転職試験(くノ一)①
――リアッツォ 大聖堂 ロビー
「ば、番号1163番でお待ちの冒険者様!」
受付嬢が焦ったように声を上げる。先ほどからずっとこの調子だった。番号の桁が四桁に乗っている時点で捌くべき人数は知れていて、これを捌くのは大変だろうと傍からみていても容易に想像できる。それを思ってか、明るいうちに聞こえてきた怒号もいつしか止んでいて、皆「まぁ、仕方ないよな」と諦めムードだ。甲斐甲斐しく働いてどんなに疲れても笑顔を絶やさない受付嬢に、ありがたみと申し訳なさを感じて皆大人しく待っている。高い天井に、人の話し声と紙をめくる音だけがぬるく溜まっていた。
「……1163?ミーナ、お前1163じゃなかったか?」
カインが自分の札を見ながらミーナに問いかけるが、ミーナは図書館から借りてきた本に目を落としたままで反応が薄い。くノ一の前提技能を、試験までの待ち時間でひとつでも頭に入れておこうという腹積もりだった。
「おい、おいってば。」
肩を掴んで揺すると、ミーナはびくりと顔を上げた。
「な!何よ!」
「いや、お前1163の番号札じゃなかったっけ?」
「1163…あぁ!そうだ!ありがと!!すみませーん!私です!1163です!」
ミーナは番号札を頭上に掲げて受付へ走っていき、その背後でカインが小さく息を吐いたのが分かった。
「あぁ、よかった。もう少しで次の番号の方をお呼びしようかと思っていました。」
「あはは、すみません…。」
受付嬢が胸を撫でおろす。見るからにほっとしていた。
「こほん、では。冒険者ミーナ様、審査の結果貴女はくノ一の転職試験を受けることができると判断されましたので、これより別室へ移動していただき試験を受けていただきます。合格は現地の試験官から直接言い渡され、その結果は同時にこちらにも届きます。合格した暁には貴方はくノ一として活動することが許可され、ステータス、スキル共にくノ一のものを使用、取得することができるようになります。ご不明な点がございましたら現地の試験官にお尋ねください。」
「はい、わかりました。」
立て板に水のような口上だった。これを毎回説明して、その上で試験まであるのなら、そりゃ時間もかかる。受付嬢が積み上げてきた苦労と、これから積むであろう苦労を想像して、ミーナは申し訳ない気持ちになった。
「では、あちらのポッドへお入りください。転送されたら試験官が貴女をお待ちしています。」
「はい、ありがとうございます。」
受付を離れ、指示されたポッドに入り込む。中から外を見ると、カインがこちらに向けて手を振っていて、気が付いたミーナも振り返す。ぎこちなく口角を上げて見せたのは、半分は自分を奮い立たせるためだった。その間にポッドの蓋が閉じ、現実世界のように液体は流れ込んでこない。内部照明がふっと消えたと思ったら、もうポッドが開いていた。
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――くノ一 試験会場
蓋が開ききると、ミーナは地面に降り立った。出るのを待っていたように、ポッドはアイテムを剥ぎ取られた後のモンスターよろしく、すっと消え去る。
「ここは…。」
服装は変わりなく、収納などもそのままのようだ。ポッドの外は暗く、遠くから獣の声と小鳥が小さく啼く声が届く。足裏に伝わるのは湿った土の柔らかさで、鼻先をかすめるのは夜露と腐葉土の匂い。肌にまとわりつく湿気がじっとりと重く、頭上では葉擦れが絶え間なくさわさわと鳴いている。周りを見渡しても試験官なる人影はなく、どうやら森の中に一人で送られたらしい。
「どk……」
出しかけた声を、ミーナは飲み込む。
(いる…どこかに…。)
誰かに近くで観察されている。姿は見えないが、気配だけがあった。数は1。敵意は…ない。
闇に目を凝らす。葉擦れの向こう、幹と幹の隙間。どこにもいないのに、確かにいる。喉の奥が、自分の意思とは関係なく鳴った。
だが、次の瞬間。
ヒュッ!
鋭い風切り音が脳に届くのと同時に、ミーナの髪を鋭利なものが掠めた。気を抜いていて反応できず、刈り取られた髪が、はらりと落ちる。
(違う…!これは!)
敵意がなかったのではなく、敵意を上手に隠されて感じ取れなかったのだ。背筋を冷たいものが滑り落ちていき、ミーナはすぐに短刀を抜いて戦闘態勢を取った。
(攻撃が来た方向はあっち…。私は今こっちを向いているんだから…。)
相手の思考を読む。こういうのは普段、悠仁の担当だ。だが今その悠仁はいないのだから、自分でなんとかするしかない。一人だ、という事実が、胸の奥をきゅっと締める。それでも、と歯を食いしばって感覚を研ぎ澄ませ、頭を回す。
(私なら…。)
サササササ…
遠いのか近いのかも分からない、まるで風が芝を撫でるような音。これだけ小さければ普通は場所など特定できないが、ハンターの職業特性はそれを可能にする。耳を澄ますというより、皮膚で拾う。葉擦れと、それに紛れる別の擦過音。重なって、ずれる。
(7時の方向…。恐らくそこに…。)
「…!?」
冷やしたナイフで背筋を撫でられる感覚。
(殺しに…!?)
確実に殺しに来ている。そう感じたミーナは振り向きざま、短刀を構えた。確実に殺すなら、狙うのは首。自分ならどう首を落とすか――そう考えて動線を予測し、タイミングを合わせて短刀を振り抜く。読み違えれば、その瞬間に死ぬ。賭けだった。
ギンッ!!
鈍く重い金属音が響き渡った。手首に痺れが走る。読みは、当たった。その数瞬後。
ザッ…
数m先で音がする。何かが地面に降り立つような。
「…誰?」
ミーナは、姿の見えない虚空へ声を投げかけた。声が震えないよう腹に力を込めると、そこに見えないドアでもあったように、蜃気楼が実体化するように、一人の女性が姿を現す。
「よく防げましたね。一撃目の警告の際反応できていなかったので心配していたのですが、問題はなかったようですね。」
時代劇でも見たことのある忍者装束。顔の大部分を覆っている面頬を、女性はずり下げながら話しかけてきて、その目だけが、品定めをするように、まっすぐミーナを捉えている。
「さて、私が今回の試験の監督を務める試験官の棗と申します。試験終了までよろしくお願いいたします。」
「は、はぁ…。」
敵だと思っていた相手が試験官だと言う。若干、頭がついていかず、短刀を握る手の力が、なかなか抜けてくれない。だが現地では試験官が待っていると言っていたし、スキル習得試験でも同じように試験官が待っていたのだから、恐らく本当なのだろう。
「さて、あそこで死んでいたら試験自体終了だったのですがよかったです。では、今より試験内容の説明を行います。」
(死ぬかもしれない試験って…っていうか試験中に死亡した場合って現実世界でどうなるんだろう…。)
意識が説明からずれそうになる。だが試験官の話は続いた。
「あの城が見えますか?」
棗がミーナの後方を指差す。
「城なんて……ありますね…。」
状況確認不足だった。確かにミーナの後ろには城がそびえたっていて、しかも純日本製っぽい形だ。森の闇に黒々と浮かぶ天守を見上げて、ミーナはごくりと唾を飲んだ。
「あそこには我々忍の極意が書かれている巻物が収められています。ただ、場所もわからなければ敵の数もわかりません。それを持ち出してここへ帰ってくることができれば合格です。使えるのは武器と身に着けている装備のみ。消耗品の使用は認められませんので、こちらで収納をお預かりします。」
棗がすっと手を差し出してくる。収納を渡せ、ということなのだろう。ミーナは素直に従って収納を手渡し、手放した瞬間、頼れるものが一段、減った気がした。
「何か質問はありますか?」
「…相手は攻撃してきますか?」
「はい、もちろん。死ぬ気で宝物庫を守っています。少しでも隙があったのなら躊躇なく攻撃をしてくるでしょう。」
「…殺すんですか?」
「必要があれば。」
棗の声に、迷いはなかった。問いを重ねるたびに、答えは短く、硬く返ってくる。
「…わかりました。」
短い応答で分かった。この試験は、いかに任務を忠実に遂行できるか――自分の心すらも隠して、それを試している。喉の奥に、小さな澱が残った。
「他に質問がなければ試験開始です。試験時間は最長2時間。試験内容における質問には一切お答えできないので、侵入経路も自身で開拓してください。なお試験中に負った怪我は治す手段を持っていないのであれば致命傷になります。死亡寸前になると自動的に不合格になりここに転送されますが傷が治るわけではないので戻ったら速やかに治療を受けることをお勧めします。」
「…わかりました。」
淡々と事実だけを伝えてくる、まるで機械のような女性だった。脅しでも励ましでもなく、ただ起こることだけを置いていくその口ぶりが、かえって重い。
「ではどうぞ。」
その声が聞こえた瞬間、女性の気配が掻き消えた。姿も、もう見えない。残されたのは、葉擦れと、自分の心音だけ。
(あれがくノ一なのね…。)
まざまざと見せつけられた実力差に、やや絶望しながら。それでもミーナは、城を見据えた。




