悪臭の正体
――サヴィンスク湖から北西へ3km地点
(頭痛がしてくる…。なんなんだこれ…。)
辺りに充満する悪臭。心なしか大気中に霧が立ち込めている気がする。森は中心に近づくにつれて木の質が向上していく。幹が太く、長期間そこで生育しているのがわかる。葉も生い茂り地上へ降りてくる光はほぼないと言っても過言ではないだろう。アリスは安全のために先ほどカンテラに明かりをつけた。カンテラはヴォーマで購入した銀色のカンテラだ。装飾が想起させる思い出によって少し気持ちが楽になる。
「はぁ…はぁ…。」
カインの荒い息が聞こえてくる。もう数時間休みなしだ。それに加えて途中で戦闘も挟んでいるため疲労はかなりの物だろう。装備重量からしても一番疲労がたまっているのは間違いない。
(休ませてやりたいが…。)
悠仁は心配そうにカインから地面へと視線を移す。地面に広がる汚泥は完全に有毒物質を含んでいる。触ったわけでも確かめたわけでもないが確実にそうだといえる。悪臭の半分は地面からのような気もしてくる。
「…カイン、大丈夫か?」
「…おう、まだまだこれくらい。アルマーディアの依頼に比べたら大したことねぇぜ…。」
威勢はいいが、表情とその声色からは疲労がひしひしと伝わってくる。
(ここから戦闘に巻き込まれると命に関わるか…。)
先ほどのゴブリンとの戦闘ではあまり苦戦しなかった。それはパーティーがしっかりと機能したからである。これが様々な要因によって十全に機能が発揮されないのであればそれは1対多の戦闘に持ち込まれる可能性がある。見知らぬ土地でそれは絶対に避けたい。
(…あまりしたくなかったが…。)
「…カイン、止まってくれ。」
「…どうした?」
悠仁は先頭を歩くカインに声をかけて進行を停止する。その制止の声によってメンバー全員が立ち止まり、木の上にいたミーナも鉄棒に足を引っかけてぶら下がっている小学生のように話を聞きに来た。
「ここは完全にアウェイだ。敵に囲まれている可能性も捨てきれないが、このままだと疲労のせいで戦闘ができない可能性があるから休憩をしたい。…ただ、この下…。」
悠仁が視線を下ろすと全員が地面を見る。ただの水分ではない何か悪い物が含まれていると思われるその汚泥がぐちゅりと返事をしたような気がした。
「これじゃキャンプは張れないし、座ることもできない。音が出るからあまりしたくないがカイン、木を何本か切り倒してくれ。それに座ろう。」
「なるほどな…。」
本音ではすぐにでも休みたかったのかカインは剣を両手で持ち始める。
「ミーナとフルールは引き続き警戒。申し訳ないが頼むぞ。アリスは防御魔法の発動準備、ステラは俺と戦闘準備。意見はあるか?」
悠仁がメンバーに問いかけるが返事はなかった。
「よし、じゃあカイン頼んだ。俺達も準備だ。」
全員がコクリと頷いたのを互いに確認をして即席のキャンプ設営を始めた。
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――15分後
「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ…疲れた…。」
カインがどしんという音を立てながら地面に横たわった木に座り込んだ。進行中は声に出さなかったが相当疲れていたのだろう。他のメンバーも座って溜息をついている。
「助かった。俺達じゃ木を倒すのに魔法を使うしかないからな。こういう時に物理攻撃は助かる。」
魔法は便利だが、それと同じくらいデメリットも存在する。敵陣の真ん中で魔法など使おうものなら熟練のローブ職がいたら場所を的確に察知されてしまう。
「まぁいいってことよ……。」
サムズアップして見せるがどう見ても元気がない。これは体力の回復までしばらくかかるだろう。
「フェリス、大丈夫?」
アリスが首に巻き付いているフェリスの額を親指でこする。少しぐったりしているようにも見える。
「さすがにこの環境は辛いな…。後半日もいたら俺達もフェリスみたいになりそうだ…。」
そういいながら悠仁は収納からエディオル村でもらったアルマーディアのジャーキーを取り出して口に運ぶ。
「あ、私も馬車から持ってきてたんだった。食べよっと…あっ。」
ミーナが自分の収納からジャーキーを取り出そうとしたが手を滑らせてしまう。長時間木の上でバランスをとっていたのだ。きっと枝を掴んでいる時間も多かったのだろう。しかし、問題はそこではなかった。
プス…プス…。
「………は…?」
ミーナが間抜けな声を出す。地面に落ちたアルマーディアのジャーキー。それから煙が上がったのだ。煙の量はさして多くはなかったが見るべきところはそこではない。
「い、色が…。」
「変わってますね…。」
ステラとアリスが言葉を漏らす。赤黒くツヤツヤしていて出来立てに見えたそのジャーキーは地面に触れて煙を出した後に真っ黒に色を変えてしまった。こうなってしまっては拾うことすら躊躇う。
「おいおいおい…なんなんだよこの地面は…。」
カインはひょいと足を上げるがこれだけ歩いてきてしまってはもうそんなことでは変わりないだろう。
「これは…。相当悪質だな…。」
「そうですね…。このレベルが森全体…、というか川に流れてるってなるとウンディーネの負担も相当ですね…。いかに精霊だとしてもこれを浄化して環境を整えるとなるとかなりのダメージがあるはずです…。」
フルールがウンディーネのことを思い出したのか少し悲しそうな顔をする。精霊は自然の象徴であると同時に全ての妖精の頂点である。そこには人間だからとかそうでないからとか関係なく責任が生じてくるのである。
「何があるか分からないが早めに解決したほうがいいのは確かだな…。ここに長居するのも問題だろう。」
何が含まれているか分からない大気と地面、川に流れる有毒物質、謎の結界にそれに反応してやってきたゴブリン。不確定情報が多すぎて危険しかない。用事がなければ絶対に入らないだろうと思われるこの場所からすぐに離れたいと全員が思っていることは間違いなかった。
「どう考えてもゆっくり休憩できる環境じゃないがしっかり休憩してから出よう。何があるか分からないからな。ただ、地面に落としたものは口にしないように…。」
悠仁の冗談に苦笑しかできないメンバーは各々食料や水分を口にしながら休息をとった。
休憩といっても、誰も装備を緩めなかった。腰を下ろしたまま、耳と目だけは森に向けている。安全ではない場所での休息とは、疲労と警戒を天秤に載せ続ける作業のことだった。
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――休憩地点から北西へ500メートル
(この先だ…。)
霧が立ち込める。今度こそは気のせいなんかではない。臭いも強くなり、何よりローブ職にはわかる。
(これは…魔力の流れ…。自然に見えるよう巧妙に隠してあるが…。)
プレイ年数的にはそうでもない。しかしここにいる魔法職は皆上位職であり、戦闘経験はかなり濃い方だ。嫌でも魔力の流れに敏感になる。安全な後方にいるような普通のパーティーでは磨かれないような感覚が磨かれている。魔力の流れに気付けることは奇襲に気が付けることであり、それ即ち命の危機を回避する能力である。悠仁を含め魔法職の4人には分かっている。この先が問題の場所だと。
「…カイン、警戒しろ。何があるか分からない。」
「おうよ……。さすがの俺でもわかるぜ…。この先はやべぇ…。」
少し前から盾を構えだしたカイン、さすがに異様な空気には気が付いているようだった。カインを先頭に一行は足を進め続ける。映画のワンシーンのように木々を抜けた先には。
「何も…ない…?」
頭上からミーナの声が聞こえた。木々を抜けた先、そこはノワールを発見したあの時のように大きく開けている場所だった。バスケットボールのフルコートほどのその空間には何もなく、誰かがいた形跡もない。
(おかしい、絶対にこれはおかしい。何か、何か………っ!)
この状態、悠仁には経験があった。そしてその数瞬後にアリスは気付いたのか杖を構えた。そう、この状況はレッドキャップとの接敵時によく似ていた。
「アリス、トラップ検知の魔法、次に防御魔法の準備。カインは目の前に集中しろ。もしかしたら攪乱の結界が張られている可能性がある。あの。」
「レッドキャップの時のやつか…。わかった。」
少し食い気味に返事をしてくる。苦々しい顔をしているところを見るとカインにとってもあれは嫌な思い出なのだろう。
「私達を陥れるその悪意を 白日の下に晒し 私に示せ」
集中し、目を瞑ったアリスが杖の先で地面をつきながら魔法の発動をする。
「ディテクトトラップ」
杖の先を中心に円状に光の波紋が広がっていく。そしてカインの数メートル先、何もないと思われた空間でその波紋が何かを避けるような形に変わる。
「……あります。たしかに、そこに。」
「カイン。」
「任せとけって。」
そういうカインの足は少し震えていた。目の前には何もないのだ。中からどのような攻撃をされるか分からない。つまりカインは目隠しをしたまま崖っぷちへ歩き出すのと変わらないのだ。それを命じている悠仁も手に汗を握っている。先ほどから杖が滑ってしまって仕方がない。
「…行くぞ。」
カインが歩き出す。そして波紋の形が変わったそこへゆっくりと足を踏みいれた。
「…………。」
顔面が見えない壁に埋まっている。きっとカインには向こうの光景が見えているのだろう。そして動かない。まるで壊れた映像ファイルのように。
「カインッ!」
悠仁が声を張り上げる。すると硬直していたカインの体がビクリと跳ねた後にバックステップで帰ってくる。
「どうしたんだっ!!」
「あ、いや…あれは…。」
あのカインが動揺している。何がその先にあったというのか。
「危険はあるのか!?敵は!?何があったっっ!!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ…っ!!」
悠仁はその緊張と要領を得ない返事を聞いてまくし立てるように質問をしてしまう。悠仁もそれを自覚してはっと体を引いた。
「敵はいなかった…。ただ…。」
「ただ、どうした。」
カインは苦虫を噛み潰したような顔をしながら呟いた。
「人の、人の死体が…すげぇ量…。」
「何だって…?」
悠仁は危険がないというカインの言葉を信じてその壁に顔を入れる。その先にあったものは。
「これは…どういうことだ…。」
大量の人間の物と思われる肉塊と、その中央に妖しく光る魔法陣だった。




