ゴブリンチーフ
――未開のダンジョン 第1階層 攻略開始から10分
「…」
先頭を歩くカインは無言のままである。カインに限ったことではない。全員が無言のまま10分が経過した。
静かすぎる森だった。前回はあれほど聞こえた鳥の声も、下草の擦れる音もない。自分たちの足音と装備の鳴る音だけが規則正しく続いて、それがかえって耳障りに感じられるほどだった。
「おかしい…」
ついにカインが違和感を口に出す。これから続けようとしている言葉はきっと全員が思っていることだろう。
「敵が出てこないな…」
そうなのだ。敵が出てこないまま10分が経過している。最初に入った時にはものの5分で奇襲を食らった挙句2時間ほど戦闘が継続したのにだ。
「……ん。妙、だね。」
ステラも不思議なようだ。このパーティーの中で最もダンジョンの攻略を行なったことのあるステラがおかしいと感じるのだからおかしいのだろう。
「……地上なら、まだしも。ダンジョンは一度出たら、再度モンスターが湧くはず、なんだけど…。」
そう。ダンジョンはその性質上、ダンジョンに誰もいなくなったら形を変えてモンスターもリポップするはずなのだが、そのモンスターが出てこないのだ。
「そういうダンジョン…ってことでいいのか…。」
悠仁もどう行動していいか分からない様子だ。ダンジョンに潜ってこんなことは一度も無かった。
「なんだよ、折角準備してきたってのに…。」
カインがぼやく。喜んでいいのか悲しんでいいのか、実に悩みどころである。結局それから5分程度ですんなりと前回進んだ場所まで来る事ができてしまった。前回の戦闘の跡が生々しく残っており、一つだけ死体がそのままなのが悠仁の目に入った。
「おいおい、回収し忘れてるぞ。」
カインの鎧を肘で小突く。
「あー、ホントだよ…。あん時疲れてたからな…。…この死体ちょっとくせぇな。」
そういってカインはゴブリンの体にナイフを刺し込みアイテムを回収する。
「……あれ?」
アリスが何かに気付いた声を上げる。
「どうしたの、Alice。」
横にいたミーナがアリスのその発言を掬う。
「…なんで前回の死体が残ってるんですか?」
流れが自然すぎて気がついていなかったが、アリスの言うとおり前回の戦闘の跡が残っているのはおかしい。
ダンジョンは中に誰もいなくなった時点で中身がリセットされ、前回の冒険は意味を為さなくなるのが普通だ。この様に前回の内容が残っているのは通常のダンジョンでは起こりえない出来事だ。
ただ死体はやや劣化していた。前回の戦闘の後、そのまま放置されていたということだ。カインが感じた異臭もそのせいだろう。
「もしかしてここ、リセットが無い…?」
悠仁は皆の考えていることの結論を口にする。まだ同じ事例を体験していないからわからないが、今のところそのような結論に至る。
なるほど、と全員が考えを一つにしたその時。
ザザザザ!バキンッ!
突然、ゴブリンの死体があった草むらから木が薙ぎ倒される音がする。その音からするに小枝などではなく大木がそのまま折られたような印象を受けた。
突然のことではあったがもう何度も戦闘をしたおかげで事前の陣形をすぐに取ることができた。
「…」
カインが先頭になり、音の鳴るほうを見つめる。すると。
「グルルルルルルルル…。」
巨大なゴブリンが現れる。ウェイルが倒したオークのように筋骨が隆起しており、動物の皮で作られたと見られる鎧を装着していて、持っているのは人間が使うような剣だった。口からは涎を垂らしており尋常ではない雰囲気を漂わせている。
「これはあれか?子分をやられたから親分が敵討ちに来たってやつ…。」
カインが緊張からなのか場を和ませようとしたのか、はたまた何にも考えていないのか、苦笑いを浮かべながら振り向いてくる。
「余所見してんな!くるぞ!」
ゴブリンは振り上げた剣を横薙ぎしてくる。離れているにもかかわらず悠仁にまでその風圧が届く。
「うおぉ!!」
カインが衝撃か、自分で飛んだのかは定かではないが、後方へ跳んでくる。
「俺首繋がってるよな!?」
「繋がってなかったら聞けてないでしょ!ほら!立って!」
ミーナがカインの体を引き上げる。幸い怪我は無いようだ。しかし危機が去ったわけではない。すぐに悠仁達の命を絶てる存在がそこにいるのだ。
「神よ その高貴な羽衣にて我らを包み 御身に仇為す者達に 粛清する為術をお与えください」
アリスがすぐに詠唱を開始する。すぐに戦闘状態に意識を持っていけるのはアリスの長所だ。
「ユニラテラルカーテン」
前回とは違い悠仁達の周囲360°を光のカーテンが包み込む。範囲も小さくなっており、維持も簡単そうだ。
「お願いします!」
アリスが叫ぶ。攻撃の指示だ。いかに効果範囲を小さくしたところで神聖属性の4小節魔法。悠仁が使う魔法等は比べ物にはならないほどの魔力を消費しているのは間違いない。カインを除く4人はすぐに攻撃に移る。
「…ふっ!」
ミーナが矢を放つ。
ドスッドスッブシュッ…。
鈍い音と共にゴブリンの硬い肌に突き刺さる。突き刺さった場所からは鮮血が噴き出す。前回の小さな個体の鎧を貫くことができない場面があったのに、今回の、より強い相手の肌を貫くことができたのは事前準備のおかげだろう。出血量から見ても何か特殊効果が付与しているのは分かる。
後ろではアリスが魔法を維持しながらマナポーションを飲んでいる。瓶の装飾から見て等級の高いものだろう。
(アリスの魔力消費が激しすぎる…急がないと…。)
「……沢山、作ってきたから。今日は、大盤振る舞い。――ポイズンフォグ。ライトニングボルト。フロストバイト。」
ステラはスクロールを3枚ほど取り出し、連続して魔法を使用する。スクロールを使用しているおかげで魔力消費もクールタイムも無いステラならではの戦い方だ。
毒の煙がゴブリンを包み込んだあとそこへ雷が落ち、氷の蛇が体に噛み付く。
「ガァアアアアアアアア!!!」
毒の霧が目を侵したのか、ゴブリンは目を押さえて剣を振り回す。剣はユニラテラルカーテンにぶつかるが、大気の震えが届くのみで一切のダメージが無い。
「水よ 槍持たぬ我の槍となり 我らの敵を討て」
悠仁も急ぎ詠唱を完了させる。
(後のことは考えないでいい…今は目の前のことを…!)
「アイススピア!」
いつもよりも魔力を注ぎ込む。8本の氷の槍が出来上がり、ゴブリンのほうを向く。
「ショット!」
杖を振り下ろして射出する。鎧で守られていない腕や手を中心に氷の槍が突き刺さり穴が開く。
「グゥウウウウウ…。」
ゴブリンが膝をつく。痙攣する手で氷の槍を引き抜いてこちらに投げつけてくるが弱々しい上に防御魔法が展開されているため何の効果も無い。
「猛々しく燃える火の精霊よ私の手を取り力を貸して この身をも焦がすその情熱を 天災にも等しきその灼熱を 我らの敵を滅す力と成せ」
ステラも詠唱を開始する。いつの間にかスクロールの束を仕舞って杖に持ち替えている。反対側の手には栓を抜いたマナポーションが握られているのを見るとかなりの魔力を注ぎ込むつもりらしい。
「ペインフルフレア」
詠唱が終わるとゴブリンを中心に筆で円を描くように炎の壁がゆっくりと出来上がる。フロストバイトとアイススピアで行動が鈍っているゴブリンは逃げられない。
ゴブリンを包み込んだ炎の壁の上空から巨大な火球が落ちてくる。
ジュッ!
という肉の焼ける音がした。断末魔は聞こえない。円が縮んでいき、消えた頃には、黒焦げになったゴブリンの死体が残っていた。動く気配も無く、プスプスと音がしている。
「…はぁぁぁぁ…。」
アリスがへたりこむ。その瞬間防御魔法の効果も切れる。こうして今回も何とか危機を乗り越えることができた。
静けさが戻ると、焼けた肉と毒の霧の名残の匂いだけが漂っていた。誰からともなく武器を下ろし、互いの無事を目で数える。視線が一巡りして、ようやく誰かが長く息を吐いた。




