転職試験(エレメンタリスト)③
【そう言うしかないだろう。……それにしても、なんと微量のマナよ。仕方があるまい、我の力を分けてやろう。】
「はぁ!?」
イフリートの表情はうかがい知ることはできないが、明らかに笑っているのがわかった。人間に精霊の魔力を注ぎ込んだらどうなるか、それをわかっての発言だろう。
【何、遠慮することはない。存分に使うといい。くっくっく。】
(このサディストが…。)
フルールはイフリートを睨みつけるが、そんなことは気にも留めず、こちらに手を出してくる。差し出された掌の奥で、炎が今か今かと渦を巻いていた。
【準備などいらぬな。ではいくぞ。せいぜい耐えるがいい。】
イフリートの手が白く輝いた次の瞬間、脳がつぶれる錯覚がした。
「ぎぃぃ…!!!!!」
フルールは歯を食いしばる。大量のマナが流れ込んできて、体が崩壊しそうになる。思考は乱れ、自身の体が形状を保っていることを認識することすら難しい。流れ込む熱は痛みを通り越して、自分という輪郭そのものを溶かしにかかってくる。フルールの手に握られている槍は光度を増していき、温度もどんどんと上がっている。手の表面は既に炭化しており、感覚はもうない。焦げた皮膚の匂いが鼻をつくのに、それを嗅いでいる自分がどこにいるのかさえ曖昧だった。
(だめだめだめだめだめ…!!!)
死を認識する。初めてではないような気がしたが、それは今どうでもいい。ただその瞬間。
(あっ……。)
脳裏に浮かんだのは、ある人の笑顔。優しく、戸惑った笑顔に心が安らぐ。その人が誰なのかはっきりとは思い出せないのに、温度だけが確かに胸に残っている。走馬灯にも近いその感覚を受けて、手放しそうになった命をもう一度抱きかかえる。
(こんなところで……!!)
死ぬわけにはいかない。自分の帰りを待っている人がいる限り。フルールは思案する。どうすればこの状況を打破できるか。
(……。私が抵抗に…。)
ぼんやりしている意識で、懸命に考える。そもそも今現在フルールが持つ魔槍に魔力を送り込んでいるのは、イフリートだ。つまりそこにフルールが介在する必要はなく、スカスカのホースのようにそのままマナの受け渡しだけしていれば、何の問題も起きないはずなのだ。
つまり、フルールの中で一度マナが停滞してしまっているのが問題なのだ。堰き止められた濁流が行き場を失って自分の内側を引き裂いている――そういう図がぼやけた頭にぼんやりと浮かんだ。それを認識したフルールは、落ち着いてマナの流れに意識を回す。
(イフリートのマナをそのまま…。自然に、もっと自分を大きく…。)
自分の中のマナとイフリートのマナが混ざり合い、それをそのまま魔槍に送ることを意識する。その奔流に意識すら流されてしまいそうになるが、一体化し、流れに身を任せて、受け入れる。力を込めるのではなく、力を抜く。抗うのではなく、通り道になる。
【…ほう。】
イフリートが声を上げる。その手から流しているマナは流れに抵抗があったのだが、まるで自分が魔槍を握っているような感覚に陥る。
「ふぅ…ふぅ…。」
【……ふむ。】
イフリートはフルールに向けていた手のひらを握り込み、マナを止める。突如マナの供給を断たれたフルールは、その衝撃で膝をつく。
「っっっ!!」
声にならない声が口から漏れ出した。今まで魔槍が握られていた手は、炭化していたはずなのに元に戻っていた。指の一本一本が何事もなかったかのように動く。先ほどまでの激痛だけが、まだ幻のように皮膚の下に残っていた。
【ふん、人間にしてはよくできているようだ。】
「…合格ってこと?」
イフリートは数瞬思案した後に、声を出した。
【二言はない。…よかろう、お前を見逃し、今後我の力を貸し与える。】
そういうとイフリートは、フルールにゆっくり近づいて。
ガシッ!!!
フルールの顔面を鷲掴みにする。
「!?!?」
突然のことに驚いたフルールはイフリートの手を両手で掴むが、びくともしないどころか手から煙が上がる。段々と持ち上げられる体をじたばたと動かす。爪先が宙を掻き、視界の端で炎が大きく揺れた。
【暴れるな。】
次の瞬間。
「あぁああぁああぁああっっ!!!」
左目に激痛が走る。突然ナイフを突きたてられたような痛みにフルールは悲鳴を上げる。眼球の奥から脳天まで、焼け火箸を通されたような熱が貫いていく。その痛みが最高潮に達すると、イフリートはその手を放して言い放つ。
【やることは終わった。去れ。】
声は聞こえたが、フルールは反応できなかった。イフリートはフルールに背を向けて去っていく。段々と辺りが暗くなる。
(意識が…。)
あまりの激痛と、マナの大量流入によって、脳はオーバーヒートしている。フルールの意志とは関係なく、脳は意識を断った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――エレメンタリスト 試験場
ぽんぽん。
頬に何かが当たる感覚が伝わってくる。その感覚によって、フルールは段々と意識を取り戻す。目は開かないが、聴覚には風の音と、鳥の鳴く声が伝わってくる。あの灼ける遺跡の熱気はどこにもなく、肌をくすぐるのは涼やかな空気だった。
(ここは…外?)
どうやら、あのイフリートの住む場所から転送されていたようだ。そもそも始めも、転送された感覚はなかったのだが。手足に力が入ることを確認したフルールは、重い瞼を上げる。
(青。)
青い空が見えた。屋外であることは間違いない。嗅覚を刺激してくる匂いは大聖堂からここに来た時に感じたものだった。緑と土の、生きた森の匂い。力が入りにくい首を動かして周りを見渡すと、フリージアの姿が見えた。
「…あら、目が覚めたのかしら。」
相変わらずどこをみているか分からない瞳で、フルールを見つめてくる。フルールは目を開けているのが億劫になり、目を閉じてそれに答える。
「えぇ、とんでもない経験をしたわ。」
「そうみたいね。貴女の周りのマナが明らかに変化しているわ。」
言葉は半分しか入ってこない。それよりもフルールは、肌を撫でるそよ風の感触に意識を向けていた。しかし、その風は今までと違うようなものに感じた。
(あれ、この風。)
ここに来るまでに感じたことのなかったマナの流れを感じたのだ。風そのものに無数の細い糸が織り込まれていて、それが頬を通り過ぎていくのが手に取るようにわかる。ただそれも心地よく、また眠りにつこうとしてしまう。
「……なるほど。」
フリージアが小さく呟く。そしてこちらに近づいてきた。
「あぁちょっと、寝られては困ります。」
少しあきれたような声を上げて、フリージアはフルールの肩をぽんぽんと叩く。
「あー、すみません。伝えなくちゃいけないことがあるなら、このまま聞いていいですか…。」
「はぁ…、試験結果を寝ながら聞く人は初めてです。まぁいいです。では試験結果についてお伝えします。」
体勢が体勢なので申し訳ない気もするが、体を起こせないので諦めて欲しい。
「冒険者フルール。貴女をエレメンタリストの資格ありと認めます。この場所から帰ったその瞬間から、貴女はエレメンタリストとして活動することが認められ、スキルの習得ができるようになり、ステータスもエレメンタリストの補正がかかります。尚、ステータスはある程度メイジ、ハンターから引き継がれますが、レベルは1に戻るので無理な活動は死を招くのでお気を付けください。」
定型文を読み上げるように、フリージアが試験結果について伝えてくる。嬉しいはずなのだが、疲労でそれどころではない。
「…それにしても、イフリートに会ったのですね。」
「知ってるんですか?」
「もちろん、一応試験内なのでこちらで全てモニターできています。まさか上級精霊に会うとは思いませんでしたけど。…まぁ合格なのでもう戻っていいですよ。」
と言われても、試験結果を寝ながら聞くほどだ。動くはずがない。
「いや、ちょっと…。」
「はぁ、分かりました。ちょっと待ってくださいね。……あなた、ちょっと手伝ってもらっていい?」
フリージアがぼそぼそと何かを呟いているが、フルールの耳には上手く届かない。ただ少しするとふわりと体が浮きあがった。どうやら持ち上げられたようだ。柔らかな羽毛にでも包まれているような、温かいマナの感触が背中を支えている。
「意外と軽くてよかったわ。じゃあそこに運んでくれるかしら。」
言葉の内容的に誰かに手伝いを頼んだのだろう。ゆらゆらと揺れる体と意識の中で、フルールはそんなことを思っていた。しばらくすると、ドスンと地面に下ろされる感覚がフルールに伝わる。
「これはおまけですからね。…ただ、いいものを見せてもらいました。」
最後の最後に、ちょっと毒のあったフリージアの言葉が柔らかくなる。
「それはどうも…。運んでくれてありがとう。」
フルールはフリージアのように、目を閉じたまま答える。目を閉じていても瞼を通して周りの明かりは伝わってくるのだが、それも消え去る。ポッドの蓋が閉められたようだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――リアッツォ 大聖堂 ロビー
そのままじっとしていると、また明かりを感じる。ざわざわと騒がしいのと、少し埃っぽい匂いでここが大聖堂であることがわかった。あの森の青い匂いも、遺跡の熱も嘘のように遠い。さすがに帰ってきてずっとポッドの中にいるわけにいかないので、何とか体に力を入れてポッドから這い出る。
「フルールさん!」
聞き覚えのある声が耳に届く。聞いた人を嬉しくさせてしまう太陽のような少女、アリスの声だった。どうやらフルールの様子を見て、駆け寄ってきたらしい。
「Alice…。」
「大丈夫ですか?肩貸しますから、向こうまで頑張ってください。」
フルールは極度の疲労で首を縦に振ることしかできなかったが、アリスは何とか力を振り絞ってフルールをベンチまで運んだ。差し出された肩の温かさがひどく現実的で、ほっとする。
「お疲れさまでした。どうでした?」
フルールは親指と人差し指で丸を作って、結果をアリスに伝える。
「わぁ!これで晴れてエレメンタリストですね!!すごい、すごいです!カーディナルに次いで転職できた人が少ない職業ですよ!」
その声を聞いたのか、周りの冒険者がざわつく。それだけエレメンタリストという職は希少なのだ。と言っているアリスも、HOPE内で最も人数が少ないカーディナルなのだが。
(あ、そうか、これが…)
フルールにたくさんの視線が注がれているのがわかった。ハンターの職玉特性でも感じることができるのだが、それとは少し違う。
(その人が持っているマナが…。)
相手が持っているマナ、その流れを感じることができるようになったのだ。ロビー中の冒険者がそれぞれ違う色と速さのマナを纏っていて、それが幾筋もの流れになって空間を満たしている。これがエレメンタリストの職業適性なのか、はたまたフルールの特性なのかは今はまだ分からなかったが、それに反応できないくらいに疲れていた。
「怪我がないようで良かったです。…目を押さえていますけど、痛みますか?」
「え、あぁ。」
別に痛いわけではないのだが、イフリートに掴まれてから少しだけ違和感があったのだ。自分で確認できない為、アリスに確認してもらうことにする。
「ちょっと試験中にあってね。眼、どうかな。」
フルールが瞼を上げると、そこには驚いたアリスの顔が映った。
「え?もしかして眼、ない?」
「い、いえ、あるのですが…。」
自分では見ることができない為、どうなっているか気になり始める。
「ど、どうなってるの?私の眼…。」
「さ…。」
「さ?」
「左右で色が変わっています。」
「……。」
心当たりはある。きっと顔を鷲掴みにされた時だろう。眼としての機能は保っているからいいや、と諦める。ただ気になったのは。
「何色?変じゃない?」
自分に合わない色だったらいやだなぁ、と、そんなことを考えていた。それを聞いたアリスは、少し笑って答える。
「大丈夫ですよ。とても綺麗な。夕日をそのまま閉じ込めたようなオレンジ色です。」
「…そっかぁ、オレンジかぁ。赤とオレンジって似合うかなぁ。」
変な色じゃないならいいか。そんなことを思ったフルールは、アリスの肩を借りてもうしばらく休むのだった。陽だまりのような誰かの肩に身を預けていると、なぜだか、ずっと昔にもこうして誰かに寄りかかっていたような淡い気配が胸をよぎる。それが何なのかを確かめる前に、疲れた瞼はゆっくりと落ちていった。




