水害の調査③
――カースゼス領 サヴィンスク湖
「……。」
全員が息を呑む。目の前にいるのはこの世の水の全てを司る水の化身。マナの集合体であるその相手が放つ威圧は凄まじく、エレメンタリストとしてイフリートと契約を結んでいるフルールですら息を呑んでいる。空中に浮かんでいるウンディーネの体からは噴水のように水が湧き続けている。湧き出た水は湖に落ちて行っているが、よく考えれば何もないところから水を生み出していることになる。水でその体を作っているため完全に透明なのだが、感情や表情というのが伝わってくるので不思議だ。
『さて、私に何か用かしら?忙しいのだけれど。』
「ちょっと、聞きたいことがあるの。」
フルールが震える口を開いてウンディーネに質問する。前情報ではウンディーネは温厚な性格と言われていたが、どう考えても不機嫌だ。そしてその機嫌を更に損ねることがあったら今の悠仁達は全員命を落とすだろう。初めから討伐をしに来ているのであればまだ可能性はあるが、この至近距離で魔法を使われたら生きて帰ることは困難だ。
『…いいでしょう、武器を下ろさせたその英断に免じて質問を許しましょう。』
「…。この辺りが水害…、水が急に増えたことで村が飲み込まれてしまったの。水が急に増えているのは貴女が原因?」
『そうね。水が増えているという事象であれば私が原因ね。人間の住む村が無くなったことは申し訳ないけど、それよりも重大な事態に直面しているわ。それに比べたらそんなことは些事と言ってもいいわね。』
「重大な事態?」
フルールが更に質問をすると場の空気が歪む。溜息をついたわけではないが、早く話を切り上げたいと思っていることは伝わってくる。しかしこれも質問のうちに入っていると判断してくれたのかウンディーネはそのまま話を続けた。
『…ええそうよ。あなた達も見たでしょう、この水の惨状を。』
「この水…、臭いと、色?」
『そう、この水には非常に強い毒性魔素が含まれているわ。妖精たちが弱っていて困っているという知らせを聞いてここに来たの。妖精に害があるということは人間にも害があると言っても過言ではないわね。』
それを聞いたミーナはじりりと川から半歩足を下げた。気持ちはわからんでもない。
「ここの湖は宝石のように綺麗と聞いてたのだけど、何故こんなことに?」
『…わからない。妖精たちが私に助けを求めてきたのは…。もう覚えていないけど何度も星が行き来する前の話。どうやら上流の方で何かを流しているみたいなのだけれど、障壁が張られているのと、水が汚されてしまって本来の能力が出し切れないのとで原因を確認しに行けないの。眷属である妖精ももう上流には近づけないわ。』
「障壁…。なんでそんなものを森の中に…。」
ウンディーネは敵対の意思がないのと、自身の現状改善に繋がると考えたのか最初よりも饒舌になっている。
『何にしてもこれ以上眷属を弱らせないために私が水を増やして薄めているのよ。眷属の力は私の力。…私もここから動けないのだけれど。』
「…水の精霊ウンディーネ、私と契約してみませんか?」
『…契約?』
フルールが急に提案を始める。
「私たちがこの問題を解決出来たら、私と契約を結んでくれませんか?」
『………。』
ウンディーネは無表情のまましばらく時間を置いた後、答えた。
『…いいでしょう。ただ、条件があります。ただその位で契約をするほど私達精霊との契約が軽くないのは貴女が知っているでしょう。貴女からは…あいつの、力を感じますから。』
「その条件とは?」
『今の私の力は弱い。この毒性魔素によって普段よりも落ちているこの力では力を貸し与えることはできないし、貴女が本当に契約たり得る人物かどうかの選定もできない。よって問題を解決したらここに帰ってきなさい。そうしたら貴女にその器があるかを見せる機会を与えましょう。』
「…なるほど、そういうことね。」
今の非日常の状況ではフルールの力をしっかりと計りきれない為力が戻ってきてから再度判断するといったところだろう。確かにイフリートとの契約を終わらせたあとのフルールの魔法は強大に感じる程力を増していた。その力はフルールの能力が上がっているから使えるものであって、これがもし能力のない者だったとしたらその時点で精神は崩壊し、廃人と化すだろう。
「わかったわ。じゃあ解決したら戻ってくる。」
『いいでしょう。では、待っています。…これを。』
返答をした後、ウンディーネは何か水色の宝石のようなものを飛ばしてくる。自然現象とは思えないゆったりとした動きでそれをフルールの胸元まで運んでくる。
「これは?」
『それは源の翡翠、それを置いた場所からは新たに水が湧き出ます。それを件の場所に埋め込んでください。そうすれば水は増加し、この汚染も軽くなるでしょう。』
「わかりました。では、これを置いて帰ってきます。」
『頼みます。では、私は水を増やし続ける作業に移ります。』
そういってウンディーネは湖面に消えていき、何も見えなくなった。ウンディーネが見えなくなったことで重しを乗せられていたような場の空気は軽くなり、発言が許されたような感覚に陥る。
「あ、あれが精霊…。」
悠仁が乾いた喉を通して声を出す。
「弱っているとはいえあの力と威圧感…。本気になったらどうなってしまうんでしょう…。」
アリスもハンカチで手の汗と額の汗を拭きながら呟く。他のメンバーも体が硬直してしまっていたようで関節を動かしてストレッチをしている。
「周りにはこれだけの水、よく考えたらこれを使われたら私達即死してたかもしれませんね…。」
フルールも周りを見ながらため息をついている。周りには汚染されているとはいえ大量の水、水の精霊であるウンディーネはこれらを自在に操ることができる。まるで自分の手足のように。水は人間にとって必要不可欠なものであるのに、使い方を変えれば脅威になる。
「まぁ、それはいいけどよ。お前、あんなこと言ってちゃんと解決できるのか?何が原因かもわかってないのに。」
「大丈夫でしょ。その辺りはカインに任せるわよ。」
「お前なぁ…。」
こんな状況でも軽い感じのフルールにカインは頭を抱えている。
「それじゃ、ウンディーネも上流で問題が起きてるって言ってたわね。Yujiさん、申し訳ないんだけど付き合ってもらえますか?」
「あぁ、そのつもりで来たんだからな。ま、面倒なことはカインに任せればいいだろ。」
「お前まで何言ってんだ…。俺過労死するぞ…?」
全体のノリに絶望した顔をしながらもカインは装備を整えて歩き出した。他のメンバーもウンディーネとの会話で溜まった緊張を拭い去るようにいつもより大きなモーションで歩き始めた。
軽口の応酬は、怖かった、と言わずに済ませるための共同作業だった。精霊の前で全員が同じものを見て、同じだけ竦んだ。それを言葉にしないまま分け合えるのが、長く組んだ仲間の便利なところだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――サヴィンスク湖から北西に1.5km
「くっそ…さっきにも増して歩きにくいなここ…。」
カインが歩いている場所は1mほど離れているにも関わらずぐちゃぐちゃと音が響いてくる。泥状になっている地面のせいで装備重量も相まって体は毎回沈み込んでいる。後続はカインが踏みしめた場所を踏んでいるので多少その苦労は軽減されているが、それでも疲れる。
「先頭、代わろうか?」
フルールが少し心配そうに声をかける。
「それは助かるけど、お前じゃ踏み固められないだろ。とりあえず歩けなくなるまでは俺がやるからお前は警戒しててくれ。」
「うん…。」
カインが疲労するのはかなり問題だ。しかし地面が悪い為にこれでは休憩することもできない。恐らく水が大量に増えたことによって地盤が緩んでいるのだろう。しかも辺りに充満する悪臭。テントを張ることもできないので歩き続けるしかない。
「ミーナ、どうだ?」
悠仁は木の上を飛び回っているミーナに声をかける。すると2mほど前方の木の枝から逆さづりになっているような体勢で姿を現す。
「んー、モンスターの気配もないわね。環境生物も皆無。多分この土壌じゃ生活するのは無理なんじゃないかしら。」
「なるほどな。無理のない程度に索敵を続けてくれ。」
「おっけー。」
そういってミーナは再度戻って索敵に移っていった。
(モンスターにも環境生物にも悪い毒性魔素…。これはどういったことだ…?こんなものを垂れ流すとなると垂れ流している本人も問題だろう…。というかこれが完全に海まで流れ込んだら海洋資源は壊滅するんじゃ…?)
頭を回して見ると事態は思ったよりも深刻そうだ。今はウンディーネが毒性魔素を薄め、多少の浄化をしてから流しているため下流では少しの悪臭と色の変化で済んでいるが、今首を横に振って確認できる川は汚く、悪臭も酷い。それらが土に浸み込んで、川から500メートル程はその汚染された水によって汚染されてしまっている。
(ウンディーネだって無限の体力があるわけじゃないはずだ…。これが続けば大変なことになるな…。)
悠仁は事態の深刻さを再確認し、歩みを進めた。その時。
「ん。」
ガサササササ…。
「ストップ。」
フルールが止まったと同時にミーナが木の上から降りてくる。
「どうした。」
「かなり先、進行方向に4つくらいの気配があるわ。こっちには気付いていないみたいだけど…。」
「敵か?」
「わからない。もう少し近づいてみないと…。だけど何だかやな感覚がするの。」
(嫌な感覚…?くノ一とかハンターの職業特性か?)
悪臭と地面から伝わってくる嫌な感触以外何も感じていない悠仁からするとミーナが何のことを言っているのかは分からなかった。
「わかった、警戒しながら進んでくれ。わかったことがあったら今みたいになんでも知らせてくれ。フルールも。」
「わかった。」
「わかりました。」
「カイン、疲れてるところ申し訳ないが警戒しながら進んでくれ。」
「おうよ、それが俺の仕事だからな。任せとけ。」
(この先に何があるんだ…?)
悠仁は不安を胸にメンバーに前進の号令をだして慎重に歩みを進めた。




