想定外
「う、うわぁあああああああああ!!!!」
兵士の悲痛な叫び声が聞こえる。
先がなくなったその肩からは血が噴き出した、まるで噴水のように。その兵士の右に位置していた悠仁はその血をまともに浴びてしまい、視界が赤く染まる。
(何が起きた。光が見えたと思った瞬間…)
兵士の返り血を浴びて、それが左頬に達するとちくっとした痛みを感じる。恐らく先ほどの光で頬を切られていたのだろう。もう触ったところで兵士の血でまみれているので確認する術はないが。
(ってそんな場合じゃ!)
「手が空いてる魔法兵はすぐにこいつを連れて撤退!治療を受けないと数分で死ぬぞ!」
悠仁はすぐに気持ちを切り替えて周りにいる兵士に指示を出す。あまりの衝撃に悠仁と同じように固まってしまっていた兵士は爪で弾かれたように動き出し、兵士を抱えて撤退をしていった。あの怪我と出血ではもう助からないかもしれない。
「カイン!兵を連れて戻ってこい!様子がおかしい!」
「わかった!!」
前線にいるカインにも指示を出す。カインも何か異常を感じているのかすぐにそれに応じて帰ってくる。幸いその間エンフィールドからの攻撃はないが、それよりも、ゴキゴキといった不気味な音が、晴れ切れていない水蒸気の向こうから聞こえてくる。
うっすらと見えるそのシルエットはどう見ても生物の動きではなかった。骨の軋む音の合間に、濡れた肉の擦れる音が混じっている。
今までいろいろな動物の部位を寄せ集めたような体をしていたが、それでも4足歩行で、頭もあって尻尾もあり、口もあった。なのに、今ではその形は見る影もなく変形をしてしまっている。シルエットだけではうかがい知ることはできないが…。
「悪夢だろこれ…。どうなってんだよ…。」
カインがその姿を見て呟く。言ってることはわからないでもない。霧越しに見るその姿はとても地球上の生物には思えない。変形前の形でさえ嫌悪感を催す形だったのに、それをさらに上回る。
「ちょっと…臭いです…。」
アリスはローブの袖で鼻を押さえる。アリスの言う通り何とも言えない腐敗臭、それも海の生物のもののような臭いがあたりに立ち込めている。長時間その匂いを嗅いでいるだけで気分を悪くしそうだ。
「なんでこの手のモンスターは第2形態があるんだよ…」
悠仁があきれたように呟いた。ノワールの時もそうで、この手のモンスターは自身が危険に陥ると第2形態になるが、エンフィールドも例に漏れておらずまるでお約束のように嫌な予感を裏切らない。
そのまま十数秒様子を見ていると、ついに水蒸気が晴れてその全貌が明らかになる。
今まで腹だと思っていた部分が上を向いている。兵士を喰らっていた口はぐちゃぐちゃと不快な音を立てながら動き続けている。何よりも目に入るのは触手。今まで鷲の足が生えていた場所からはカインの体程の太さがある触手が生えており、4本だけかと思ったら今まで背中だった部分からも2本生えているようで全部で6本見える。今までの胴体はもはやおまけだ。
それを蛸のように足として使っており、見た目としては一時期流行った蛸型の火星人のような形をしていた。ただ触手には吸盤などは存在せず、ミミズをそのまま巨大化させたような外見をしている。ただ、今まで生えていた尻尾はそのままで、長さだけ延長されていた。恐らく水蒸気越しに見えた明かりはそれだろう。
大きさも比較にならないほどになっており、触手の元である元々の胴体をてっぺんとして、地面までの距離は4メートルはあるだろう。
「ただただ気持ち悪いな…。」
悠仁達を守るように前に出ているカインはその外見を見て心底気持ち悪いのか、溜息をつきながら剣をおろしてしまっている。
距離も取っている状況で、変形したエンフィールドが距離を詰めてこないことを疑問に思いながら対策を考えているとエンフィールドが驚くべき行動に出る。
「アア……」
うめき声と共に足として使っていた触手を前に出し、空気を捏ね繰り回すように動かし始める。
「…あれ、何してんだ?」
カインが目を細めながら状況を確認するが、その行動の理由はすぐに明らかになる。
「……!?まさか!!」
アリスが呟いてすぐに杖を構える。
「光よ 我が魔力を糧に 我らを守る障壁を!」
アリスの詠唱が終わるその瞬間、エンフィールドの触手の先が黒く輝き始める。
「…まさか!」
悠仁が叫ぶ。そう、そのまさかである。
「アァァァァ……!!」
エンフィールドは自身の触手の先に生成していた光を押しつぶすとそれらは辺りに飛散して、無数の矢になる。
「あいつ…!魔法を使うのか!?」
カインもさすがに気が付いた。今まで魔法を使うモンスターなどアリーシャでの出来事以来見たことがなかった。そもそも魔法はそう簡単に使えるものではなく、冒険者であっても魔法適性がないと使用することができない。
それをモンスターが使うのは、決してないことではないのだが、物理攻撃に特化したモンスターは基本的にそれを使うことはない。「どちらも」というのはかなり特殊な例だ。
物理攻撃だけでかなりの強さを誇っていたエンフィールドが魔法を行使することなど想定に入れておらず、対策など何もしていなかった。
「プロテクション!!」
それをいち早く察知したアリスはすぐに防御魔法の詠唱をしていたのだ。悠仁達の前には3人を十分に守れるほどの大きな半透明の壁が出来上がる。以前よりも厚さ、大きさが増しており、簡単には壊れないのは素人目に見ても理解できた。
エンフィールドが生成した矢は向きが不揃いだったが、ギュン!と悠仁達の方向を向いて狙いを定められる。
「大丈夫、大丈夫…」
アリスは障壁に魔力を注ぎ込みながら呟く。初めて出会う相手の魔法をどこまで防ぐことができるのか、自分の魔法がどこまで通用するのかわからない今、祈るしかないのは確かである。
「ヴェェェェェェ!!!」
エンフィールドが不快な叫び声を上げると、矢が射出される。その一つ一つが悠仁の目で追えるものではなく、ミーナが放つ全力の矢と同じくらいの速度があるように感じた。
「っ!!」
迫ってきた矢に対して、アリスが魔力を注ぎ込みながら反射的に目を瞑る。
ストトトトトトトト!!!
プロテクションで生成した壁に矢が突き刺さる。壁越しだというのに、空気を叩く圧が頬まで届いた。20センチくらいあるプロテクションの半分くらいまでめり込んでいる。以前までの壁だったら絶対に貫通していた。だが問題はそこではなかった。
「ぎゃぁあああああああ!!」
悠仁達の後方で悲痛な叫び声が聞こえる。エンフィールドが放った無数の矢は前線の3人だけを狙ったものではなく、後ろで待機している他の部隊も襲ったものだった。ゴルド軍の魔法兵が作り出したプロテクションの壁はアリスが作り出した物よりも薄く、簡単に貫通されてしまい、その後ろにいた兵士は串刺しにされる。
前衛職の兵士も盾で防いでいたが、魔法防御を施していないただの盾で防ぐことができるはずもなく、紙を貫くように穴が空いてしまっている。その後ろにいた兵士は…。想像に難くないだろう。
「あそこには負傷している兵士だっているのに…!!」
カインが歯を食いしばってエンフィールドを睨みつける。今すぐにでも攻撃に移りたいのは山々だ。ただ、情報が足りない。第1形態の時には意図的に防御特性を変化させるという作戦があったからいいものの、今回に限っては情報が全くない。何をしても裏目に出てしまうのではないか、そんな予感が悠仁の脳内を埋め尽くす。
(どうすればいい……あれには何が有効なんだ…?魔法攻撃?物理攻撃?弱点属性はあるのか…?っていうかそもそも最初に兵士の腕を切り落としたのは何を使った攻撃だったんだ…。くそっ…どうすれば…。)
悠仁は、作戦立案をすればその通りに作戦を実行できるだけの力を持っている。ただ、ヒーローではない。都合よく目の前で作戦を思いついて、打開策を声高らかに宣言できるほど万能ではない。
焦りと不安、死ぬかもしれない恐怖を目の前にして膝から崩れ落ちそうになっている悠仁の目の前が真っ暗になりかけた、そんな時。
「大丈夫、大丈夫です。」
杖を握る悠仁の手に、小さなその手が重なる。悠仁は項垂れそうになっていた顔を、声の主に向ける。
アリスの笑顔がこちらを向いていた。
「何があっても私が守りますから。大丈夫です。悠仁さんは自信をもっていつもみたいに私たちを動かしてください。」
それを言い終わるまで終始笑顔だったアリスだが、悠仁の手に重ねられていた手はほんの少し、震えていた。
(…そうだよな、こんな、俺よりも小さい女の子が怖くないはずないじゃないか…。っていうか自分よりも年下の女の子に、こんな状況で励まされるとか…。情けねぇ…。)
自分の根性のなさを嘆きながらも、アリスの精いっぱいの強がりを、しっかりと受け止める。
「…あぁ、わかった。」
悠仁はアリスから視線を外して前を向く。今は絶望している暇ではない。全力で足掻くんだ、足掻いて足掻いて、それでも負けたら仕方ない。なんていうわけがない。ここはHOPE、ゲーム内の死はそれ即ち現実世界の死。大怪我なんてしてこの世界に長期間留まることになってみろ、現実世界の体がもつとは考えられない。既に1週間近く潜ってる。もう時間がない。ここで一旦撤退して、再度作戦立案をできるほどの時間はもう残っていない。
(全員で、絶対に、無事に帰るんだ。)
悠仁は大きく息を吸って、吐き出す。
「まずは状況確認をする。アリスはプロテクションの連続展開。ここから引いたらもう後は後方で倒れている奴らの場所まで一直線だ。下がるわけにはいかない。カインはアリスを守ってくれ。何があってもだ。アリスがいなくなったらこの戦闘は瓦解する。…わかるな?」
「…あぁ、何があってもだな。」
カインは悠仁の意図をしっかり汲み取った。そう『何があっても』だ。
「俺は今すぐ後方に戻ってガリオンさんとの相談と、後方で支援に回ってる他のメンバーを連れてくる。いいか?」
二人の場所から後方までの距離、完全に無防備になるが、悠仁が行くしかない。ここにいるメンバー全員、安全というものは無縁の状況にいるのだから仕方がない。
「わかりました。」
「気をつけろよ。」
悠仁はゆっくり頷いて二人に背を向ける。地雷原を全力疾走するような覚悟で、悠仁はその一歩目を踏み出した。
背中を預けるという言葉の本当の意味を、悠仁は走り出す一歩の中で知った気がした。振り返らないことが信頼の証明になる。そんな瞬間が、戦場にはある。
悲鳴と土煙の中で、それでも旗は立っていた。
ヴェッロの旗だ。隊列が割れ、槍衾が二度崩れて二度組み直される間、あの旗だけは一度も倒れなかった。後で聞けば、倒れなかったのではない。倒れかけるたび、若い旗手が膝で、肩で、最後は額で支え直していたのだ。「旗が立ってる間は、崩れてないことになってるんで」と、ヴェッロは血の混じった洟を啜りながら言った。決まり事が人を支えるのか、人が決まり事を支えるのか、あの戦場では、もう区別がつかなかった。




