バレンタイン大作戦
――2月14日 side G
「むむむむむ…。」
その少女は、眉間に皺を寄せて可愛らしい顔を歪めて低い声を上げていた。ピンク色でチェックの入ったエプロンを付けて小指を舐めているようだ。頬には茶色く、甘い香りのする化粧がされていた。時計は午前1時を知らせている。
「こっち…いや、それとも…。」
「おねーちゃーん、いつまで悩んでるの?」
その少女の後ろからは可愛らしい声が聞こえてきた。声だけ聴くとエプロンをしている少女よりも幼そうだ。
「だってぇ…。」
「はぁ…。お姉ちゃんっていつもそうだよねぇ、慎重すぎるっていうか、優柔不断っていうか。こんなにいいもの持ってるんだからチョコなんて二の次でしょ。」
「あっ…ちょっと…。やめっ…ぁっ…。」
エプロンをしている少女よりも一回り小さい女の子が後ろに回り込んで、その体に合わない豊満な胸部を揉みしだく。ぐにゅりぐにゅりと形を変えるそれは柔らかさと弾力の両方をこれでもかと言わんばかりに持っていることが伺える。
「…くそう…、我が姉ながらなんて凶悪な物を…。っていうか、同じ血を受け継いでいるはずなのになんで…。」
それまで姉の胸を揉んでいた少女はその手を自分の胸に当てる。そこには絶壁があり、姉と対比させると見る影もないのは誰の目から見ても明らかだった。
「はぁ…はぁ…。エマはまだ成長期だってばぁ…。」
「2つしか離れていないのにそれは逆に攻撃だよお姉ちゃん…。っていうかお姉ちゃんは私と同じ年齢の時には既に結構おっきかったでしょ…。」
「……そ、そこは個人差っていうか…。大きいのも大変なのよ?肩が凝るし、服を着ると太ってみえr」
「だぁぁーー!!乳が大きい人間の悩みなんて知るかぁっ!」
少女は両手を上げて威嚇するように大声を出す。
「ひっ…」
「あ、ごめん。…そもそもハートフォード家ってみんな胸が大きいのに何で私だけ…。」
「人と違うっていうのはダメなことじゃないよ、それも個性。大切にしていけば…。」
「折角ならみんなと一緒が良かったよ…。っていうか不思議の国のアリスのアリスって胸小さかったよね。」
「あれはお話だから…。」
「胸の大きいアリスなんて反則だよ…。」
どうやら少女はエプロンを付けている女の子の妹のようだった。綺麗なブロンドの髪、長さは姉と同じく腰辺りまで伸びており、丁寧に手入れをされているのかさらさらと雪解け水が流れるかのように見える。緑色の瞳とフランス人形のような整った顔立ちを見ると血がつながっているのは明らかなのだが、決定的な違いは胸部だった。そして妹である彼女はそれをコンプレックスとして感じているらしい。
「ま、まぁそれに関しては時間しか解決できないから…。それはそうとこれどうしたらいいかなぁ…。」
「それはそうとって…まぁいいや。お姉ちゃんトリュフの方が得意なんだからそれでいいじゃん。」
「で、でも。最近の流行って綺麗なアイシングをしたクッキーって聞くしぃ…。」
「はぁ…。あのねお姉ちゃん。」
エマは少し溜息をついて話を始めようとする。真剣に相談に乗ってくれると思ったのかアリスも少し佇まいを直して話を聞く体勢を取る。
「バレンタインに何をあげるかなんて些細な問題なの。大切なのは気持ち、確かに流行も大事だよ?だけどお姉ちゃんが勝負で勝てるのはトリュフチョコなんだからそれをあげればいいじゃん?悩んでる暇があるなら愛情をこめて作るのが一番気持ちが伝わっていいよ。…このエミリー・ハートフォードが保証するよ、お姉ちゃんから気持ちの篭ったチョコもらって嬉しくない人なんていないから。貴女はアリスティア・ハートフォード、私のお姉ちゃん。出来るに決まってるでしょ。」
真剣な表情で語るエマは、そのスレンダーな体型と整った顔立ちも相まってとても凛々しかった。これがアリスのように優しさが前に出るような性格と表情では表現できないような説得力だろう。
「エマ…。うぅ…お姉ちゃんよりもかっこいい…。」
「そ、それはいいからっ。ほらっ、手伝ってあげるから早く作っちゃうよ!」
「う、うん。頑張るっ!」
エプロンを付けた妹の後を追う様に、アリスはキッチンに向かった。
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――2月13日 某所
「んー…。どれがいいんだろ。…ここは素直に先輩に聞き出してもらった方がよかった…、いやいやいや…、それはない。さすがに女の意地がそれを許さないって…。」
ミーナはとあるデパートに来ていた。世界の名だたる菓子メーカーが集められている一角では華美な装飾が為されており、バレンタインムード一色だ。プロのパティシエが作ったチョコレートはどれも工芸品のような美しさを放ちながらショーケースの中で鎮座していた。
「せめて味の好みがわかればなぁ…。」
「何かお探しですか?」
露骨に悩んでいたミーナを見かねた女性店員が声をかけてくる。辺りはチョコレートを購入しようとする客が多い為悩んでいる客一人に時間を割く余裕なんて残っていないだろうと思われるのだが、こういったところに目を配って人を割けるところがさすが一流といったところなのだろう。
「あー…。チョコをですね、その、あげたい相手がいるんですけど、好みがわからなくて…。」
「なるほど、それで悩んでいたんですね。…そうですね、でしたらこちらなんかどうでしょう。」
店員はカウンターの裏に戻ってサンプル品を持ってきた。どうやら試食品のようだ。さくらんぼよりも少し大きいくらいのチョコレートは黒いチョコレートの塊の上から色の明るい茶色のチョコレートをかけて、上に金箔を撒いたようなデザインだった。
「ぜひ召し上がってみてください。一口で。」
そういって試食を勧めてくる。こういったところのチョコレートは普通に一粒1000円を超えるものがあるのだが、そんなものを試食してもいいのだろうかと疑問に思いつつも勧められるままにそのチョコレートを頬張った。
「あ。」
口の中で感じたのは甘味。ひたすらに甘いそれは急激な唾液の分泌を促すには十分な甘さだった。この甘さは人を選んでしまうのではないかと思って一噛みすると、中のチョコレートから出てきたのはビターで、柑橘の風味のするチョコレートソースだった。それらが口の中で溶けて、混ざることで甘すぎず苦すぎない絶妙な味を表現していた。
「美味しい…。」
「ありがとうございます。こちら、男性向けのプレゼントで迷っている方へのおすすめなんです。男性は甘いものが苦手という声もありますが、甘党の男性だっていますので一概にビターチョコレートを贈るよりもバランスの良いこういったものが好まれる傾向にあります。」
「へぇー、そうなんですね。」
確かに、確認もせずに甘いものが苦手だと決めつけるのはあまりに早計だ。固定観念にとらわれていたミーナにとって店員の言葉はまさに福音だろう。
「お値段は少し張ってしまいますが、味だけでなく装飾も綺麗なものばかりですので是非こちらなどいかがですか?」
まんまと口車に乗せられてしまっている感は否めないが、騙されているような買い物ではないのでミーナはその声に対して首を縦に振った。
「はい、じゃあお勧めのそれをいただきます。」
「ありがとうございます。いま包ませていただくのでしばらくお待ちください。」
手作りではない。ただ、別に買ったものだからと言って気持ちがこもっていないわけではない。
(喜んでくれるかな。)
ミーナはチョコを渡す相手の顔を思い浮かべながら雑踏に耳を澄ませた。
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――2月13日 深夜
「ええと、チョコ…は無理…、ん?チョコ?チョコって何だっけ…。ま、いいや、それよりも。」
フルールの目の前には砂糖とカール羊の乳で作られたバター、ゴーニャ小麦の粉、ポップ鶏の卵そして怪しい瓶が置かれている。
「とりあえず、これを混ぜれば作れるらしいわね。えと、先にバターを溶かして砂糖と混ぜた後に、卵を混ぜて…、それを冷やした後オーブンって感じね。…これで何が作れるの?」
よくわからないが、これで甘いお菓子が作れそうな気がしたので材料を揃えてきたが、何ができるのかは分からない。ただ何かしっかりしたものができるような気がする。
(料理人スキルの効果…?まぁいいや。)
フルールは手順を頭に思い浮かべながら材料を混ぜ合わせる。
「んっ…んっ…、ふぅ…。結構力使うわね。それで、これを冷やす…けど…。」
冷やすものがない。
「そういえば料理って温めるってことはするけど冷やすってあんまりしないわね…。火を通せばある程度の料理はできるから確かに必要性は低いのかも…。ってことはどうやって冷やそう…。」
少し頭に考えを巡らせたあと、一つの案を思いついたフルールは金属製のボウルを持って調理室から出て聖堂の外まで向かう。そして徐に懐から杖を取り出して詠唱を始めた。
「静謐なる水の精霊よ 環り咲く美しき水を借り受ける 形を変え我が手に顕れよ 我らが障害を討つために」
急に始まった詠唱に周りの冒険者たちの視線が集まる。フルールは杖をしまい込んで魔法を発動する。
「アイスランスッ!」
次の瞬間、空気中の水分がフルールの右手に集まり透き通る氷のランスを作り出す。フルールの体ほどもある巨大なランスを軽々振り回して状態を見る。冷気がたち込めて辺りの気温が少し下がったように感じた。遠くからはぱちぱちと拍手が聞こえてきた。
「あ、どうも…。驚かせてすみません。」
もちろん街中でこれを投擲するわけではない、この氷のランスが欲しかったのだ。フルールはその物騒な槍をもちながら調理室へ戻った。
「よいしょっ…と。」
ゴトンッ!と大きな音を立てて氷のランスが調理台に置かれる。
「それで…これを…。こうっ!!」
杖の次は短剣を取り出して、魔力を込める。緑色に輝いた刀身をランスに向かって振り下ろす。
バキンッ!!
大きな音と共にランスの一部が欠ける。
「いっっ!!………つぅ…。」
渾身の力で硬い物を叩き割ったのだ。その分の衝撃が手に伝わってきて手が痺れる。だが、それでもランスの一部を崩すことができた。その欠片を手に持つととても冷たい。
「つつ…。とりあえずこれを何回か繰り返して欠片を集めて使えばいけそうね…。ただこれを維持するのは魔力消費が激しいから早めにしないと…。」
結局は4小節の魔法を維持しておくということだ。多大な魔力を消費するためフルールはマナポーションを飲みながら作業を続ける。アイスランスの温度は低い外気温で作られる氷よりも遥かに低い為急激な速度で生地を冷やすことができた。
「一気に冷えた…。それでこれを切って窯で焼けばいいわけね…。」
包丁を使ってその生地を一口サイズに切って、手で形を整えていく。作った生地を全て使い切ったところで窯に生地を入れて焼き始める。アリスのように時間を計れるわけではないので窯の中を覗きながら焼き加減を確認して、よいタイミングで生地を取り出した。
「…おーっ、いい香り。一つ食べてみよっと…。」
甘く、それでいて香ばしい香りのするそれをつまんで口に運ぶ。サクッという心地よい音がした後にほろほろと口の中で崩れていく。唾液と混ざって染み出した砂糖は口全体に甘味を広げ甘い香りと小麦の香りが呼気と共に鼻腔を刺激する。
「んーっ!完璧っ!」
一度も作ったことがないのになぜこれができたのか、そして作ることができたのかは分からないが結果良ければ全てよしだ。フルールは今回のレシピをメモに書き記して収納へしまい込んだ。後はこれを持ってきた箱に入れて、飾り付けをすれば。
「よしっ!完成っ!」
クッキーが入ったプレゼントボックスの完成である。非常に質素ではあるが込めた気持ちは飾り付け以上だ。
「さて、こういうのって渡すのは14日なんだっけ。ってことは明日までばれないようにしておかないと…。」
どこかに置いておくと誰かに見つかって中を見られてしまう可能性がある。それを避けるには自分の収納に入れておくのが一番確実だろうと判断したフルールは収納にそれを入れる。
「さて、カインの顔が楽しみ。」
クッキーを作り終わったフルールは後片付けをして調理室を出た。
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――2月13日 某所
「………。」
ステラは悩んでいた。目の前にはチョコ、それもブランド物だ。確実においしいだろう。これを送られて嫌な人はそもそもチョコ自体が好きではないのだろうと予想できる。だからこれをプレゼントに使うことは何の問題もない。しかし、今回の問題はそこではない。
「……悠仁と、アリス、ねぇ。」
悠仁のパーティに入ってそれなりの時間が経った。ただのメンバーだと思っていたが、時折見せる男性らしい表情やドキリとさせられる言動が続くうちに段々と意識を持っていかれていた。一緒に冒険をするなかで危険なことがたくさんあったのでもしかしたらつり橋効果だったのかもしれない。だがきっかけはいつも些細なものだ。
しかし今回は訳が違う。最近の悠仁とアリスの様子は以前に増して親密になっているように感じる。女の勘、などというレベルではない。誰の目から見ても明らかだ。
「……どうしよう、かな。」
旗色は怪しい、そんな中でこれを渡す意味はあるのだろうか。伝わらない気持ちの置き場に困ったことが今までなかったので抱えている気持ちをどこにおいていいか分からない。
「……まぁ、ね。」
気持ちを伝えるだけ、ただそれだけなら、今の自分にも許されるのではないか。ただそれをしていい状況なのか。
「……はぁ。……まるで、乙女。」
まさか自分がこういったことで悩むとは露ほども思っていなかったステラのため息は止まらない。目の前に並んだチョコを前にそのまま20分程立ち止まっていた。傍から見たらおかしな女に見えた事だろう。
「……でも、そうだね。」
そういって一つの箱に手を伸ばす。オーソドックスなチョコの詰め合わせ、四角や丸のチョコレートが入っているものだ。あまり作りは凝っておらず、値段もそこそこである。
「……振られた側です、って顔をするのも、つまらないし。……ここは、義理ですー、って顔をしておこう、かな。」
ステラはそれを手にもってレジへと歩き出す。
「……。」
しかし、レジまであと数歩といったところで立ち止まる。
「……でも。」
ステラは歩いた道を引き返して手に持っていた箱を置く。そしてその隣にあった、ピンク色のハート形チョコが一つだけ入っている詰め合わせを手に取った。
「……少しくらい、いいよね。」
ステラはそれをレジに持っていって配送処理を済ませる。住んでいるところが遠いのでさすがにチョコだけを届けるために電車と新幹線を乗り継いでいくのは非効率的だ。悠仁から以前に聞いていた住所を伝票に書き込んで荷物を託した後、店を出た。2月の冷たい風が頬を叩く。
「……人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえ……っていうけど。……まさか、私が蹴られる側になるなんて、思ってもみなかったな。」
ステラは自分のいる状況に苦笑しながら歩き出した。その背中は、少し寒そうに見えた。




