転職試験(ウィザード)②
「はぁ…はぁ…くっ…」
額から流れる汗を悠仁は左手の甲で拭う。一番初めのモンスター討伐から既に1時間ほど経過しており、倒したモンスターの数も20を超えた。魔法の連続使用に伴うマナの枯渇、マナポーションの連続使用におけるポーション酔いも起こしそうになっているため視界も安定しない。星空は変わらず冴え冴えとしているのに、悠仁の視界の縁だけがじわりと滲んで像が二重に揺れた。
(いつまで続くんだこれ…。)
時折複数体が同時召喚されることもあり、何度か攻撃をもらっているため体も痛い。打たれた箇所が熱を持ち、息を吸うたびに脇腹が軋む。喉の奥には鉄錆のような血の味と薬の苦みが混ざって居座っていた。
「よく立っておるのう。ではこれで最後じゃ。存分に戦うがよい。」
そう言って、ウィンストンは再度杖を振る。その動作の後には必ずモンスターが召喚されるので、なんだか杖を振るのが嫌いになってきそうだった。10数秒後、例のごとく星が落下してくる。
(最後ってなんだ…。)
土煙が舞い上がって姿が見えない。魔法で土煙を払ってもいいのだが、無駄な魔法を使いたくない悠仁は目を凝らして土煙の向こうを見ている。残りマナは心許ない。一手たりとも無駄打ちはできないのだ。なかなか晴れない土煙をじっと見つめていると…。
スパァァァン!!!
何かをはたくような音が聞こえる。いや『聞こえた』というのが正しいだろう。その音が聞こえる時には既に悠仁の姿はそこになかった。
「ごふっ……!!」
腹部に走る激痛。歪む視界。何をされたのか分からなかったが、悠仁の体は戦闘開始地点から自身の後方へ30m以上吹き飛ばされていた。
「うっ……!」
ごぽりと口から血を吐き出す。薄暗いフィールドなのに、鮮血が眩しい。事態を掌握できていなかった脳が、段々と情報の整理を始める。
(土煙を見ていたら…そこから何か…。)
悠仁はヒーリングポーションを飲み、激痛を抑える。とりあえず出血も収まったようだ。等級の高い物を使用したので濃度が非常に高く、むせかえりそうになったが…。ひとまずフェリスは目を回しているようだが無傷のようだった。さすがは幸運の生物といったところだろう。
(そうだ…恐らく鞭のようなもので…。)
そう、腹部を物凄い勢いではたかれたのだ。恐らく痛み的には肋骨は折れており、肺に刺さっていただろう。呼吸のし難さや吐いた血からしても、そのことは容易に想像できた。内臓もかなりの損傷を受けたようだが、ヒーリングポーションの効果である程度は回復しているように感じる。
(この装備をしているのに…。)
悠仁の装備しているローブは、フルールの相棒であったイザベラの物。悠仁が装備できるローブよりもはるかに上等なものなはずなので物理防御力もそれなりにあるはずなのだが、それをものともしない攻撃力だった。
(ローブがなかったら恐らく即死だったな…っていうか向こうに何が…。)
そんな悠仁の考えに応えるように、バサリという音と共に土煙が吹き飛ぶ。
「おいおいあれって…。」
50m以上前方。そこにいたのは、灰色の双翼を持つ羊頭の怪物だった。身長は190cmを超えており、羊頭のくせに目は爬虫類のように瞳孔が縦に割れていた。アナコンダを仕込んでいるのではないかと錯覚するほどの長く太い尾。体に体毛はなく、太くない体でありながら筋肉が隆起している。これらが意味するのは。
「デーモン…。」
下級悪魔を統べる存在。本でしか見たことのないそれをここで見ることになるとは思わなかった。立っているだけで空気の密度が変わった気がした。肌がぴりぴりと粟立つ。これが格上の放つ圧か。
(一番初めの攻撃はあの尻尾ってことか…)
恐らく尾を鞭のように使ったのだろう。それで衝撃の正体が確定できる。あの長さと速さ。届く範囲を読み違えれば、また内臓を潰される。
「最後の最後でこれか…。」
デーモンが出現するのはもう少し先だという話を聞いていた。よってここにいるのは多少弱体化されたものであることは予想できるが、それでもデーモンはデーモンだ。悠仁は地面に落としていた杖を右手で掴んでもう一度正面から向き直る。掌の汗で柄が滑る。握り直す。
(これで最後なんだ…。)
悠仁は左手で口元の血を拭いながら、詠唱を開始する。
「水よ 槍持たぬ我の槍となり 我らの敵を討て」
まずは使い勝手の良い魔法で様子を見ることにする。いきなり手の内を晒す必要はない。相手の防御を測るための一手。しっかりと相手を見据えて魔法の発動を行う。
「アイススピア」
魔力を控えめに流し込み、本数を抑える。様子を見るだけなら、そこまで作り込む必要がない。
「ふっ。」
3本作られた氷の槍は、悠仁の杖の振りに合わせてデーモンに射出される。50m程の距離なら2秒ほどで着弾する。自身の魔法の効果をしっかりと確かめるために悠仁は行方を見守るのだが――悠仁の想像を超えることが起きる。
パンッ!
氷の槍はデーモンの皮膚にぶつかった瞬間。まるで雪玉を壁に投げつけた時のように弾け飛んだ。
「なっ!?」
デーモンは中級の悪魔だ。そんな簡単に倒せると思ってはいなかった。ただ、魔力を抑えたからといって無傷であるなど想像できなかった悠仁は驚きのあまり硬直してしまう。戦闘経験が豊富なのか、デーモンは悠仁の意識がぶれたことを見逃さず空中へと飛び立つ。
(くそっ…!)
遮蔽物が何もないこの状況では、上空を支配されてしまうと狙い撃ちになる。悠仁のローブは黒いので、丁度保護色になっているはずなのだが…。
『……、………。』
何かをぶつぶつと唱えているのか、空中で直線的な飛行をしながら口を動かしている。
(まずい…完全に捕捉されてる…!)
悠仁は、せめてもの足掻きで走り出す。
「はっはっはっ…!!」
何の魔法を使ってくるか分からない。デーモンと戦ったことがないのだから当たり前だ。未知の攻撃に心拍数が上昇していくのがわかる。なるべく距離を離そうと走るが、付かず離れずの距離で追跡してくる。次の瞬間。
ふわり。
(この香り…。)
フェリスが尻尾を動かしたのだろう、甘い香りが悠仁の顔を包み、キラキラとした光が散らされた。
「うおぉ!!」
それに気を取られた悠仁は、地面に岩があることに気が付かず派手に転倒した。次の瞬間。
ドォォォォオオン!!!
目の前の地面が爆発する。ウィンストンのモンスター召喚時のようなクレーターが目の前に出来上がっているのを見て、血の気が引く。熱風が顔を炙り、爆心の縁が赤熱していた。
(これがあいつの魔法…あのまま走っていたら…。)
運よく岩に躓いて転倒しなければ今の爆発に巻き込まれていただろう。上空のデーモンを見ると唸り声を上げているので、失敗したことは明白だった。そしてすぐさま次の詠唱を始めたように見えた。
(くそっ…これじゃ一方的だ…!)
このままでは詠唱のたびに撃ち下ろされる。空を取られた以上、まず背後と頭上の死角を埋めなければ話にならない。
「闇を司る精霊よ 其の眷属を具現させ 我が手足とせよ」
常に上空を気にしながらでは対応できないと判断した悠仁は、補助魔法の詠唱をする。
「ダークスプライツ」
魔法名を宣言し魔法を完了させると、ポンッと悠仁の右肩に黒い球体のようなものが現れた。
「頼む。」
悠仁が短く依頼をすると、その球体は悠仁を中心に半径8m程の範囲を飛び回り始めた。
(これで…。)
自身のマナを使用して作られた妖精は、自身の周りの情報を伝えてくれる。つまり感覚の増幅装置のような役割をしている。よって後方に何かがあってもそれを視認したかのように把握することができる。これで範囲内に入った背後からの攻撃を事前に察知することができる。予防線を張った悠仁は、再度前方に走り出した。先に手札を一枚並べておく。一手で勝てない相手なら布石を積むしかない。
「駆けろ閃光 我に仇為す眼前の敵に 等しく死を齎せ」
悠仁は走りながら詠唱を行う。何か行動をしながらだと頭の中でその魔法をイメージするのが困難になるのだが、集中して詠唱を終わらせた。
「ライトニングボルト」
魔法を発動したことが悟られないように静かに呟いて、更に次の魔法を唱える。布石の上にもう一手を重ねる。
「水よ 槍持たぬ我の槍となり 我らの敵を討て」
2つ目の魔法の詠唱を終わらせた悠仁は、ズシャァアアアと音を立てながら急ブレーキをかけて停止し、上空を飛んでいるデーモンを視認する。
「アイススピア!」
悠仁はできる限りの氷の槍を作り出す。その数10本。今ある魔力を全て使った渾身の魔法をデーモンに叩きこむ。力強く振った杖に呼応して、氷の槍はいつも以上の速さで射出される。するとデーモンは再度空中で停滞してそれらを受ける。
パパパパパパンッ!!
全ての氷の槍がものの見事に破壊される。だが、それは予測済みだ。これは餌。本命は、もう仕込んである。
「だがこれは!」
そしてデーモンが再び飛行を開始しようとした、その時。ズシャァアアアン!!と閃光が迸る。それを受けたデーモンは、ふらふらと飛行をして地面に降り立つ。
「よしっ…!」
大きなダメージが入っているようには見えなかった。そもそもデーモンは魔法防御力が高いのだろう。だが悠仁の魔法を全て無効化できるほどの魔法防御力は、はっきり言って異常だ。いくつか案を考えていたのだが、最初の案が功を奏したようだった。
(これから来る魔法に集中していれば飛躍的に魔法防御力を上昇させることができるが、それ以外の時には通常の防御力に戻るんだな。)
なるほど、と腹の中で頷く。アイススピアに気を取らせて防御を吊り上げ、その裏で仕込んだライトニングボルトを無防備な瞬間に落とす。一手目を囮にして二手目を通す――参謀の戦い方だ。それがわかれば悠仁としても対策を考えることができる。悠仁は、地面に降り立ったデーモンの方へ走り出した。
(ひとまず視界内に収めないと…。!!??)
魔法効果範囲にするために接近をした悠仁の目に映ったのは、デーモンの上空に浮かぶ氷の槍。そう、悠仁も使用したアイススピアをデーモンが使用しているのだ。
(まずいっ!!)
アイススピアはその特性として、水があるところならどこでも使用できる汎用性の高さ、魔力量で本数の調節ができる利便性の高さ、コントロールがしやすく速度がある為攻撃を当てやすいという正確性の高さが挙げられる。しかしそれは冒険者の特権ではない。モンスターもまた同様の魔法を使うことができるのだ。相手は中級の悪魔、持っている魔力量は悠仁のそれをゆうに上回る。悠仁の目に映っているのは、20を超える氷の槍。こちらが3本で様子見した同じ魔法を、向こうは7倍近い物量で返してくる。それが地力の差だった。
そして悠仁がデーモンを視界内に収めているということは相手も同じである。つまり20本の氷の槍がこちらに飛来するのだ。悠仁は再度急ブレーキをかけ、すぐに詠唱を開始する。
「炎よ 喊聲を上げよ 我ら以外が世界から消える程に!」
悠仁が今から行わなければならないのは、視界を遮ることとアイススピアの威力を減退させることである。氷には炎。理屈は単純で、だから確実なはずだった。
「ファイヤーウォール!!」
魔法を発動すると、悠仁の目の前に炎でできた壁が出来上がる。透過性はない為、相手の姿は完全に見えなくなっている。デーモンは既に魔法を発動していた。今から保持し続けるのは困難だ。つまり悠仁の想像が正しければすぐに射出してくる。
「移動を!……うっ!」
強烈な眩暈がして、地面に座り込んでしまう。これは完全にマナ欠乏状態だ。先ほどのアイススピアで持てる魔力をほぼ全て使った後にファイアウォールの使用。悠仁の体内にあるマナは完全に枯渇していた。この状態になってしまったら、マナの補充をするまで動くことはできない。
(くそっ!こんな時にっ!)
最悪の手順だった。撃つべきでない順番で撃ってしまった――そう悟ってももう体は動かない。悠仁は震える手で収納からマナポーションを取り出し、その蓋を外すが、上手く口元まで持って行けずに地面に落としてしまう。
「くっ…」
既にガラス瓶の中にある青い液体は地面に吸われてしまっているため、取ったところで飲むことはできない。諦めて悠仁はもう一本マナポーションを取り出すが、自分の手が他人の手のように動かしずらい。集中をして何とか口に運んでポーションを飲み干すと体が軽くなる。マナ欠乏のデバフが解かれたためである。右足に力を込めて走り出そうとしたその瞬間、ダークスプライツの効果で背後に気配を感じる。布石が最悪のタイミングで報せをよこした。
(来るっ!!)
先ほど発動したファイヤーウォールは、なけなしのマナを使用して作り上げたもので、威力と効果は通常の物より遥かに劣っている。それではアイススピアを蒸発させるほどの効果はなく、炎の壁を通り抜けて槍が飛来した。その多くが悠仁の位置を予測して射出した物なのでほとんどは外れたのだが。
ザシュッ!!
全てが全て外れてくれるわけではなく、そのうちの2本が悠仁の足と左わき腹を抉った。
「ぐぁあああ!!」
これでも体をよじろうとしたのだが、アイススピアの速度では8m範囲まで近づいた時にはもう反応できない。傷口からは血が噴き出して正常な思考を妨害する。冷えた氷と熱い血が同じ場所で混ざり合う、奇妙な感触だった。
(くそっ…このままじゃ…。)
ファイヤーウォールは既に効果が切れており、その先にはデーモンが腕を組んで立っていた。まるで、もう勝負はついたとでも言いたげに。




