白いヴァリエスタ
――リットリア領 ヴァリエスタ 大聖堂前
「すっかりクリスマスですね。」
アリスが大聖堂から街へと続く階段を下りながら呟く。ここから眺める風景は基本的にいつも青空だった。夜であっても星がたくさん瞬き、快晴を思わせてくれたものだが今日は灰色だ。その灰色を少しでも薄めようとしているのか空からは白い塊がハラハラと零れている。その勢いは段々と強くなっているようにも思えた。
「まさかヴァリエスタで雪景色を見ることになるとはな。」
ほぼ毎日が快晴のヴァリエスタでは雪が降ることを想定されてないはずなのだが、幸い三角の屋根が多いこの場所は多少雪が降っても問題が起きなさそうだ。こんな天気でも街ではかなりの人数が活動しているのか、わらわらと動いているのが見える。
「それで、何か予定でもあるのか?」
「いえ、特にありません。散歩に付き合ってほしいと思ったんです。」
「そうか。」
大聖堂で取った手は、さすがに恥ずかしかったのか離されており、代わりに悠仁の左袖をつかんでいた。
「そ、それにしても抽選はびっくりしちゃいましたね!あんな結果になるとは思いませんでしたよ。」
「そうだな。まさか1等が2個って…。職業の分1等があるような口ぶりだったし、そこまで数はないだろう。それを2個出すって、多分…。」
「そうですね…多分…。」
悠仁とアリスの視線はアリスの首に巻き付いている生物に注がれる。好物であるストリダの実を齧りながらその視線に気が付いたフェリスは顔を上げる。
「こいつのせいだろうなぁ…。」
「この子のせいでしょうね…。」
せい、と言ってしまうのはいささか可哀そうかもしれないが心臓に悪いのは確かだった。
当のフェリスは我関せずの顔でストリダの実を齧っている。幸運は運ぶが、責任は取らない。そういう生き物らしかった。
「受付の人、完全に私が何かしたって目で見てましたよね…。」
「あれは疑いの眼だったな、間違いない。」
アリスが抽選器から出した球を受付嬢へ見せたとき、その目は完全に犯罪者を見るような目だった。恐らく1等がどれほど当たりにくい物なのか知っているのだろう。不正行為がなかったことが確認された後はいつも通りの対応だったがかなりの恐怖を感じた。
「何か偶然レアアイテムを手に入れてしまった感じだからなんだか申し訳ない気もするが…。」
悠仁は腰に据えてあるタバルの魔導書をポンポンと叩く。何で装丁されているのかは分からないが、あまり知りたくもない。
「そういえばその魔導書って何が書いてあるんですか?」
「そういえば一回も開けてなかったな。」
獲得して間もない為まだ一度も開いたことのないそれを、悠仁はアリスの疑問を晴らすために手に取る。金属製の金具で閉められており、勝手に開かないようになっている。悠仁はパチンという小気味いい音を出してそれを開ける。そこには見たことのない文字で記された言語がずらりと並んでいた。
「読めないな……ん?」
じっと見つめているとぼんやりと文字が動いているように見えた。そしてしばらくすると何となく意味がわかるようになってくる。
「何か少しわかる気がするな…。翻訳機能か…?」
「わかるんですか?」
「あぁ…なんとなく…。アリスはわかるようにならないのか?」
「私にはさっぱりです…。」
どうやら翻訳機能ではないらしい。もしHOPEの翻訳機能であるならばアリスにも意味が分かるはずなのだから。悠仁はその見たことのない文字をじっと見つめる。母国語のようにはっきりと読めるようになるわけではないが、段々とその意味が理解できるようになってきた。
古い紙の匂いに、かすかに焦げたような香が混じっている。誰かが長い年月、火のそばでこの頁をめくり続けたような匂いだ。読めない文字が読めてくる不思議より、その匂いのほうが、この本が本物の誰かの持ち物だったことを伝えてきた。
「ほう…。」
「なんて書いてあるんですか?」
「多分俺の脳でも理解できるように変換されてると思うから正確じゃないが、この行。『人の力では成し得ない奇跡。即ち精霊が用いる力を我々人間でも使用できないかと考え、長年精霊の痕跡を追った結果、自然界にある見えない力を発見することができた。精霊はこれらを自在に、ほぼ無尽蔵とも言えるこの力を用いて奇跡を起こしていると仮定できた。それらを自然の生き物である我々が使用できない道理はなく、何とかできないかと試行錯誤を重ねた結果、ついに作り上げることに成功した。私はこれを神の奇跡ではなく、見つけた力【魔素】から取り【魔法】と名付けた』って書いてある。」
どうやらこの書物の著者は受付嬢が言っていたように本当に魔法の基礎を築き上げた人物だったようだ。
「わぁ!すごいです!本当に読めるんですね!」
「まぁ、正確じゃないかもしれないけどな。…ただ持って見ていると段々と詳細が見えてくるみたいだ。」
実際に言葉に出して読んでみると、更にその詳細がわかるようになった。各章に分かれており、魔法の体系を説明している物や、系統性を意識した解説まで載っているようだった。確かにこういったことを理解できればより魔法の使用が効率的になるだろう。魔法の使用はマナを使っての物だ。感覚的な話が多く中々人に伝えられないのだが、これは上手く言語化してあり、魔法の使用を可能にしている。
「ウィザードだからですかね。」
「かもしれないな。なんか役に立ちそうなことが書いてあるみたいだし、書いてある部分はしっかりと読んでおくことにするよ。後ろは…白紙だな。これは今までの魔導書と同じだろ。ここに魔法をストックできるみたいな。」
「そういえばウィザードは魔法のストックができるんでしたね。時間もまちまちみたいですけど、この魔導書はどのくらいストックできるんでしょうか。」
魔導書にはウィザードが詠唱した魔法をストックしておける機能がある。最低で1、悠仁が今まで持っていたような汎用的な魔導書では1が限界だ。しかも保有しておける時間は数分とかなり短い。しかし受付嬢の説明によるとこの魔導書は魔導書の中でも最高の3つの魔法をストックすることができるという話だった。確かにそれだけでも十分に価値があるのだが、それらが簡単に消失してしまっては意味がない。
「試してみるか。魔法の発動をするわけじゃないから、多分大丈夫だろう。」
街中で魔法の発動をするととても驚かれる。特にHOPEの世界の住人には魔法が使えない者も多い為、人が集まってきてしまうこともあるため、なるべく使わないことが推奨されている。魔法の発動を行ったところで街中では相手に危害を与えることはできないので、あまり意味はないのだが。
「駆けろ閃光 我に仇為す眼前の敵に 等しく死を齎せ」
ライトニングボルトの詠唱を行って魔導書に意識を向けると、今まで白紙だったページに文字が刻まれていく。どうやら魔導書の前半に書いてあった文字と同じもののようだ。数ページにわたって焼印を押したようにちりちりと文字が燻っている。
「これでしばらく放置しておけばいいだろう。」
「そうですね、30分毎くらいに私が言います。」
「そうだな、頼んだ。」
アリスが持っている時計はアリス本人に時間を正確に伝える。アリスのアナウンス程正確なものはこのHOPEの世界にはないだろう。
「じゃあじゃあ!待ってる間にあそこに行ってみませんか!」
アリスが指差したのは少し路地裏に入ったところにあるこじんまりとした店だ。アリスに連れられるまま店の前まで来てみるとどうやら土産物屋のような小物を売っている店だった。どうやら数日前から降り出したこの雪とクリスマスに合わせて新商品を出しているようだった。早く早くと言わんばかりに袖を引くアリスに連れられ、店のドアを開ける。
カランカランとカウベルが店内に鳴り響く。店の中にはカップルが数組いた。皆腕を組んで仲睦まじげに笑っている。そしてその一角。白く装飾のされた場所に目を向けると見覚えのある動物のマスコットがあった。
「これって…カルツラビットか?」
「あ、お客さん初心者じゃないね?」
悠仁の呟きを聞きつけた店番の女性が近づいてきた。
「その通り、これはカルツラビットだよ。なんかこの雪が降りだしてから色が変わったみたいでね。それを模したものが入荷したんだよ。カルツラビット自体は普通に狩猟されているから、その毛を使って作ったのがこれって訳さ。」
アリスの首に巻き付いているフェリスが獣の匂いを嗅ぎつけたのか、むくりと起き上がってアリスの腕を伝ってそのマスコットの匂いを嗅いでいるが、しばらくすると興味を失ったように定位置に戻る。
「おや、それカーバンクルじゃないか!随分と珍しい生き物をペットにしてるんだね。」
女性はアリスの首に巻き付いているフェリスを見て驚いた様子だ。どうやら知名度はあるもののどの地域でもカーバンクルは人に懐かない生き物として認識されているようだ。
「えぇ、怪我しているところを助けたら懐かれてしまって。それからずっとこんな感じで旅をしています。」
「幸運の運び手って言うくらいだからね。何かいいことあったんじゃ…あぁ、もうあったみたいだね。」
そういって女性はニヤニヤとアリスと悠仁を交互に見ている。
「ち、ちがっ!」
「まぁまぁ、照れなさんなって。いいもの見せてもらった代わりにこれ、安くしとくよ。1つ1銀貨だけど、2つ買ってくれるなら1銀貨と50銅貨にしてあげるよ。どうする?これもいい記念になるよ。」
「むぅ…。お姉さん、商売上手ですね…。買います。」
アリスはその魅力的な提案に乗っかった。上手く買わされた気もするが、こういったものは値段や価値をみるものではないだろう。
「はい毎度。金具が付いてるからカバンにでも付けとくといいさ。必要ないなら包むけど。」
「いえ、このままで大丈夫です。ありがとうございます。」
アリスは金を手渡して、代わりにカルツラビットのマスコットを2つ受け取る。それを大切そうに手で包んだ。
「そうかい。珍しい雪のせいでいつも開いている店が閉じてたりするから、雪でも見ながら店を見て回るのもいいさ。まったくうちの旦那は…。っとつまらない話をしてすまないね。」
「大丈夫です。それでは。」
そういってアリスは女性に背を向けて歩き出す。悠仁もぺこりとお辞儀をしてその後を追った。店を出ると家路を急ぐ男性がすたすたと歩いているのが見えた。
「悠仁さん、これ、もらってくれますか?私が2つ持っていても…じゃなくて…。あぁもう…。」
「ん?」
一度こちらにマスコットを差し出してきたアリスは突然後ろを向いてぼそぼそと呟いている。上手く聞き取れなかった悠仁は首を傾げた。
「…こういう時に自分に言い訳をしてどうするの…。もっとはっきりと…。」
「どうした?何か商品に問題でもあったか?」
悠仁に背を向けてぼそぼそと呟いているアリスが何を言っているのか聞き取れないが、悠仁は心配になって声をかけた。
「い、いえ!…悠仁さん、これ、もらってくれますか?せっかくなので…その……、お揃いでもっていてほしいんです。」
「あぁ、もちろん。ありがとう。」
そういって悠仁はアリスの手からマスコットを受け取る。少し触れた手は冷たかった。悠仁はマスコットについている金具を使って自身の収納にそれを着ける。収納についている留め具に当たってカチャリという音を出しながらマスコットが揺れた。アリスも悠仁と同様に収納に括り付けたようだ。
「えへへ、お揃いですね。」
「あ、あぁ…。そうだな。」
桃のように頬を赤らめたアリスの笑顔を見て不覚にもドキリとしてしまった悠仁は返事をしながら顔を逸らした。アリスはそんな悠仁の姿を見て首をかしげている。
「悠仁さん?」
「い、いや、なんでもない。そろそろ次に行くか。」
「はい!」
まだ付き合ってもらえる。そんな返事を聞いたアリスは嬉しそうに悠仁の横につく。
「後3軒は付き合ってもらいますからっ」
「3軒くらいならいいさ。人が多いからはぐれないようにな。」
「もうっ!私はそんなに子供じゃないですよ!」
さっきまで袖を掴んでいた手は、離されており、今度は悠仁の左腕に絡みついてきていた。どうやら恥ずかしさは払拭できたようだ。
中央広場の方へ歩いていくと、雪の向こうから、弦の音が流れてきた。
ツリーの近くに人だかりができている。その真ん中で、旅装の楽団が演奏していた。リュートと、笛と、小太鼓。——聴き覚えのある編成に、聴き覚えのある、濃くてあたたかい旋律。
「あ。この曲……。」
「ゴルドの祭りで流れてた、あれか。……ってことは。」
人垣の中心で、赤毛の団長がこちらに気づいた。演奏の手は止めないまま、にっと笑って、片目をつぶってみせる。
「常春の楽団……。ヴァリエスタまで来てたんですね。」
「冒険者が集まるところには自分たちも集まる、って言ってたからな。イベントで人が集まるんだ、当然こっちにも来るか。」
曲が変わる。ゆっくりとした、雪の日のための曲みたいだった。ソレイユがリュートを弾きながら、通る声で人垣に呼びかける。
「今日は特別に、そこの——寒そうに腕を組んでる二人連れのために一曲!」
人垣がどっと笑って、ぱらぱらと拍手が起きた。周りのカップルたちが一斉に、俺たちのことだという顔をする。その中で一組だけ、本当に名指しされた自覚のある二人がいた。
「ゆ、悠仁さん、あれ、絶対私たちのことですよね…!?」
「……気のせいだ。気のせいってことにしておこう。」
アリスは耳まで赤くなっていたが、絡んだ腕は、離れなかった。むしろ少しだけ、力がこもった。
(……ソレイユさん、あんたの音が聞こえる街はいい街なんだったな。)
なるほど確かに、と悠仁は思った。雪のヴァリエスタは、いい街だった。
歩き出した二人のカバンでは、真っ白なカルツラビットのマスコットが揺れていた。
カルツラビットのマスコット(アイテム)
雪が降ったことによって保護色の毛に生え変わったカルツラビットを模したマスコット。実際のカルツラビットの毛を使って作られている。特に効果はないが、土産物として販売されており各地の土産物屋で売られている。




