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あの場所で

――木漏れ日遊歩道


キキーッ……。


車のブレーキ音が聞こえる。悠仁は頭に入らないニュースから目を離して音の発生源を見た。そこには一台の黒いタクシーが止まっていてドアがガチャリと開いたところだった。車内灯が爛々と光り、中でゴソゴソと誰かが動いているのが見える。しばらくすると車に乗っていた人物は降りてタクシーに向かってぺこりとお辞儀をした後にきょろきょろと周りを見渡している。現在時刻は午前3時、景観を損ねるからという理由で街灯もそんなにないこの場所では、何かを探すのは困難だろう。


というよりも『あの公園で』で良くここが通じたものだ。そう思いながら悠仁は立ち上がって探し物をしている日本人離れしたその風体の少女へ近づく。


「アリス。」


「あ、悠仁さん。」


「「………。」」


二人の間に沈黙が流れる。何だかふわふわしたこの空気、一方は不安を、もう一方は恥ずかしさを感じていた。


「…とりあえず、座るか。」


「そ、そうですね。」


悠仁は先ほどまで自分が座っていたベンチを指差してアリスを誘導する。アリスも誘導されるがままにベンチまで歩いていき、悠仁の隣に座った。


「…さ、寒いので、もう少しそちらに行ってもいいですか?」


「…あぁ。」


悠仁の返事を聞いてアリスは拳一つ分悠仁の方へ近づいてきた。ただ、二人の間には距離がありその間を隙間風が通る、これでは意味を成さないだろう。悠仁はアリスの確認を取らないでその距離を完全に0にする。肩に当たるアリスの腕は細く、女性らしさを感じさせた。


「ひゃっ…。」


「あぁ、ごめん。寒いって言ってたからな。嫌ならはなr」


「い!いや!嫌なんてことはありません。」


「そ、そうか。」


突然の声に悠仁はたじたじになりながら返事をする。そして再び二人の間に沈黙が流れた。1分、2分と時間が流れていく。嫌な感じのする沈黙ではなかったがその沈黙を破ったのは悠仁だった。


「なんか、来てもらって悪かった。」


「いえ、私がしたかったことですから。それに今回の報酬でここまでのタクシー代なんて簡単に賄えますからね。」


「あぁ、それは違いない。何往復しても使いきれないくらいだな。」


貰った報酬は白金貨17枚。日本円にして1億7千万円分の金だ。これを6人で分配するとなると一人頭約3000万円。一般人が簡単に手に入れることのできない金額を一晩にして稼いだのだ。一回のタクシー代など些末な問題だろう。


「…迷惑じゃなかったですか?」


「迷惑だなんて。…アリスの声を聞きたいと思った時に聞けて嬉しいくらいだ。」


「そう言ってもらえると嬉しいです。」


再び沈黙が訪れそうになる空気。年上の男がこんなことを言うのは恥ずかしい、そう思ったが自分の気持ちに正直になれない方がよっぽど恥ずかしいと思った悠仁は逡巡の後再度口を開いた。


「…実を言うと、怖かったんだ。」


「……。」


アリスは悠仁の目を見ながら黙って話を聞こうとしている。悠仁もそれに従って話を続ける。


「俺は、確かに死んだ。アリスに助けてもらわなかったら冒険者生命どころかこっちでの命も落としていたところだ。…死んだことは覚えてるんだ。だけど生きている実感が得られなくて、それで、それで…。」


考えが纏まらない。やっぱり心情を吐露するのは少し恥ずかしさが混ざる。そして何より言いたいことがボロボロと出てきたことで思考が追いつかない。


「ゆっくりでいいですよ。私はここにいます。」


密着している腕を更に押し付けてくる。触れ合いがあることで誰かが隣にいてくれているという実感を覚えることができた悠仁は、深呼吸をした後少し話すスピードを落として続けた。


「向こうでは皆がいるし、確かに自分はここにいる、そう感じられたんだ。あのビルの中でもそうだ。受付の女性が声をかけてくれた。…ただ、入り口にいた男2人は返事をしてくれなかった。そして暗い道を一人で歩き出したその時に急に恐怖が全身を包んだ。…ここは死後の世界なんじゃないか、俺はログアウトをして現実世界に戻る夢を見ているんじゃないか、そう思えて、怖くて…。」


「…怖い、ですよね。当り前です、私だってきっと怖いはずです。」


「…。」


「車に引かれそうになった時、包丁で手を切りそうになった時、そんなことですら恐怖を感じるんです。実際に死んだのであれば、それはもう私が想像のできないくらいの恐怖でしょう。男性だから、年上だから、そんなことは関係ありません。死は古来より人間の恐怖の対象です。…怖がっていいんです、むしろ怖がらないなんて異常です。」


「…そう、なのかな。」


「そうですよ。私だったらログアウトすらできなかったかもしれません。」


「そ、そうか…。そうか…。……あ、あれ…。」


悠仁の瞳から涙がこぼれる。どこも痛くないのにあふれる涙。自分の体の制御が奪われたかのような状況に、悠仁は驚いて顔に手を伸ばす。


「あれ…おかしいな、なんで…。」


「悠仁さんっ。」


次の瞬間、悠仁の顔が柔らかいものに包まれる。次に感じたのは鼻腔をくすぐる甘い香り。自分の瞳から流れた涙で混乱した後にこのような状況になり更に混乱する悠仁の頭を優しく抑える感覚が後頭部に伝わってきた。自分の前も後ろも優しく触れられている感触に、段々と状況が呑み込めてきた。


「いいんです、いいんですよ。私はここにいます。どこにも行きません、ずっと、悠仁さんの隣にいます。」


どうやらアリスの胸に顔を押し付けられているような形で抱かれているようだった。泣き顔を見ないというアリスなりの配慮なのだろうが、他に何か方法はなかったのか。ただ、そんな感情も水の中に溶けていくインクのように消えていった。


「大丈夫、大丈夫です。」


「…む、むぐっ…。」


「…あぁ!すみませんっ!」


少し強めに抑えられた悠仁は少し呼吸が苦しくなり、それを感じ取ったアリスがばばっと悠仁の頭を離した。悠仁は後頭部にかかる圧力が無くなったことと、顔面から伝わる年相応とは言えない弾力によって押されたためそのまま顔を上げる。


「……。」


悠仁が顔を上げた、その時。


「悠仁さん…。」


「……っ。」


驚きのあまり思考が停止する、視界が明滅しているように感じた。感じるのは唇に伝わる柔らかな弾力と、頬を包む少し冷たい温度。最後に見えたのは近づいてくるアリスの顔。何が起こったのかをゆっくりと整理する。が、整理することなど何もなく、目の前の状況を確認するだけで事足りた。


アリスとキスをしているのだ。ただそれだけ、それだけなのに心の中を何か温かいものが満ちていく感覚に包まれていく。


「…はっぁぁ…。」


アリスが艶めかしい吐息を漏らしながら悠仁の唇から自分の物を離す。


「ア、アリス…。」


「…すみません、とは言いません。…私の気持ちですから。」


状況を認識した悠仁の脳は、心臓を早鐘のように打ち鳴らし顔が熱くなる。その温度は外の寒さを際立たせるのに十分で、そしてなにより鼓動が生きている実感をもたらしてくれた。


「お、おう。」


あまりの驚きと困惑に、口調も少しおかしくなってしまうがそんなこと些末な問題である。


「…それでお返事は、いただけますか…?」


「返事、だな。」


正直なところ今の状況なら何でもアリスの望む通りの答えを出してしまいそうになってしまう。しかしそれは状況に流されただけだともいう。アリスのことが大切だからこそ、しっかり考えて答えを出さなくてはいけない。悠仁は深呼吸で鼓動を落ち着けてゆっくり目を閉じた。


(きっと、ゲーム内での返事のこと、今のキスの返事のことを言っているのだろう。…俺のことを心配してここまで来てくれたのは素直に嬉しいし、アリスのことはただの仲間以上に思ってる…。だけどここですぐに答えを出していいのか…?)


悠仁は回らない頭を回して考える。そして少し卑怯な答えを出した。


「…返事は、少し待ってくれないか。必ず近いうちに返すから。年を取ると色々考えないといけないこともあってな。」


「…悠仁さんはずるいですね。そう言われたら待つしかないじゃないですか。…ほんとに、ずるいです。」


アリスは悠仁に困ったような笑顔を向けてきた。いつもこんな表情をさせてしまう自分が少し嫌になるが、状況に流されずにしっかりと考えなくてはいけないことは今までの経験でよくわかっている。今の場ではこれは模範解答だと自分に言い聞かせる。


「…ここ、懐かしいですよね。」


アリスが無理やり話題を変えるように昔話をしてくる。いつまでももどかしい空気がむずがゆかったので空気を変えたかったのだろう、その意図を察して悠仁も心臓を落ち着けながら話に乗っかる。


「…あぁ、アリーシャでの、フルールに会う直前ぶりだな。」


この木漏れ日遊歩道には以前にアリスと寄ったことがあった。そして驚くカミングアウトもされたものだ。


「あの時の話、覚えていますか?」


「…忘れるわけないだろ。HOPEの世界でそんなことが起こってることは、噂では知ってた。そしてまさか自分に関係した人間がそんな状況に遭っていたことを知ってショックを受けた。あれを忘れることなんてできないな。そして何より…。」


「私が悠仁さんを懐柔しようとしたことですよね。」


「あぁ、それが一番衝撃的だったな。」


以前、この場所、そしてこのベンチに座ってアリスから話を聞いたことがあった。アリスが何故草原に倒れていたのか、そしてアリスの本心を。


「それでも、悠仁さんは私を信じてくれましたよね。」


「まぁ、信じてもらえるように努力したっていうのが正しいな。」


「そうですね。…あーあ、そのせいで私、今では悠仁さんの虜です。」


「…もう隠さなくなってきたな。」


恐らく今日急に好意を持ったわけではないだろう。つまり今まで心に秘め続けてきたということだ。それが今になっては吹っ切れたのかストレートに伝えてくる。ここまでくるといっそのこと清々しい。


「えへへ、もう言っちゃいましたからね。後は返事待ちってことですから私としては肩の荷物を半分降ろせた気分です。」


「その分は俺が持っている状態なんだけどな。」


「…いいじゃないですか。もう、伝えられないと思ったんです。とても、とても悲しかったんです。片方だけでも、持ってくれたっていいじゃないですか。」


そう言われたらもう何も反論することはできない。


「…っていうか、私を庇って死ぬなんて悠仁さんは本当に馬鹿ですよ。馬鹿、あーもうっ!汚い言葉は使うと心が汚くなるって言いますが、今日だけは大丈夫っ!」


「ちょ…、急に性格変わりすぎじゃないか…?」


「ヤケですヤケ!私がどれだけ心が張り裂けそうだったか知らないからそんなことが言えるんです。悠仁さんのことだからきっと咄嗟にやったから、とかいうんでしょうけど、そもそもですね、悠仁さんh」


アリスが見た事の無いくらい饒舌になっている。こんなアリスは初めて見たので面食らってしまったが、そもそも悠仁だって無鉄砲にあのような行為をしたわけがない。目の前で他の冒険者が死んでいるのを見ていて、そしてHOPEでの死がどういうことを意味しているかも知っている。それを踏まえた上でアリスに生きてほしいと助けたのにここまで言われるのも少し気分が悪い。


「…俺が。」


「俺が、なんですか?」


「俺がどういう思いでアリスを助けたか、分かるか?」


「……。少し…。」


悠仁が静かに、ゆっくり話し始めたことでアリスも少し言いすぎてしまったということがわかったのか語気が弱くなる。その様子を見て、悠仁はゆっくりと口を動かす。こうなればヤケだ、そう思って悠仁も思っていたことを伝え始めた。


「俺がどんな覚悟でコンセントレーションをかけて走ったのか、想像ができないわけじゃないだろう?」


「うっ……。」


形勢逆転の音が聞こえる。


「それをそう言うのは、少し悲しいな。」


相手が窮地に追い込まれていると、少し心に余裕ができてくる。悠仁はこれ見よがしに表情を作ってまくし立てた。


「そ、それは…。」


「アリスの、その綺麗な瞳、綺麗な声、綺麗な笑顔、それを失いたくないと思って、助けたんだ。ずっと見ていたかった、ずっと隣にいてほしかった。それを全て諦めてでも、失いたくないと思ってその肩を押したんだ。」


「うぅ…。」


口論は詰将棋の様相を呈してきた。


「だから、それだけは分かってくれないか?」


「…し、仕方ないですね。そこまで言われてしまっては何も言えません。…た、ただ、留飲を下げるには1つ条件があります。」


ここに来ても少し自分の意地を通そうとするアリスに何だか笑いがこみ上げてきそうになったが、正直なところアリスにはもう返しきれないほどの恩をもらっている。ここは素直に聞いておくのがいいだろう。


「聞こうか。」


「…このまま、私と初詣に行ってもらえませんか?」


そういえば今は1月1日、元日だ。せめてこれだけは聞いてほしいと言わんばかり、アリスは上目遣いで頼み込んでくる。これが計算によって行われているならそれは限りなく完璧な回答に近いだろう。この瞳で頼まれてしまっては断ることなどできない。


「あぁ、それで良ければ。」


「ありがとうございますっ!じゃあ、早速っ。」


アリスが勢いよく立ち上がる。そのまま悠仁の目の前に立つ。


「行きましょう。」


「でも、この辺に大きな神社なんて…。」


「開いてればどこでもいいです。どこに行くかじゃないですよ、誰と行くかが大切なんです。さぁ。」


そういってアリスは手を伸ばしてくる。悠仁よりも遥かに小さなその手、だが何よりも頼もしく見えるその手に悠仁は自分の手を重ねる。


「それっ!」


「おっと!」


乗せた手を掴まれて勢いよく引っ張られる。あまりの勢いにそのままアリスを押し倒してしまいそうになったがなんとか耐える。


「行きましょう、悠仁さん。」


「…そうだな。」


歩き出したアリスの横に、悠仁が並ぶ。揃った歩幅で、二人は歩き出した。


「タクシー呼ぶか?」


「いえ、このまま歩きましょう?歩いていれば初日の出も見られそうですし。」


「そうか。そうだな、それもいい。」


そうして二人は夜の細道に消えていった。

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