冷たい音
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――リットリア領南 アルゴラ台地麓
馬車は雪に強い仕様にしていたようで、馬車にもかかわらず悠仁達がかかったのと同じような時間で辿り着くことができた。後続の馬車も次々と到着しているようで後方から声が聞こえる。皆長時間座っていたためにぐーっと背伸びをしている状態だ。
「フルール、どうだ?」
「…明らかに前よりも魔力が強くなっていますね。しかも既に流れは正常に戻っています。」
「ということはもう魔力を吸う必要がなくなったということか?」
「恐らくそういうことでしょう。…嫌な感じですね。」
魔力を吸収する必要がなくなった。力は求め続けるものだが、それが必要なくなるということはどれほどの力を蓄えたのだろうか。悠仁が後ろを振り向くと組合の制服を着た人に加えて、悠仁達の様子を窺っている冒険者がたくさんいるのが見えた。
(あぁ…俺たちが最前列で上がっていく必要があるのか…。)
誰かが始めないと皆動けないのだろう。これだけ大人数で動く経験をしたことのある人物もそう多くないだろう。悠仁はメンバーにアイコンタクトをして台地を昇り始める。すると親鳥に続く小鳥のようにぞろぞろと他の冒険者達も台地を昇り始めた。
(小学校の遠足だなこりゃ。)
悠仁が後ろを振り向いてそんなことを考えていると、列から外れた冒険者が前へ走ってきた。段々と近づいてくるとその正体が分かってくる。
「あなたは…ミサキさんでしたっけ。」
「はい、先ほどはティムが失礼をしました。初対面の方にあんな失礼な…。」
どうやら馬車の中でのことを謝りに来たらしい。律儀なことである。
「いえ、よくあることです。きっと仲間思いなんでしょう。」
「そう言っていただけると…。」
謝りに来たのはいいものの、ここからどうすればいいかわからないようで少しもじもじとしていたため悠仁は助け舟を出す。
「謝罪は受け取りました。あなたも戻った方がいい。作戦会議なんかもあるでしょう。」
それを聞いたミサキははっとした顔になり悠仁にお辞儀をして去っていった。
「丁寧な方でしたね。」
アリスが悠仁の横に並んでくる。
「あぁ、そうだな。仲間がああやって謝りに来てくれるってことはティムっていうやつも悪い奴じゃないんだろうし、ピリピリしているだけだろう。」
「悠仁さんはどうですか?」
「ピリピリどころか心臓が痛いよ…。できることなら今すぐかえって酒場で食事でもしたい気分だ。」
「ふふ、それなら大丈夫ですね。いつも通りです。」
アリスは悠仁の答えを聞いて100点満点と言わんばかりに笑っていた。後ろでも和やかな空気が流れていた。恐らくこの人数がいれば問題ないと思っているのだろう。300人近くの冒険者はそのまま雪に足跡をつけながら20分程歩くと台地の頂上へやってくることができた。
「結構な人数だけど、少なく見えるのはこの台地がデカいからか。」
カインが後ろを見ながら呟いた。確かにヴァリエスタの南門で見た時よりも少なく見える。環境が与える人間の主観への影響というのは大きいのだろう。頂上は地上よりも吹雪いていたのだが、全員が到着するのを待っていたかのようにその勢いは弱くなる。視界を斜めに動いていた雪が地面に垂直に落ち始めていた。
視界が良くなっても例の物は見えなかった。そもそも初回発見時も見えない壁に覆われていたのだ。登ってすぐ見えるはずもなく悠仁達は後ろにいる冒険者たちに待つようにジェスチャーをして前へ前へと歩き出す。
「Yujiさん…。」
悠仁に横から声がかかる。フルールが何かを感じたようだ。
「…どうした。」
悠仁がそれに短く返す。それを聞いたカインも盾と剣を手に取り足を止めて周りの警戒を始める。後ろに控えている初心者冒険者達は何が起きているのか分からないといった様子だった。
「います…絶対に…。しかもすぐそこに…。こっちを…見てます…。」
「そんなのどこに…。」
悠仁がカインを追い越して数歩先に出る。そこには以前に見つけた見えない壁があり、悠仁はその中に体を押し込むようにして進む。手と同時に顔を入れたことによって壁の向こうが見えるようになった。
『グ……ギェギェ……ギ…』
「っっっ!!!!」
その距離数cm。見えない壁を抜けたその先、そこには見たことのない姿をした『何か』がいた。恐らく顔だと思われるそれと悠仁の顔は口づけをするのではないかと思ったほど近かった。そう、そいつはその壁の内側からこちらを見ていたのだ。
悠仁は渾身の力でバックステップをする。いかにローブ職とはいえ悠仁のレベルになるとその速さと距離は初心者冒険者のそれとは比較にならない。
「下がれっ!!!」
悠仁の言葉を聞いたメンバーは疑うことをせずに一目散に後退する。その速度たるや全力疾走をしている馬に匹敵していた。その動きを見た後ろの冒険者は『おーっ』という歓声と共に、やばいと感じたのか武器を構え始めた。接敵をした場所から20メートル程離れた地点で悠仁は全力疾走後のような心拍数を叩き出している心臓を落ち着かせる。
「ゆ、悠仁さん。一体何が…。」
(あれは…あれは…。)
アリスの問いに答える前に悠仁は情報を整理する。まるで抱き合うような距離に近づいた『それ』から感じたのは殺意。明確な殺意だ。そして悠仁の鼻腔を刺激したのは。
(鉄…生臭い鉄…あれは…血…?)
指先を紙で切ってしまった時に、何気なく口に含んだことを思い出した。口に広がる塩気を帯びた苦み。鼻に抜ける鉄臭い香り、それが生暖かい空気と混ぜられ何とも言えない不快感を呼び起こす。今回感じた臭いはそれに似ていた。
「血…。」
「血…?」
「あれは血だった。間違いない…。奴からは血の匂いを感じた…。それも多量の…。」
悠仁があまりのショックにうわ言のように見た物を説明していると、それの答え合わせをするように目先の空間が波打ってぼんやりと光り始める。どうやら見えない壁は天球のようなドーム状に設置されていたようで頂上部分から、チョコレートが解けるように消え始める。
ゆっくり、ゆっくりと消えていき、それが地面に到達するときに悠仁が見たその敵の姿が露になる。
「何だあいつ…。」
先頭のカインが盾を構えながらそれを見据える。肩で呼吸をしているようで体全体が上下している。人間でいう口のある部分からは白い息が漏れていた。その体躯はエンフィールドの時のように巨大ではなく、悠仁の身長と同じくらいだ。全身がやや茶色が混じった赤い服に包まれており、手には何か金属製の物が握られているようでカンテラの光を反射している。パーティーの時に使うような三角帽子のようなものを被っているのが見える。
『何あれ、サンタクロース?』
『なんかかわいいわね。前の人が必死になってたから不安だったけど、大したことないじゃない。やっぱり組合が持ち上げすぎてたのよ。』
『あれくらい俺一人でも何も問題ないな。報酬は俺がもらっちまうわ。申し訳ねぇな。』
『おいっ!抜け駆けは卑怯だぞ!!』
『…なんか…臭い…』
悠仁達の後ろでは見えない壁の向こうに現れたモンスターの姿を見て思い思いの感想が述べられている。
「よっしゃーっ!!俺がもらったぜぇぇえええ!!」
「あ、おいっ!抜け駆けは…っ!くそっ!俺達も行くぞ!!」
大したことのない大きさ、そしてエンカウントをしたのに攻撃してこない様子。遠目では恐怖を感じないような風体を見て自分たちでも簡単に倒せると判断した初心者冒険者の20数人が悠仁達を通り越してそのモンスターに接近する。
「待てっ!迂闊に近づくな!」
カインの制止も虚しく、冒険者達は駆け出した。
「光よ 我が前の溶暗を払い 我らに道を示せ」
せめてもの援護だと言わんばかりにアリスが詠唱を行う。
「ブライトネス」
アリスが杖を振ると彼らの上空に、まるで太陽があるように光球が飛んでいく。街の大通りよりも明るく辺りを照らし出した。
「ひっ…!!」
明るくなったことによって物が鮮明に見えるようになった。先を進んでいた冒険者もアリスの援護によって敵の姿をはっきりと視認できるようになったが、その瞬間雪煙が立つほどのブレーキをかけたようだった。微かだが恐怖に震えた息をのむ声が聞こえた。
キンッ……。
突然鋼線を撫でるかのような音が聞こえる。雪景色も相まってその音は幻想的に耳に響いた。そんなものはどこにもないので悠仁は音の発生源を探したが、横にいるミーナが絶望したように目を見開いて口を押さえていた。
「ミーナ、何が……。っ!」
ドササササ……。
20メートル先にいた冒険者の体が【ズレた】。
腰より上、肋骨が終わる辺り、そこで上半身と下半身がズレたのだ。支えを失ったそれは重い音を立てて地面に打ち付けられた。雪が真っ赤に染まる。下半身と離された上半身では口がパクパクと動いており、まだ息があるのがわかる。ただ、横隔膜が切断されているようで声を出すには至っていない。体を切断された冒険者の数人は、ホラー映画のように上半身だけになった体を腕で引き摺ってこちらに帰ってこようとしている。
『うっ…げぇぇぇぇぇ……』
後ろではその姿を見てビシャビシャと吐瀉物をまき散らす音が聞こえる。無理もないだろう。まだこのような光景を目の当たりにしたことがないのであれば。そんなことなど気にもかけずにこの凄惨な状況を生み出した本人は体を動かし始める。
サクッサクッサクッ…。
ゆっくりと、そして必死にこちらに助けを求めに帰ってきている冒険者の後ろから赤い帽子の怪物がゆっくり歩いてくる。雪を踏みしめるその音はさながら死神の足音だ。地面を這っている冒険者の髪を左手で掴み、持ち上げる。その細腕からは想像もできないほどの力だった。右手には刃がガタガタになった鉈が握られていた。そして…。
キンッ……。
再びあの音が聞こえた。音が聞こえた後、ドサリという音が生々しく聞こえる。まるで鶏の首を刎ねるかのように首と上半身を別れさせたのだ。右手に握っていた鉈を腰に据え、絶命した冒険者の身体を両手で持って引き摺って帰っていく。最初に多数の冒険者を殺した場所まで帰ると、両手に握っていた身体を放り投げる。
もっと大切な何かを探すように首を刎ねた冒険者とは違う、まだ息のあった冒険者を見つけると少し早足でそれに近づき。まだ動いている上半身の内部に勢いよく手を突っ込んだ。突っ込まれた身体はビクンビクンと痙攣をしている。
『ギ…ギ…』
どことなく満足そうに声を漏らしたそれは勢いよく手を身体から抜き出した。その手には何かが握られている。
「心……臓…。」
目のいいフルールが、手に握られている物を認識する。悠仁もそれをしっかりと見てみるとまだ脈打っている心臓であることに間違いなかった。
『ギ…ギ…』
「な、なにしてるの…あいつ…。」
その光景を見てミーナが驚愕の声を漏らす。あろうことかその怪物は取り出した心臓を、握力自慢の男性がリンゴを潰すように握りつぶした後、血の滴るそれを体を洗うスポンジのように体に擦りつけ始めたのだ。
「服…血…、あの色…まさか…!?」
悠仁の脳裏に一つの正体が思い浮かぶ。西洋の妖精、強烈な殺意と残忍性を持ち、殺害した者の血を使って自身の衣服を染め上げる物がいた。
「レッドキャップ…」
悠仁の声を聞いたのか、そいつはピクリと体を止めて心臓を横に投げ捨てる。立ち上がり、ブライトネスに照らされたその顔は、のっぺらぼうのように何も無かった。




