけではないようだ。いくつかの魔法陣が静かに辺りを照らしている。ひとまず危険がないと判断したのか他のメンバーが結界の中に入ってくる。
「うっ…。」
フルールが目の前の光景を見て吐き気を催したかのような声を出した。それもそうだろう。悪臭に加えて悪意のある魔力の流れ、そして大量の死体と散乱する血液。これで気持ち悪くなるなという方が難しい。アリスやミーナ、ステラに関しても同じような反応をしている。
「ひ、ひとまず、これが何か調べよう…。」
悠仁達は結界の中に入って何かこの状況を詳しく知るための手掛かりがないか調べ始めた。
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――20分後
「どうだ?何かあったか?」
様々な要因によって少しくらくらしてくるがこのまま手ぶらで帰るのはまずい。次にはここが無くなっている可能性もあるしウンディーネとの約束を先延ばしにするのも問題だ。水害も解決はしない。
「どこを見ても死体死体死体…。あそこなんて…。」
カインが苦虫を噛み潰したような表情をしながら結界内の一区画を指差す。
「女性や子どもの死体もたくさん積んであった…。中の内臓は取り出されていて…、眼球も…。」
「カイン、もういい。」
悠仁がカインの肩に手を置く。相当ショックだったのだろう。悠仁もカインが指差した方を見るとカインの身長よりも高く死体が積まれているのが見えた。少し近づいてみると確かに女性や子どもがほとんどだった。男性ばかりが積まれている山もあるので何か理由があって仕分けされているのだろう。
仕分け。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、悠仁の中で、何かの栓が抜けた。
「……選んで、積んだのか。」
低い声だった。誰に聞かせるつもりもない声が、しかし静まり返った結界の中では全員に届いた。アリスが、思わず悠仁の顔を見た。見て、息を呑んだ。
いつもの悠仁ではなかった。表情が消え、目だけが死体の山に据えられて、杖を握る手の甲に骨が浮いている。杖の先からは、詠唱もしていないのに、炎の魔力が糸のように漏れて、ちりちりと空気を焦がしていた。
「弱い順に並べて、使える順に選り分けて……子どもから、先に。」
「悠仁。」
カインが、短く呼んだ。それだけだった。それだけで、悠仁の肩から、ゆっくりと力が抜けた。漏れていた魔力が、消える。
「……わりぃ。続けよう。」
戻ってきた声は、いつもの指揮官の声だった。ただ、アリスとミーナは、たったいま見たものをすぐには忘れられなかった。温厚なマスターの、あんな目を、二人は初めて見た。
バチンッ!!
急に大きな音がする。悠仁とカインは武器を構えてその方向を見ると尻もちをついたフルールがいた。
「っつぅ……。これ簡単には触れないようになってるわね…。」
有毒物質のある地面に座らせておくのはまずいと思ったのかアリスとミーナがフルールの体を引き上げる。紫色に光る魔法陣はバチバチと音を立てて明らかに防御している感を出している。
「下手に触らないほうがいい。魔法陣なんて相当だ。」
魔法陣は常に輝いており、起動し続けているのがわかる。ただの魔法だけなら詠唱だけで事足りるのに魔法陣を構築するとなると相当な魔力と技術を要する。つまりそれだけの価値があることをしているということだ。魔法陣を構築できる人間はそうおらず、この世界の現代ではロストテクノロジーとして扱われることもある。国家機密レベルで魔法陣の構築方法が研究されていると聞くがそれも定かではない。そんな魔法陣であれば自動防御の機能が付いていてもおかしくはない。
「他に何か…。」
「……悠仁、こんなのが。」
ステラが何か紙を持ってくる。羊皮紙ではなくしっかりとした植物由来の紙だった。紙にはなにやら文字がびっしりと書かれているが珍しく何と書いてあるか読むことができない。下の方にはうっすらと鷲の紋章が描かれているがそれが何を意味するかは分からない。
「これは…なんで読めないんだ?」
「……たぶん、これ、人間の使う言語じゃない。人間の言語は、現実世界のものも含めて、HOPEの機能で自動翻訳されるから、全部読めるはずなの。……これで読めないってことは、人間が使う言語じゃないか……クエストなんかで、翻訳が条件に含まれてるか。」
ステラが悠仁に手渡した紙を横から覗き込むようにして解説をしている。
「ってことはこれは誰かに解析してもらわないとわからないということか。ただ…。」
魔法陣からは何かが垂れ流しになっている。それは人為的に作られた窪みを通って排出されており、方角を見ると恐らく川の方向へ流しているのがわかる。魔法陣の中央には瓶が10本ほど置かれていてそれらには謎の液体が8分目まで注がれている状態だ。
「明らかにあの排水が水害の原因だな。とりあえず魔法陣を何とかしないと…。」
しかしどう壊すのか。魔法陣は複雑な機械のように操作を誤ったり変に手を加えると大変なことになると言われている。現にフルールが不用意に触ろうとして反撃を食らっていた。
(何かをするための装置…。フルールを眠らせていたものと同じような感じなら無理だけど、これだけ死体があるんだから…。)
魔法陣はその特性上ユニークな性質を持っていたり、その作成方法が独特だったりする。例えばフルールを眠らせていたイザベラの魔法陣は自身の命と魔力の全てを使って作成されたため長い時間機能し続けられていた。この魔法陣がどのような機能でどのように作られ、何が目的なのかがわからないと停止させるのが難しいかもしれない。
(これだけ死体があるのは無関係じゃないはず…。それにあの瓶はなんのため…。)
魔法陣はおいそれと作れるものではない為理由があってここに設置されているのだろう。つまりこの周りにある死体も、魔法陣の中央に置かれている瓶も理由があってのことだと考えるのが自然である。
(魔法陣に触れたら反撃があったが、そもそもそんな危険なものだったら使用なんてできないんだから…。)
悠仁は魔法陣に近づいてフルールがしたように魔法陣に触れるのではなく、真ん中に置かれている瓶にだけ手を伸ばす。
「…。」
普通にとれてしまった。やはり魔法陣本体に不用意に触れるのが良くなかったのだろう。悠仁は何かで満たされている瓶をひょいひょいと拾い上げてメンバーの前までもってくる。
「これが何か…。結界と森のせいで何もわからないな…。明らかに良くない物であることには間違いないが…。」
「それは持ち帰りましょう。後で街で鑑定してもらうのがいいですね…。それよりも…。」
アリスが魔法陣に目を移す。魔法陣の中央からはどろどろと液体が出現していた。恐らく本来瓶の中に転移されるものが、その対象が無くなったため溢れてしまっているのだろう。
「何でこれが出て来るんだ…?何か材料がないと…。…まさか…。」
悠仁の脳裏に1つの考えがよぎる。この光景、現実世界で昔放送されていたオカルトでスプラッターな映画のワンシーンにそっくりではないか。そこで怪物は何をするのか、大抵は死体を使って悪魔を降臨させたりする黒魔術と呼ばれるようなものを行うのが常だ。
「あんまり気が進まないが…。」
悠仁は死体の山の前に進む。もう死んでしまっているのだ。体もバラバラになってしまい、顔も人物の判別が不可能なくらい損壊しており、骨が露出してしまっている死体もある。死体で遊ばれたような痕跡も残されており、見るに堪えない。もし悠仁の仮説が正しければ、亡くなった人たちもこんなことに自分の体を使われるのは嫌だろう。静かに手を合わせて悠仁は魔法の詠唱を始める。
「炎よ その權勢留まることを知らず 沸き立つ喊聲のように燃え盛る」
魔導書も構えない。これは悠仁の手だけで行った方がいいのだ。
「インシニレイト」
魔法名を宣言して杖を振ると死体の山の一つが燃え上がる。タンパク質の燃える嫌なにおいが鼻を突く。牛肉や豚肉を焼く時とは訳が違う臭いだ。ゆっくりとその山の嵩は低くなっていき、炎が消えるころには骨がごろごろと残っていた。
「こんなところで放置されてるのは…、悲しいもんな…。誰の元にも帰らず…。」
悠仁はゆっくりと、また別の山に魔法を使って火葬を進めていった。
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「こんなもんか。」
いくつも乱立していた死体の山を燃やし終える。他のメンバーはそれを結界外の地面に埋めていた。アリスはその一つ一つに祈りを捧げている。アリスが手を合わせて膝をつき、祈りを捧げている姿を見ているとここが聖堂なのではないかと勘違いしてしまいそうになる。
「…こっちは終わったぞー。」
カインが結界内に入って悠仁に知らせてくる。
「おう、これで最後だ。俺も持っていくから最後の一仕事、しちまおうぜ。」
悠仁はカインと一緒に燃やし終えた山の骨を持って結界の外へ出る。外には大穴が空いておりどう見ても魔法で空けたことが伺える。そこには骨が敷き詰められており無縁仏として埋められるのを待っていた。
「これなら寂しくないかな。」
ミーナがカインから骨を受け取って穴に降りて既に置いてある骨の上にそっと次のものを乗せる。誰にも知られずにこんなところに捨てられて、体を好きなように弄られて、使われて。帰ることもできずに寂しく埋められるのはいくら何でも悲しいということでこうやって一か所に埋めているのだ。
「そうだな。それなら大丈夫そうだ。」
「じゃあ、土を戻しましょう。さすがにこれは手作業になりますが。」
ステラが手を汚しながら土を戻していく。さすがに結界から離れた更に上流側に穴を開けたので土はそこまで汚染されていないが、それでも少しは有害物質を含んでいる。悠仁もそれに続くように土に手を触れるがピリピリとダメージを受けている感じがする。
(ま、こんな痛みくらい…。)
今ここに埋められようとしている人たちに比べれば大したことない。そう自分に言い聞かせて悠仁達は骨を埋めていった。
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「それで。」
悠仁が魔法陣を見る。先ほどまで光っていた魔法陣はその光を失い、中央からあふれていた液体も無くなり、魔法陣の端から排出されていた液体もその排出が終わっている。
「お前の予想は当たってたみたいだな。」
「ああ。そうみたいだ。あの魔法陣は死体を、内臓とかから何かを吸い取ってこれ。」
悠仁が収納から件の瓶を取り出す。瓶には液体が注がれているがその正体は不明だ。取り出しているのは悠仁だけだが実際には死体の片付けをしている時にかなりの数が回収できているため他のメンバーの収納の中にも仕舞われている。
「これを作っていたみたいだな。これに関しては街に戻って確認をしよう。…それで、ステラが持っているそれは?」
皆がステラの方へ視線を移す。ステラの足元には金属製の胸当てが置かれていた。
「……これ。明らかに、隠す意図があるみたいに、草むらに捨てられてた。……何気ない胸当てに見えたから、放っておこうと思ったんだけど……手に取ったら、これ。」
ステラがメンバーの中央に出て胸当ての裏地、その一部を指差す。
「これは…。」
「このマーク、確かあれに…。」
悠仁とアリスが声を上げる。胸当てに刻まれている2頭の鷲の紋章。これは一番初めにこの結界内で発見した紙に書かれていた紋章と同じである。
「何でこれが胸当てに?これは完全に人間用だろう。」
形は人間の男性用に仕立てられたものであることは間違いない。ゴブリンも金属製の鎧を身に着けていたが、これは形が違う。
「……そう。これは、人間が付けている物。……だからこの紋章は、人間の誰かが所属してるグループの紋章だと、思ったの。」
「…なるほど、誰かこの紋章に見覚えは?」
悠仁が全員に問いかけるが返答は返ってこない。
「…ま、わからないよな。これも街に帰ったら調べてみよう。他に何かあったか?」
「おう、皆見たと思うけどそこかしこにゴブリンが使うような武器があった。大きさもゴブリン用に作られているのを見ると誰かが支給したものだな。鎧も着てたし、まじでどうなってんだよ。」
カインは後ろに置かれている少しサイズの小さい剣を投げる。確かに人間が使うサイズではない、用途が違えば使うのかもしれないが。
「そうだな。あの剣は少し変だ。エルダーゴブリンであってもあれほどの冶金技術は持っていないはずだ。もし持っていたとしても大掛かりな工房なんかが必要になるから誰かが渡したと考えるのが自然か。」
「こんなとんでもねぇことに手を貸している人間がいるなら俺がこの手でしばいてやる。」
カインが指をボキボキ鳴らしながら顔が般若のようになっている。言葉は穏やかだが腸が煮えくり返っていることだろう。
「そうだな。何かしらのバツは受けることになるだろう。まだ人間が関与しているかはわからないが。でもまぁこれで排出されている物もなくなったから水質も改善していくことだろう。随分と長居したけどいつ増援が来てもおかしくないからさっさと離れよう。帰りにウンディーネに報告をしてな。」
メンバーは悠仁の言葉に頷いて歩き出す。アリスは最後に振り返り、もう一度祈りを捧げていた。
帰り道の森は、来た時と同じ悪臭のはずなのに、少し違って感じられた。あの場所に名前のない人たちを埋めてきた。それだけで、この汚れた森全体が、少しだけ墓地の顔をして見えた。




