環境の変化③
ガラガラガラ…。
「…いらっしゃい。」
少し生え際の後退した店主の露骨な嫌そうな声が聞こえる。悠仁は自分の時計と店の前に書かれている営業時間を照らし合わせると確かに閉店まで後30分もない状況だった。とはいえ、客が来たのにそこまで露骨に嫌そうな顔をするのも人相手の商売としてはどうなのだろうか。
「もう店じまいをするところなのにすみません。」
「…いえ、そんなことは。」
上っ面だけでも謝罪をしておく。こんなことでもいうと言わないとでは大違いだ。店主も一言あったことで少し対応を柔和にさせた。
「それで、どんな物件をお探しで?」
悠仁が来たのは不動産屋だった。幸か不幸か会社が潰れた後も今までの場所へ住み続けていた。まだ会社に所属している時には「もっと会社の近くに引っ越したらどうだ?」なんてことを何回も言われていたが、出勤時間は良いとして退社時間が遅くなることは目に見えていたし、都合よくつかわれることも分かっていたので断り続けていた。何より自分のプライベートの場と就業時間内の行動範囲が被るのは何とも嫌な気分だったからだ。
「この辺りで部屋を探したいんです。今住んでいるところよりも少し快適ならそれでいいので。」
「なるほど、求める条件としては?」
悠仁は不動産屋の質問に答えていく。風呂はどうか、トイレは、住居の規模、駅からの距離など様々なことを聞かれたが、不動産屋としては一番ネックな駅からの距離を無視できるので選択肢を増やすことができた。
「んー、それでしたらこの中からお選びいただけます。内見は…ここまででしたら今日のうちに行きますよ。さすがにこのページよりも後になると遠すぎるので明日以降になりますが。」
「ちょっと待ってくださいね。オーナーさんのチョイスが的確で目移りしてしまって。さすがですね、聞き取りも選択も上手だ。」
「いやぁ、それほどでも。お茶を持ってきますのでちょっと待っててください。」
少し褒めたら機嫌を良くした店主は奥へ飲み物を取りに行ったようだ。悠仁は今日中に行けると言われた部屋のリストを見る。
(さすがに駅から遠くていいとなると安いな。…広さ24畳で家賃が10万か…駅前なら15万はするだろうな。それで間取りがこれか…。まぁ築年数から見ても妥当なところだろう。後は変なものがなければそれでいい。)
悠仁は目星をつけて顔を上げる。
「すみません、ここを見たいんですけどいいですか?」
「そこでしたら、車で10分程なのでいいですよ。見に行きましょう。」
物腰柔らかく接していたためか不動産屋の態度も軟化していてやりやすくなった。これならば変なところには案内されないだろう。悠仁は店主が運転する車で近くにあるというその物件を見に行く。どうやら駐車場もついているようでそこへ車を止めた店主は階段を昇って目的の部屋の鍵を開けて中を見せてくれる。
「どうぞ、そんなに長い時間は難しいですが見ていってください。」
「ありがとうございます。早く済ませますね。」
悠仁が案内された部屋を見渡す。概ね図面を見て想像していたような雰囲気だった。携帯電話のコンパスのアプリを起動させて方角を確認すると南向きの窓で採光もよさそうだった。キッチンにもある程度の余裕があり一人暮らしをするには十分だ。
「…いやぁ、さすがオーナーさんですね。私の理想通りの場所です。今すぐ、契約しましょう。」
「おぉ、そうですかそうですか!それは何よりです!では、店に戻って手続きをしてしまいましょう。」
向こうからしたら都合のいい客だろう。内見一回だけで済ませてくれる客などあまりいない。悠仁はあらかじめ用意していた印鑑や通帳を使ってスムーズに契約を進めて契約を完了させる。
「…はい、確かに。では明日管理会社を向かわせますので。時間は10時で大丈夫で?」
「はい、その時間にお願いします。」
既に荷造りも、引っ越しの手配もしてあるので問題ないだろう。悠仁は手短に転居の手続きを済ませて自宅へ帰り、次の日には新しい部屋へと引っ越しを済ませていた。
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――現在
「なんか、生活がガラッと変わった気がするな。…気じゃなくてガラッと変わったか。」
外は相変わらず寒いが雪は既に止んでおり、街にはもう雪は残っていない。アルテミラ草原も緑を取り戻してきた。恐らくあと数週間もすれば元通りだろう。レッドキャップ討伐によって多数の死者が出たにも関わらずヴァリエスタは人がごった返しており、むしろ新規登録者が増えたという話まである。
(確かに楽しくはあるけど、死者が増えてるって話が出てるのに新規利用者、しかも若者が増えるなんて世の中どうなってるんだか…。一度死んだのに懲りずにここにいる俺も同じようなもんだが。)
やや自虐気味に笑いながらフェリスがエサを食べているのを眺めていると後ろでドアの開く音がした。
「あー、あったかいぃぃ…。……うぇ!Yujiさんっ!?」
「おーフルール、来たか。」
随分と気を抜いていたようで、整った顔立ちがスライムのようにとろけそうになりながら部屋の暖かさに感謝をしていたフルールは見ていてとても面白い物だった。ログインしていることを確認していなかったのか無防備で入ってきたフルールは悠仁の存在に飛び上がっていた。
「これはお見苦しい物をお見せしました…。」
「ん?いや、いいもの見せてもらったよ。カインと共有でもしとく。」
「そそそそそそそれはやめていただけると助かりますぅ…。このポップ鶏のフライを差し上げますので何卒…何卒…。」
フルールは収納にしまっていた紙包みを取り出して片膝をつき、王へと宝を献上しようとしている部下のような体勢を取った。相当に見られたくなかったのだろう。
「いや冗談だ冗談、せっかく買ってきたんだから一緒に食べよう。そろそろアリスも来ると思うから。来たばっかりで悪いんだが、飲み物の準備をしてくれるか?俺は皿の用意をしておくから。」
「そうなんですね、わかりました。」
こうして悠仁とフルールの二人は分担して作業を進めた。
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――30分後
「こんにちはー。」
悠仁が来てから30分程経った頃、アリスがクランハウスを訪れる。アリスも何か手土産を持ってきたようで紙袋を胸に抱えていた。その声を聞いてソファの上でゴロゴロしていたフェリスが走り出してアリスの足を伝って肩まで登る。
「お出迎えありがとフェリス。」
「アリスか、少し遅かったみたいだけど何かあったのか?」
ここに集合するのは一時間後のはずだった。悠仁自身も30分程度遅れてしまっていたので責めるつもりではなく心配の声色をさせながら質問をする。
「遅れてしまってすみません。ちょっと下で職員の人と話をしてまして。」
「あぁ、だから遅くなったのか。ってことは結構同じ時間に来てたのかもな。」
「そうなんですね。私が来たのはちょっと遅れて30分前くらいでしたよ。」
「そうだな、そうなると同じ時間くらいだったみたいだ。下ではどんな話をして…、って立ち話もなんだな。フルールが軽くつまめるものを買ってきてくれたんだ。座りながら話そう。」
アリスを入り口に立たせたまま話を始めたことを反省して悠仁はアリスを中へ迎え入れる。
「そうですね。私もこれ、買ってきたんです。よかったら一緒に。あ、こらフェリス、鼻入れないのっ。」
フェリスが食べ物の匂いに釣られて紙袋に顔を突っ込んでいたのを制止してアリスはしぶしぶ頭の上に乗せる。お気に入りの場所に乗せてもらったフェリスは対価と言わんばかりに鼻を鳴らして丸まった。アリスは胸に抱えた紙袋から包みを取りだし、それを開くとそこには魚の串焼きが並んでいた。
「リュカータっていう魚らしいんですけど、食べてみたらサケみたいな味がしました。これ、皮を剥いであるからいいんですけど、熱帯魚みたいにキラキラしてて自分だったら食べようとしない魚でしたね…。」
「まぁ、熱帯魚は食欲を削ぐような外見してるからな…。」
「お待たせしましたー。あ、やっぱり来てたんですね。声が聞こえていたので来たのかなぁって思ってたんです。」
奥から盆に3人分の飲み物を乗せてフルールが帰ってきた。
「こんにちはー。ちょっと遅れちゃったんですけどね。」
人と食事が揃ったことで3人は席について話を始めた。
「実はですね、下で話してたことは3つありまして、1つがこの手紙です。」
そういってアリスはシーリングされた綺麗な紙を取り出した。
「植物性の紙じゃないか。こっちでは相当高価だったはずだ。これはどこから?」
「これはリアッツォの馬車乗り場からです。内容はもう見てしまったんですけど、アニバーサリーイベントが終わって落ち着いたこともあるので馬車をそろそろ引き取りに来てあげてほしいと書いてありました。場所はあるので置くことには困ってないようなんですが馬が寂しがっているようで…。」
「あちゃー…完全に忘れてた…。そういえばリアッツォの馬車乗り場に置いてきたんだった…。」
「Yujiさん薄情ですねぇ。私はしっかり覚えてましたよ。」
「いや、それは流石に誇張だろ…。」
レッドキャップとの戦闘やアニバーサリーイベントはかなり非日常的なものだった。その中で馬車のことまで常に気を回しているというのはいささか信じがたい。
「えへへ、ばれました?」
「そりゃなぁ。忙しかったから誰しも忘れてただろ…。」
「恥ずかしながら私も…。ヴァリエスタに着いた時までは気にしていたんですけど色々あって完全に忘れてしまっていました…。ということでまずはこの手紙が組合宛に届けられていたのでそのお話が一点。」
アニバーサリーイベントの終わりが節目だったのだろう、色々と話が来ているようでアリスは次に移る。
「次は職員の方からの警告ですね。近々情報を纏めて全冒険者向けに発表を行うようなのですが先に情報をもらいました。実はこれも特権の1つみたいです。本当はここに手紙が届くらしいんですけど私が通りかかったので口頭で教えてくれました。」
クランへ与えられる組合の特権にはそのようなことも含まれているのかと悠仁は感心してしまった。
「どうやら大陸中央で行われている戦争が激化しているようです。」
「戦争、ですか。」
「ええ。ゴルド領のヴォーマに行った時に聞いたあれです。」
「あー…。そんなこと話してたな…。」
ウェイル領で発見された未開のダンジョン攻略時に飛ばされたゴルド領。そこは大陸の中央最も南にあるエリアでその北には大国が犇めいており、年がら年中戦争をしているという話だった。
「そうです、その話です。何があったかはわかりませんが大陸中央で行われているその戦争が激化しているようで冒険者が巻き込まれる事案が多発しているようです。それもあってその周辺を通る冒険者は注意をしてほしいということを聞きました。」
「ゼットフォードは通らざるを得ないからな、確かに巻き込まれる可能性はありそうだ。近くに行っただけで戦争の空気は感じられるだろうからその辺に行くときには気を付けよう。…それで3つ目っていうのは?」
アリスは話の内容が3つあると話していた。今まで話をしたのは2つだ。2つ目の時点でそれなりに重い話だったのだが最後に持ってくるということはこれが重要な話であることは予測ができる。
「最後はフルールさんが依頼を出していた件についてですね。」
「あ、もうわかったんですか?」
「ん?何の話だ?」
アリスとフルールの中で話が完結しているが、肝心のマスターである悠仁は何の話をしているのかさっぱりわからない。その顔を見てフルールがアリスからバトンタッチして話をする。
「私、転職試験の時にイフリートと契約して火属性魔法でイフリートの管理するものに関してはかなり強化されたじゃないですか。だから他の四大精霊と呼ばれる存在とも契約をしたくて痕跡を探してもらっていたんです。」
精霊は妖精の上位存在であり、マナでその存在ができている。言ってしまえば思考するマナのようなものだ。しかしマナで体ができていることから、それ即ちマナを自在に使うことができる存在である。よって精霊という物は自然を司ると同時に破壊的な力を持つ存在である。それらと契約を結ぶことができれば凄まじい恩恵を受けることができるだろう。
「それで、見つかったんですか?」
「いえ…確実に見つかった、とは言えないのですがセダ領とカースゼス領の境にある山脈の麓の湖で急な増水と氾濫があって新しい川ができてしまったとのことで…。」
「急な氾濫…。」
「…ん?それって逆じゃないか?」
悠仁がアリスの説明にあった少しの違和感に気付いてそれを指摘する。
「そうなんです。私もそれを思ったんです。湖の水位が急に上昇することは向こうでもない話ではありません。ですが大体は地震などで山の形が変わったり地下の様子が変わったりすることで水の流れが変わって起こります。ですが今回はそのようなことは確認されていないので皆不自然に思って報告が上がってきたようです。これによって近くで野営をしていたNPCの方が巻き込まれて命を落としてしまったようです。」
「んー…。確かに不自然だな…。」
「それがもしかしたらウンディーネの可能性があるってこと?でもウンディーネは温厚な精霊で有名よ?」
「そうなんですよね、私も以前本を読んでいた時にそういった記述を見かけたことがあったので不思議に思ったんですが、その可能性もあるってことで報告をしてもらいました。」
「温厚ねぇ…。」
相手は精霊だ。人間ではないので人間の心理がそのまま通用するとは限らない。だいたい現実世界においても動物の気持ちなどは正確ではない。生物的に高位になれば感情などがあることは確認をされているがそれは人間の感じる喜びや悲しみとは少し違うかもしれないのに、それを理解しやすいように人間の感情に落とし込んで考えているのだ。今回の場合も温厚だと感じたのはその一瞬の観測によってだけで、実際はそうではない可能性もある。そもそも精霊には滅多に遭遇することはできない為、あまりにも母数が少ない。
「まぁ、セダ領はウェイル領の北西だ。ゼットフォードよりも先に通ることになるはずだ。…だよな?」
急に不安になってアリスに尋ねる。
「はい、確かその通りです。えーっと…。」
アリスは収納から地図を取り出した。そしてその地図には以前になかったものが書き込まれていた。
「Aliceさん、これは?」
「これはウェイルさんにいただいた地図なのですが、今回のレッドキャップのこともあったので文献や組合の人に聞き取りをしてレッドゾーンと準レッドゾーンを書き込んだんです…あとは金策になりそうな素材が採れる場所とかですね。例えばこことか。」
アリスが指差したのはウェイル領の南東、カプランドの大森林がある場所だ。確かにここは薬草の材料が多く取れるため金策をしても良い場所だ。
「これを見ると…。そうだな、レッドゾーンや準レッドゾーンを避けていくにはリアッツォを南西に出てカースゼス領を通ってからセダ領に入るしかない。ってことは話にあった場所は必然的に通るってことだ。」
「そうなります。なのでここの調査もできます。」
「なるほどねぇ。Yujiさん、出発っていつできそう?」
「出発か…特に予定があるって話も聞いてないし買い出しを済ませて、皆が集合するのを待てばすぐにできるけど…。」
ヴァリエスタでやることも粗方済ませることができた。出発前にやることと言えば組合の支部長であるハリヴァとジマルに挨拶をすることくらいだ。日暮れ前に出発できればそれでいいと思っていたが、急ぎであればそれに合わせることもできなくはない。
「じゃあなるべく早くの出発でいいですか?精霊って存在も結構曖昧なので違う土地に移動してしまう可能性もあるんです…。それに物体っていう概念でもないのでマナが存在できる場所ならどこでも移動できるので大陸間の移動なんてすぐにできちゃうんです…。」
「なるほど…見つかりにくいっていうのはそれもあるんだな…。よし、じゃあみんなが来たら話をしよう。」
「そうと決まれば買い出しですね、本格的に買うのはリアッツォについてからですけど。数日分の食材は買っておく必要がありますからね。」
そういってフルールが立ち上がるとアリスもそれに合わせて立ち上がる。今すぐに行こうという話なのだろう。悠仁はそれを察して羊皮紙を取り出して買い出しの旨を書き記してテーブルの上に置いた。
「これでよし。じゃあ行こうか。」
「「はいっ!」」
こうして3人はクランハウスを後にして露店が立ち並ぶ中央通りへと向かった。
新しい旅の輪郭が、報せ三つ分だけはっきりした。馬車を取り戻し、戦火を避け、水の気配を確かめに行く。地図に書き込まれた印の数だけ、旅は具体的になっていく。




