勝鬨、そして…
――――ッ。
無音。耳が把握できる音を超えたのだろう。HOPEのシステムによる保護なのか、光でできたメイスがレッドキャップに接触する瞬間の音は、聞き取ることができなかった。世界が一拍、息を止めたようだった。凄まじい土埃が舞い上がり、悠仁達を襲う。
「くっ…!」
「きゃっ…。」
思わず顔を手で覆う。砂粒が頬を打ち、口の中にざらりと土の味が広がる。恐らく悠仁とアリス以外も同じようなものだろう。砂埃が収まる前にズシンッ…という音が聞こえたが、何の音だったのかはわからない。悠仁が目を開けて前方を見ると、そこには血に伏して自身の血液をまき散らしているレッドキャップの姿があった。
「…神聖属性が弱点で、あれを食らったら、そりゃそうなるか。」
何故アリスが長い詠唱を、丁度神聖属性が弱点になる瞬間に合わせることができたのかは分からないが、結果良ければすべてよしだ。隣を見れば、当のアリスが少しだけ得意げに、けれど疲れの滲んだ顔で杖を抱えている。
「倒した…のか?」
「だからそれは死亡フラグだって前も…。」
カインとミーナがゆっくりと警戒しながらレッドキャップに近づく。すぐそばまで接近したカインが、ゴスンという音を立ててレッドキャップを蹴り上げる。しかしその体が自発的に動くことはなく、カインの蹴りの勢いそのままに2m程転がって停止した。
再度近づいて剣先でつついても動かないことを確認したカインは、ゆっくりと悠仁に向かって拳を突きあげてくる。悠仁もそれに応えて腕を上げる。
「ってことは…っ!」
アリスがそれを理解して嬉しそうな声を上げる。
「勝ちだ…、勝ったぞっ!」
『おい、勝ったってあのパーチの人が…。』
『まじか…まじかっ!』
『う、うぉぉおおおおおおおお!!』
ワァァアアアアアァァァアアア!!!
後ろに控えていた一人の冒険者の声に釣られて、全員が勝鬨を上げる。台地全体が震えるほどの声、体が揺さぶられるその声に、悠仁は何物にも代えがたい達成感を覚える。
(終わった…、終わった…。)
歓声の渦の中で、けれど悠仁の足は半分に切られた冒険者が倒れていた辺りを、無意識に避けて歩いていた。勝った。確かに勝った。だが、この勝鬨の輪の中に、戻れなかった者がいる。その事実だけが、湧き上がる熱の底に、冷たい石のように沈んでいる。
悠仁は拳を天に突き上げながら歩き出す。レッドキャップの死体を確認するために。
「悠仁…。」
「カイン、やったな。」
悠仁とカインは拳を突き合せて互いをたたえ合う。ぶつけた拳の硬さに、生きて立っている実感が確かにあった。悠仁はカインの足元に転がっているレッドキャップの体をまじまじと観察する。生臭い血の匂いが漂っている、左腕は修復されたものの、フルールの攻撃によって空いた穴は完全にはふさがっていなかった。体の各部位はボロボロで、生命活動を維持するのは困難に見えた。
悠仁が確認して立ち上がると、安全だと判断したのか初心者冒険者たちが駆け寄ってきた。
『あ、ありがとうございます!!』
『助かりました…っ!本当に、本当にもう死んだかと…。』
口々に礼を言っている。涙ながらに手を握ってくる者、何度も頭を下げる者。メンバーは全員初心者冒険者に囲まれて、身動きが取れなくなっていた。生きて帰れる、その当たり前が彼らにとってどれほど重いものか、その必死さが物語っていた。
「だぁぁあ!!話はあっちで聞くから離せって!」
カインが困ったように大声を上げて人を引きはがし、元々悠仁がいた位置へ歩き出す。それを見た冒険者たちは、カインについて行くようにぞろぞろと歩き出していった。しかし全員ではない。見覚えのある冒険者が、レッドキャップの死体をしゃがんで眺めていた。
「あなたは。」
「…ティムです。」
覚えはある。戦闘が熾烈だったため記憶は薄れてしまっていたが。
「無事でよかったです。まだ誰が被害に遭ったか分からないですが、知っている顔を見ると安心します。」
口にしてから、悠仁は自分の言葉の重さに気付く。被害に遭った者は、もういる。半分になって倒れていた、あの背中。それでも、目の前の生きている顔に、安堵を伝えないわけにはいかなかった。悠仁が丁寧に対応する。するとティムは立ち上がって、悠仁に頭を下げてきた。
「その節は失礼いたしました。我々を守ってくれる冒険者様に、失礼な態度を取ってしまいました。」
「あ、あぁそのこと。」
恐らく馬車の中でのことを言っているのだろう。確かにつっけんどんな態度だったが、理由がわからないでもないので悠仁はそこまで気にしてなかったのだが、謝ってくるあたり何か思うことがあったのだろう。
「気にしなくていい。気持ちはわかる。仲間を守りたかったんだろ、俺も不本意ながらクランマスターやってるから分かるよ、その気持ち。次から気を付ければいいじゃないか。」
悠仁が気持ちを汲んで対応をしているのを、アリスが嬉しそうに見ている。
「ティム!」
ティムの後方から女性が走ってくる。こちらにも見覚えがあった。
「ミサキ…。」
「ちょっと、また失礼なこと言ってるの?守ってもらったのに…。」
「あぁいえ、大丈夫です。今ティムさんから謝ってもらっていたところなんですよ。逆ですね。」
「あ、あぁ!そうでしたか、本当に申し訳ありませんでした。」
ミサキが頭を下げる。いいメンバーがそろっているようだ。どこまで行けるかはわからないが、こういったことをしっかりと気にできるなら、これからも安全に過ごすことができるだろう。悠仁は手で促して、戻ろうと伝える。するとミサキとアリスはそれに応じて歩き出す。ティムは恐怖の対象であったレッドキャップの体を、最後だと言わんばかりにつついた。
(ん…、今…。)
悠仁が何かを感じた。背筋の毛が、理由もなく逆立つ。そして嫌な予想は、容易に現実になる。
ググッ…。
死んだと思われていたレッドキャップの左手が、地面に転がった鉈の柄を掴んだのだ。
「離れろっ!!!」
「え…?」
ティムが間抜けな声を上げた。咄嗟の声に対応ができるのは、普段の訓練と連携の賜物であることが感じられる瞬間だった。声を聞いたアリスはすぐに回避の体勢を取ったのに対して、ティムとミサキは逆に固まってしまって、その場に足を縫い付けられたようになっている。
「…!!危ないっ!」
アリスも何が起こったかに気が付く。そして悠仁が最も見たくなかった行動をし始めた。
「…っく!!」
アリスは二人を庇おうと走り出したのだ。二人に近かったアリスに追いつけるはずもなく。レッドキャップは起き上がる瞬間だ。遠くからは悠仁の声を聞いて、フルールとカインが駆け寄ってきているが、どう考えても間に合わない。ローブ職であるアリスがその攻撃を受けたら何が起こるか、そんなことは分かり切っている。装備が強いからなど問題ではない。あの鉈は、初心者冒険者を一刀で両断したのだ。
悠仁はその刹那、頭を回して魔導書を開いた。ここに来る前に自分用にストックしておいた魔法、その考えに行き着き、魔法の発動をする。
「コンセントレーションッ!!」
次の瞬間、悠仁の周りの世界の流れがゆっくりになったように感じる。数秒の猶予をもらったような感じだ。悠仁は杖と魔導書を捨てて走り出す。体が重い、反応速度と思考速度が上がるだけで、物理法則そのものを破壊できるわけではない。速く動くにはもちろん、それだけの負荷がかかる。レッドキャップは既に体を起こして、その醜悪な左腕を振り上げ、3人に鉈を振り下ろそうとしている。スローモーションに見えるその動作も、数秒後には終わりが来る。
(魔法は間に合わない、レッドキャップを倒すだけの物理攻撃が俺にできるはずもない、ならできるのは…。)
足から力が抜けそうになる。これから自分がしようとしていることがどういうことかを理解したからだ。誰よりも分かっている。アリスは二人の安全を確保しようと腕を広げて、二人を抱きしめるような体勢になっているが、同時に悠仁のことも心配していたようで、悠仁と目が合っていた。
(この瞳も…。)
見るのは最後だと覚悟をする。その宝石のような美しい緑色の瞳。間延びした時間の中で、その瞳だけが鮮明だった。怯えと、こちらを案じる色と、それでも誰かを守ろうとする強さが、同じ緑の中に溶けている。自分がしようとしていることをすれば、確実にその先はないのだ。だが、その輝きが失われるくらいなら、せめてそれを続かせられるような選択を、悠仁は選んだ。
(…それだけなら…っ)
悠仁は足に渾身の力をこめる。恐らく傍から見たら凄まじい速度で走っているように見えるだろう。ただ、その速度でも救えるかは怪しい。悠仁は手を伸ばす、アリスへ、そしてアリスが守ろうとしたものへ。
ドンッ……。
悠仁の手に服の感触が伝わってくる。アリス、そして手前にいたティムを突き飛ばす。ティムに押されたミサキも同時に吹き飛ばされたようだ。アリスがこちらに手を伸ばしてくるように見えたが、その手は取れなかった。その手を取ったら、巻き添えになってしまうから。指先と指先が、ほんの紙一重で擦れ違う。
(あぁ…、柄じゃないのに…。たけど。)
楽しかった。好きになった相手を守れるなら、それでもいいと、そう思えた。そう思わせてくれたアリスには、最後に笑顔を見せたくて、悠仁は静かに微笑んだ。
ザシュッ……。
次の瞬間、悠仁は初めて
【自分が殺される音】を聞いた。
それきり、勝鬨の余韻は遠く、台地にはただ、土の匂いと、誰かの息を呑む音だけが残った。




