一息
血の雨が降っているかのように悠仁のローブはエンフィールドの血を吸っていた。
(くせぇ…)
血液独特の鉄臭さが鼻を突く。違う臭いも含まれているようだが、大体は人間を動力源としていたので人間の血液だろう。現実世界でこんなに血液を浴びていたら感染症にかかりそうだ。
「悠仁さん。」
後ろから聞きなれた声が聞こえて、悠仁は振り返る。そこにはステラに肩を貸してもらいながら辛うじて立っているアリスがいた。表情は相変わらず苦しそうだが、それでも会話ができるまでは回復しているようだった。
「大丈夫か?」
「はい、まだくらくらしますがとりあえずは。悠仁さんは。」
「あぁ、俺も大丈夫だ。また助けてもらったからな。」
「本当ですよ。間に合ったからいいものの、危なかったんですからね。」
「それはすまなかった。だけどアリスだって…。」
「こほんこほん!」
悠仁とアリスがお互いの心配とお互いに対する文句を言おうとするとミーナがわざとらしく咳ばらいをする。それが何を意味しているか分かった悠仁とアリスはバツが悪そうにそっぽを向く。
「はぁ…。とりあえず心配は帰ってからにして。それで…。」
ミーナは死んだエンフィールドに視線を移す。相変わらず海の生き物が腐敗したような嫌悪感を抱く臭いと、血液の臭いが辺りに充満していて普通の顔を保っているのが大変なくらいだ。
「これをどうするか、だな。」
カインも後ろから歩いてくる。横にはフルールが付いており左腕を心配そうに見ている。カインに見えないところで。
「あぁ、俺達だけで倒したならすぐに解体してもいいところなんだが…。」
そう、ドロップアイテムや死体の処理に関しては戦闘に参加した者全てが納得できるようにするのがマナーだ。この戦闘にはパーチのメンバーの他にもゴルド軍が加わっており、意見を聞く必要があった。特に軍は領主の命で動いているので勝手なことはできないだろう。悠仁がガリオンを見ると、それを察したのかガリオンがこちらへやってくる。
「すまない、遅くなった。」
ガリオンは鎧をガチャガチャと鳴らしながらやってきた。だがその音は時折ギギギと歪んだ音を出しており、よく見ると鎧の一部がひしゃげていた。ガリオンもまた戦闘で攻撃をもらったのだろう。
「いえ、大丈夫です。それよりもこのエンフィールドの死体なのですが…。」
「あぁ、それは好きにしていい。……と言いたいのだが…。」
ガリオンは言いにくそうに言葉を続ける。
「我々の目的は領の脅威になっていたエンフィールドの討伐なのだが、討伐したことを、領主や領民に知らしめて安心をもたらすために一度この死体を持ち帰らせてもらいたいのだ。」
「あぁ、なるほど。」
言っていることは分からなくもない。いくら耳で討伐をしたと聞いても不安は残るだろう。死体を見ればその不安は払拭されるため最も手っ取り早く確実な手ではある。百聞は一見に如かずというやつだ。
「そんなに長い時間は取らせない。ヴォーマの中央広場に一晩おかせてもらえればいい。その後は死体を好きなようにしてもらっても構わない。どうだろうか…。」
ガリオンもこちらが急いでいることを知っているので申し訳なさそうに頼み込んでくる。あの堅物のような顔が申し訳なさそうにふにゃりと歪んでいるとなんでもOKと言いたくなってしまう。そしてこういった時に絶対にOKを出すメンバーがパーチにはいる。
「なぁYuji、ガリオンさんもこう言ってることだし…。」
そう、カインだ。困っている人間がいたら自分を犠牲にしてでも助けてしまう。そして悠仁も良心ではそうしてやりたい気持ちはやまやまな為いつもそれに従ってしまう。今回もその例に漏れない。
「…わかりました。その後の死体はこちらの好きにしていいようなので、そのようにしましょう。私たちはあと1日だけヴォーマに滞在することにします。」
それを聞いたガリオンはパァッと笑顔になった。
「そ、そうか!それは助かる!この戦闘の功労者はどう考えてもクラン『パーチ』の冒険者方だ。もしも断られてもそれに従うつもりでいたが、よかった…。」
領主に対するメンツというものもあるのだろう。悠仁も会社という上下関係のある場所に長々勤めていたためその苦労は手に取るようにわかる。またいつか来るかもしれないこの領地で友好的な関係を築いておくのは悪くない。
「では運搬は私たちが行う。Yuji殿たちは街へ戻って治療と、疲れを癒してくれ。あと20分もすれば馬を連れてうちの部下が戻ってくるだろう。」
そう、馬はエンフィールドの攻撃で死亡してしまったか、攻撃に驚いて逃げてしまったものが多く、全員分の馬はいなかった。ガリオンはそれを見て部下に馬を連れてくるように命じていたようだ。
「わかりました。それではそれを待って街へ戻りたいと思います。実を言うともうへとへとで…。」
攻撃の回避や集中などをしているとどうにも疲れる。魔法の行使でも疲労感がたまっていくためもう泥のように寝てしまいたい衝動に駆られる。他のメンバーも口に出さないだけで同じことを思っているだろう。
「まぁそうだろう。話によるとバーゴルドンから来てそのままこの戦闘。疲れないはずがない。戻ったらすぐに休むといい。私はそういうわけにはいかないのだがな…。」
ガリオンはこの後に行わなくてはいけない事後処理を思ったのか眉間に指を当てて首をふる。
「心中お察しします…。」
悠仁達は一先ずエンフィールドの死体や現場の処理はゴルド軍とガリオンに任せることにして、馬でヴォーマまで帰ることになった。
戦場を離れる段になって、ようやく身体が正直になった。指先の震え、膝の重さ、耳の奥に残る叫び声。勝ったという実感は、疲労より一歩遅れてやってくるものらしい。
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――15分後
「え、これだけか…。」
悠仁達の前に並べられた馬は全部で3頭。数が足りないのは赤子でもわかりそうだった。それを見たカインはついぼやいてしまう。
「も、申し訳ありません…。急な馬の不足で厩舎にいたものを含めても全員分をご用意することができず…。実をいうとこれも軍用の馬ではなく領民から借りてきたもので…。」
「あぁ、いや、事情は俺達も知ってるっていうか、実際に一緒に戦ったから分かってるんだけど予想外でな、別に責めてるわけじゃねぇんだ。」
カインが申し訳なさそうに謝る兵士に対して申し訳なさそうに謝る、お互いペコペコと頭を下げているのは日本人らしさが出ているようだった。
「しょうがないな、じゃあ二人一組で乗ろう。」
悠仁がそのセリフを口にした瞬間、何故か背中に視線を感じた。
(な、なんだ…まだモンスターが…?)
悠仁が振り向くとアリスとステラがこちらをじっと見ていた。視線の正体はこの二人だったようだが、何故背筋が冷たくなるほどのものを当てられているのか理由がわからない悠仁は頭の上にはてなが並んでいる。
「ど、どうした…?」
「……別に。なんでも、ない。」
何もなかったように応えるステラの半眼が、少し怖い気がした。
「ほれ、早く乗れ。」
「もう、押さないで……きゃっ!今お尻触ったでしょ!」
「手甲してるからなんも感じねぇよ、いいから早く乗れって。」
横では既にカインがフルールを馬に乗せているところだった。
「わ、私は…」
アリスが何かを提案しようとしたが、悠仁はそれに気づかずに先に提案をする。
「んー、アリスはステラと一緒がいいな。ステラ、ずっと付いていてもらって悪いがアリスに付いていてやってくれ。んでミーナは俺とだ。」
「はいはい、わかりましたよ。」
ミーナが素直に悠仁が撫でている馬に乗る。それを見ていたアリスとステラは何故か溜息をついていた。
帰り道の馬上は、来た時とは別の国のように静かだった。手綱を握る腕に馬の体温が伝わってきて、生きているものの温かさが、今日はやけに沁みた。
数日後、組合の戦後査定が貼り出された。
『対エンフィールド戦役。対象のクラス評価——キング級(事後認定)』
書式の下に、小さな注記があった。キング級の事後認定は、統括組合の記録で大陸七例目。生きて評価を受けた者がいない相手に付く称号だから、事後、なのだという。七例目、の三文字を、兵たちは妙に誇らしそうに、そして誰も声には出さずに、順番に見上げていった。
報奨の列で、パーチの取り分は時間給の精算と危険手当、締めて金貨二十二枚と銀貨四十枚。ステラは受け取りの帳面に几帳面な字で書き込んで、それから列の別の窓口——見舞金の窓口の長さを、しばらく見ていた。あちらの列の方が、ずっと長かった。
ヴェッロが、ザンテの家に旗の房を届けに行くというので、悠仁たちは途中まで一緒に歩いた。「隊長の分の見舞金、出るそうです。うちの隊、旗は一度も倒れませんでした」と若い旗手は言った。それが弔いの言葉として正しいのかどうか、誰にも分からなかったが、ザンテの女房は房を受け取って、「あの人、そういうのだけ、ちゃんとするんだよ」と笑って、それから泣いた。
宿に戻る道で、体が半段軽いのに気づいた。29。上がった数字の分だけ、覚えておくべき名前も増えた。そういう勘定なのだと、この戦役で覚えた。




