対エンフィールド⑥
1回目の進軍よりも空気が重い。意気揚々と討伐に出陣して出鼻を挫かれたのだ、慎重になるのは当然だろう。ただそれだけではない。今回の作戦が通用しなかったら、次は何か策があるのか。策がなかったら自分はどうなるのか。そんな不安が胸で渦巻いているのだろう。
悠仁がちらりと横を歩く兵士に視線を向けると、歩いていても体がカタカタと震えているのが分かるほど震えている兵士がいた。装備が汚れていることから、最初の戦闘に参加した兵士だろう。目の前で同僚が無残に殺されて食べられたとなれば、恐怖するのも無理はない。
(…こういう時って、無性に人の様子が気になるよなぁ…)
自分が落ち着かないといけないときに周りを見渡して、自分より慌てている人間がいるとなんだか冷静になってくるのは、現実世界でもこっちでも同じようだった。
ふと、戦列のずっと後方から、かすかな弦の音が風に乗って届いた。常春の楽団――後方支援に回った楽士たちのバフの演奏が、強張った兵士たちの肩から、ほんの少しだけ力を抜かせていく。
悠仁は自分の置かれている状況をゆっくりと整理しながら、ゴルド軍と一緒にエンフィールドの待つログハウスへ歩みを進めた。
整理してみれば、置かれた状況は単純だった。倒さなければ帰れない。帰るためには全員が要る。複雑な事情を煮詰めていくと最後に残るのはいつもこの二行で、そのことが少しだけ悠仁を落ち着かせた。
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「zzz…」
一通り食事を終えたのか、エンフィールドはログハウスの番犬のように睡眠をとっているようだった。その大きな鼾は、十数メートル離れたところにいる悠仁達にも届くほどだった。鼾のひとつひとつが、腹の底に低く響く。多くの動物は寝ている時に無防備になるため、隠れたり気づかれたりしないような工夫をするものだが、大きな態度は自信の表れなのか、何も考えていないのか。
エンフィールドの周りには血溜まりが広がっており、前回の戦闘の凄惨さを物語っていた。鎧の一つも残っていないその場所に広がる血溜まりを、まるで深紅の絨毯に見立てて睡眠をとっているようにも見える。
悠仁が先ほどの兵士に視線をやると、その兵士は憎しみ半分恐怖半分な表情をしていた。手には力が入って涙目、歯を食いしばって自分を奮い立たせているが、一歩間違えれば自分が死んでしまうこの状況を脳は正確に理解しており、それを制止している。
「………」
ガリオンは奇襲をするようで、傍付きに静かに指令を出して、全部隊に浸透するように指示を出した。
「Yuji様、よろしいでしょうか。」
傍付きが悠仁の場所までやってくる。恐らくガリオンが伝えた命令を、順番に伝えに来ているのだろう。悠仁は声を出さないように頷いて話を聞く。
「今、指揮官が指示を出しました。指揮官の横についているあの分隊が攻め込んで、作戦の有効性を確かめます。その作戦が有効だと判断できたら、次にパーチの皆様に攻撃に移ってほしいのです。可能でしょうか。」
つまりこういうことだ。作戦が通用するかの確認だけを行うから、その確認が済んだら手本を見せろ。こう言っているのだ。悠仁は後ろを振り向いて、今の話が聞こえているだろうメンバーにアイコンタクトをすると、皆が頷いた。
「……御覧の通り、準備はできています。いつでも。」
「わかりました。……ゴルドの人間ではないのに、ここまでしていただいてありがとうございます。作戦中なので誰も何も言いませんが、ここにいる皆は同じ気持ちです。危ないと判断したら逃げてください。その時間稼ぎくらいはします。」
兵士は頭を垂れて感謝をしてくる。
「…大丈夫です。最後まで一緒です。いつ始めるんですか?」
「私が戻ったら3分後に作戦開始です。その後のタイミングは、お任せします。」
「わかりました。お互い生きて帰りましょう。」
「ありがとうございます。では、私は戻りますので。」
ガリオンの傍付きは身を低くしたまま素早く移動して、ガリオンの元へ戻っていった。こちらの言葉を伝えたのか、ガリオンは悠仁達の方を向きゆっくりと頷いた。
「…悠仁さん、大丈夫ですか?」
ガリオンの合図を確認した悠仁にアリスが声をかけてくる。
「え?」
アリスの少し冷たい手が悠仁の手に重なる。悠仁が自分の手に視線を向けると、カタカタと震えていた。これから作戦が始まるという覚悟と、この嵐の前の静けさともいえる静寂を前にして悠仁も緊張していたようだった。
「…震えてます。怖いですか?」
「…あぁ、怖い。できることなら逃げ出して家の布団に入って寝てしまいたいくらいだ。だけど…。」
「…だけど?」
悠仁はすぅっと息を吸い込んでゆっくりと吐く。
「…やるしかないんだ。みんなで帰るには。だからやる。絶対に全員で帰るんだ。」
「そうですね。帰りましょう。みんなで。」
フェリスがアリスの腕を伝って悠仁の腕に乗って、肩までやってくる。いつもアリスにしているように首に巻きつくと、尻尾を差し出してくる。
「お?どうした?急に。」
フェリスは少しあきれたようにそっぽを向いて尻尾を触れというように顔にぶつけてくる。その尻尾からは淡い光が蛍のようにふわふわと出ている。
「触ってあげてください。きっとフェリスなりの励ましだと思います。」
「…ありがとなフェリス。」
悠仁はフェリスの尻尾を触る。見た目以上にふわふわだった。友人の家で触ったことのあるチンチラの毛のように指が埋まる。少し揉んでみるとさらにふわっと光が漏れて悠仁を包む。
「……よし、大丈夫だ。フェリス、後はアリスを守ってやってくれ。」
それを聞いたフェリスは再度悠仁とアリスの腕を伝って戻っていき、アリスの首に巻き付いた。
ガリオンの傍にいた部隊が立ち上がる。いよいよだ。別にラスボスってわけじゃない。だが命がかかっているとなると、緊張しないわけがない。
刻一刻と迫ってくるその時は無限の時間に感じるが、確実に1秒1秒時は進んでいき、その時は訪れる。
ガリオンがその剣を上空にゆっくりと振り上げて――振り下ろす。
反撃開始だ。
下がりかけた前線を、細い声が支えた。
「皆さん、下がらなくて、大丈夫です。……ここからは、わたしの一番の槍が、通ります」
フルールが、杖を両手で構えていた。NPCの魔法使いが軍の戦列で詠唱するのを、兵たちは物珍しげに、そして詠唱が進むにつれ、物珍しさを忘れた顔で見た。練り上がった炎が、槍の形に絞られていく。穂先が白くなるまで、絞る。
「——フレアジャベリン!」
白い炎の槍が、平たい弧を描いて、狼の後脚の腱を焼き貫いた。あれの粘りつくような足運びが、その一撃で片側だけ、時計の壊れた振り子になった。「今です。足の止まった獣は、ただの大きい的です」——師範のような言い方だったが、声は少しだけ震えていて、それを隠すみたいに、フルールはもう次の詠唱を始めていた。




