出立の挨拶
――翌日 ヴァリエスタ 南門
「うぅぅ…寒い…。」
一段と雪の勢いが強くなり、風も出てきた。ミーナが自分の体を抱いて体を震わせる。それを見たカインが呆れたように防寒具を投げつけていた。
「…ありがと…。」
ミーナは何故かその防寒具の襟をくんくんと嗅いでからちらりとカインを見る。
「いや、汗臭くねぇから。こんな寒かったら汗かかないだろ。」
「そうじゃ…確認しただけよ。」
ミーナはそのまま防寒具を身に纏う。カインのサイズに合わせてあるものなのでかなりぶかぶかだが、ミーナはそれで満足そうだった。悠仁が辺りを見渡すとぞろぞろと冒険者が集まってきたようで賑やかになってきた。現在時刻の詳細は分からないが、ログインするときには19時30分だった。
列の中で配られる防寒具、確かめ合う消耗品、そして冗談。出立前の風景はいつも通りに見えて、誰の仕草も、ほんの少しずつ丁寧だった。
その人だかりの一角に、場違いに明るい一画があった。
金色の幟。『装備貸与 クラン黄金錠』。
屋台のような台の上には真新しい剣と鎧がずらりと並べられ、揃いの徽章の男たちが景気よく声を張り上げている。
「装備が不安な方はこちらへ!貸与は無料!精算は報酬の3割でけっこう!万一の時はうちが回収に伺いますので、踏み倒しの心配もございません——おっと、これは冗談ですよ!」
冗談の部分で、どっと笑いが起きた。笑ったのは、これから向かう先を知らない者たちだけだった。
ブースの奥に、見覚えのある恰幅のいい影がある。カネモト会頭、その人だった。悠仁の視線に気づくと、揉み手のまま丁寧に一礼してくる。
「これはこれは、パーチの皆様。……いやなに、祭りの最終日ですからな!商人が現場にいなくてどうします。それにこれも支援ですよ、支援。丸腰で行かせるより、ずっといい。そうでしょう?」
理屈は、今度も間違っていない。装備は、ないよりある方が生きて帰れる。ただ——真新しい貸与の鎧を着て、嬉しそうに剣の重さを確かめている少年たちの胸元で、金の錠前の徽章が揺れているのを見ると、悠仁は何も言えなかった。
「……行こう。」
カインが低い声で言った。幟の方を、一度も見ないままだった。
「…何人が帰れるのでしょうか…。」
悠仁の横に付くアリスが不安そうな声を出す。悠仁もアリスから視線を逸らして前を見る。元気のいい冒険者が集まっている。組合のロビーで見た人数よりも多く見えるのは気のせいだろうか。前途有望なこの冒険者達、全員揃って帰ってくることは恐らく叶わないだろう。1割、酷いと3割は命を落とすかもしれない。
「みんな帰ってこれるといいんだが…。」
希望的観測だ、それもかなり厳しい。悠仁達がいくら全力を出したところで相当な被害は免れないだろう。悠仁がぼーっと南門から出て来る冒険者を眺めているとハリヴァが歩いてくるのが見えた。向こうも悠仁の位置を把握していたようで真っすぐ向かってきた。
「こんばんは、今日は冷えますね。」
「えぇ、全くです。ここに来るなんて珍しいですね。」
これから人が死ぬことがわかっているのになんと日常的な会話だろう。この逃れられない状況からの逃避なのだろうか。ハリヴァも同じことを思ったようで自分の言葉に吹き出しながら話を続ける。
「もうそろそろ出発の時間ですね。準備はよろしいですか?」
「できる限りのことはしました。」
「そうですか。そうですよね。あなた方のような冒険者はもうこういった場面で忘れ物をすることはありませんね。」
「まぁそうでもないんですが、重要なところは押さえていると思います。」
悠仁はミーナの方をちらりと見るとミーナが耳をぴくりと動かしてこちらを見てくる。悠仁の視線に気付いたのだろうか。何か用かと言わんばかりに首を傾げているので何でもないと手を振る。
「初心者冒険者の皆をよろしくお願いいたします。」
ハリヴァは我が子を託すように頭を下げる。
「できる限りのことは…。まず自分が死なないことが大前提ですが…。」
「そうですね、まずは自分の命が大切ですから。」
まるで付き合い始めの恋人の会話だ。当たり障りのないことをつらつらと話し続ける。本心は虚ろで、ふわふわと漂っている。言葉も上っ面のみで風にたなびくシーツのようだった。
「全員の顔は覚えていません。私もそこまで記憶力がいいわけではありませんから。でも、今見ている顔が明日には見られなくなっていると考えると胸に来るものがありますね。」
ハリヴァは悲しそうな瞳で意気揚々と円陣を組んでいる冒険者を見る。組合のトップだ、悠仁が感じているよりも遥かに大きい使命感と責任感があるのだろう。
「なるべく多くが帰ってこられるように、努力します。」
「ありがとうございます。その中にはパーチの皆様も入っていることを祈っております。では私は全体への挨拶をしてきます。」
ハリヴァは悠仁とアリスにお辞儀をした後、用意されていた演台の上に乗る。一際強くなった雪風に目を細めながらも挨拶を始める。
「こんばんは、今日も一段と冷えますが防寒対策はできていますでしょうか?寒さが強くなると体の動きも鈍りますのでお気をつけください。」
悠仁にしたような当たり障りのない話から始める。それでも冒険者たちは静かに耳を傾け始めていた。
「周りを見てください。初めて会う人がいるでしょう。今この瞬間からあなた方は仲間です。助け合い、そしてともに手を取り合って生き残る仲間です。次にここに帰ってくるときには、その手を取った仲間はいないかもしれません…。そしてあなた自身がもう帰ってこられないかもしれません。……っ。」
話が途切れた。悠仁がハリヴァを見るとその目元には水晶のような雫が湛えられていた。
「…私も家族を失ったことがあります。私の息子でした。朝、いってらっしゃいと送り出して、帰ってきたのは右腕一本だったことがあります…。思い出しただけでも胸が張り裂けそうになります。…こんなことがまた起きたら私は正気を保っている自信がありません。皆様にもきっとそう思ってくださる人がいるでしょう。あなた方の帰りを待ってくれている方が、あなた方が無事なだけで喜んでくれる方が。」
一呼吸に続けたハリヴァは大きく息を吸って目元を拭い、赤く腫らした目で眼前の冒険者を見つめる。
「だからこそ、必ず帰ってきてください。誰も悲しませないために。」
そういってハリヴァが演台を降りると、辺りは静寂に包まれた。誰一人として大声を上げる者はいなかった。ハリヴァが演台から降り、それと入れ替わるように連絡役の男性が演台に上がった。
「組合では馬車を用意しております。現地に着いたら馬車は引き返してしまいますが、討伐終了後再度馬車を用意しますので帰りの心配はしなくても大丈夫です。」
男性が指示した先には大人数が乗ることのできる馬車が用意されていた。馬2頭で引くタイプの物でかなり大きい。荷台は少し耐久度に不安があるように見えるが人を乗せるだけなら問題ないだろう。
「組合でも多少の消耗品は用意させていただきましたので、こちらに用意してあるものをお使いください。各馬車に積んでおきますので相談の下各クラン、パーティーで分配していただければと思います。私からの説明は以上です。皆様、ご武運を。」
そこまで話して男性は演台から降りていった。それを見た他の組合職員が馬車への誘導を始めた。少し離れた場所に居たカインとミーナ、フルールが悠仁の元へ集まっていく。どうせ悠仁達が乗る馬車は最前列の物だろうと分かっているので急がず、悠仁は口を開いた。
「…いいか、絶対に生きて帰るぞ。他の冒険者も大切だが俺からすればみんなが一番大切だ。絶対に死なないでくれ。いいか?」
全員がこくりと頷く。
「帰ったら俺のおごりで祝杯だ。好きなものを好きなだけ食わせてやる。俺の財布を破産させてみろ。いいな?」
全員の顔が綻ぶ。
「よし、行こう。いい未来を見よう。」
悠仁が拳を前に突き出すと、カイン、アリス、ミーナと続けて拳を合わせる。全員の拳が合わさり、ぐっと力を入れて、静かに離した。馬車に向かうメンバーで悲しそうな顔をしている者は誰もいなかった。
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「いったっ!」
ガタンという音と共に臀部に衝撃が走る。ミーナの声が一際大きかったが、他にも声が聞こえた。用意された馬車は確かに大人数を運ぶことができるが、悠仁達が所有している馬車のように衝撃吸収材が使われていなかった。ミーナは自分の声が荷台内に広がっていたことに気付き恥ずかしそうに耳を動かしていた。
「楽しそうなお仲間ですね。」
「ん?」
悠仁の前から声がかかる。この馬車は大人数を乗せられるが故に相乗りだ。悠仁達の馬車には3パーティー程が乗っているようだった。声のした方を見ると革の鎧を着て背中に細身の長剣を背負った男性がいた。見た目は明らかに悠仁よりも若かった。黒い髪に茶色の瞳、若いながらも精悍な顔つきは力仕事をしている人に見えた。
「えぇ、まぁ。毎日飽きないですよ。」
「うちも賑やかなのがいますけど、今は借りてきた猫のように静かにしてます。」
そういって男性は横にいた青髪の女性の頭をぐりぐりと撫でる。
「や、やめてよぉ…。」
「お前らしくないじゃないか。いつもはもっとうるさいのに……。と、失礼しました。私はクラン『英雄の足跡』のマスターをしているティムと申します。こっちは私のクランメンバーのミサキ、続いてカラマリ、エイジです。」
紹介されたメンバーは悠仁に向かってぺこりとお辞儀をした。悠仁はお辞儀をしたメンバー全員を見渡す。もちろんゲーム補正がかかっているとはいえ明らかに若い。それこそアリスと同じくらい。
「皆さん若そうですね。」
「若い…んですかね。一応大学のメンバーで集まってこのゲームを始めました。まだ数か月ですが。」
「なるほど、仲間と一緒に冒険をして今が一番楽しい時期ですね。」
「えぇ、しかもこのタイミングでこんな依頼が入ってくるなんて。随分と運がいいと皆おおはしゃぎをしていたんです。」
気持ちはよくわかる。祭りごとは皆楽しくなるものだ。しかし今回のこれはそう簡単な気持ちで参加すると痛い目を見ることは悠仁達にはわかっていた。
「失礼ですがYujiさんでお間違いなかったですか?」
「はい、私がクラン『パーチ』のクランマスターをしているYujiです。こっちがサブマスターのAliceです。」
悠仁に紹介されたのでアリスがティムと名乗る男性にぺこりとお辞儀をする。
「これはご丁寧に。失礼ですがYujiさんどの程度の実力をお持ちで?」
(…なるほど…そういうことか…。)
恐らくこのティムという男性は意図して同じ馬車に乗ってきたのだろう。参加者全員の前で紹介された悠仁達のことを調べるために。他の仲間はそうでもないようだがティムは悠仁達に興味津々なようだ。
「ウィザードをしています。レベルは…そうですね。ウィザードでしたら10になります。」
「10…それは大丈夫なのですか?」
「ちょ、ちょっと…ティム。」
横にいたミサキと紹介された青髪の女性がティムを制止する。
「大丈夫、というと?」
「背中を預ける仲間として問題ないかってことですよ。レベル10では少し心配に思えたので。」
(こういうタイプの冒険者か…。)
リーダー気質の冒険者によくあるタイプだ。今自分の抱えている物を守りたいばかりに他者へ対して攻撃的になる。支部長に大々的に紹介されていたのも気に食わなかったのだろう。こういった手合いは刺激しないようにフェードアウトするのが得策だ。
「えぇ、私もこんな大役を任せられて驚いているんです。一介の冒険者に任せていい役なのかってね。」
「なるほど、そうなんですね。」
それを聞いたティムはやはりといった顔をした。
「組合も相当困っていたようですね、このような自信のない冒険者に我々の護衛を任せるなど…。これで分かりました。自分達の身は自分たちで守るのが一番だと。」
(他人を信じられない…か。)
先頭に立つ責任感に押しつぶされそうなのだろう。相手の選択に身を任せることが不安で自分の選択が良く見えてしまう。社会人でもよくあることだ。特にまだ経験の浅いリーダーであればそういったことも起きるだろう。その証拠に周りのメンバーは困惑している。完全にリーダーの独断専行だ。
「…不安でしたらそうされるといいと思います。私達も手いっぱいになると思いますので。」
「えぇ、そうします。私達も結構力をつけてきましたからね。」
(そうなってくれればどれだけいいか…。)
言うことだけ言うとティムは満足そうに鼻を鳴らして腕を組んでいた。言い負かしたつもりなのだろう。それをみてわたわたしていたミサキが口だけすみませんと動かしてこちらにお辞儀をしてくる。悠仁もそれに手を振って応えた。
若さを笑う気にはなれなかった。自信も、苛立ちも、仲間を守りたい一心も、全部覚えがある。ただ、あの一心が明日、彼らを前へ出しすぎないことを祈るだけだった。




