聞きたいこと①
――リアッツォ 領主の住まう城
「ありがとうございます。では…」
悠仁は沢山の経験を積んでいるウェイルにどうしても聞きたいことがあったのだ。
「ウェイルさんはこの世界で『記憶喪失』という現象に出会ったことは…?」
「記憶喪失…。」
ウェイルは口をへの字に曲げ顎鬚を撫でながら思案している。
「記憶喪失ってのはあれかい、記憶の一部、もしくは全部を失ってしまっているっていう…。」
「はい、その認識で間違っていないと思います。」
ウェイルは古い記憶を掘り出すかのように頭を捻っているがその表情はあまり明るいものではない。
「うーむ…記憶喪失というか、強い恐怖に襲われた時にその前後の記憶が失われるという経験をした仲間を見たことがあるが…。」
「なるほど、やっぱりこの世界でも記憶喪失になるということですね。」
ウェイルの話からこの世界でも記憶を失ってしまうことがあることの確認が出来た。
「私は医者なわけではないから詳しい理屈などはわからないが、記憶喪失って言うのは物理的に脳細胞に障害を負って思い出せないパターンとその記憶を思い出さないようにと蓋をするパターンがあると聞く。まぁこの世界で起こるのは大体後者だが、ここでの怪我が現実世界に影響する以上頭部に障害を負ってそのまま戻ってしまった場合、前者のパターンの記憶喪失は起こるだろうね。」
ウェイルは身振り手振りで自分の知っていることを話してくれる。
「それで、その記憶喪失にあった仲間というのはそのあと…。」
「あぁ…。彼女は亡くなったよ。戦闘でね…。良いソーサレスだったのだが…。」
既に仲間は亡くなっていて確認は出来ないようである。
「そうですか…。残念です…。」
「何か記憶喪失について知りたいのかい?」
「えぇ…、実は…。」
悠仁はフルールがNPCであり、記憶を失ってしまっていることを説明した。
説明しながら、悠仁は言葉を一つずつ選んでいた。本人を隣に座らせて、その人の事情を語るというのは思ったよりも難しい。フルールは口を挟まずに聞いていたが、その姿勢のよさがかえって、この話題が彼女にとってどれだけ大きいかを物語っていた。
「NPCが冒険者…。そんな事例は聞いたことがないな…。大体NPCは与えられた職業として『戦士』やら『行商人』やらをやっていることはあるんだが、聖堂で冒険者登録をしたNPCなんて見たことがない。だが…」
ウェイルは観察するかのような目つきでフルールを見る。
「確かにその辺りのNPCと雰囲気は違うな。何が…とははっきり言えないが立ち振る舞いや仕草、先ほどの驚き方など少しNPCとはずれているところがある。人間的というか…。」
「私たちも彼女がNPCだとは考えられないので普通に旅をしています。」
「うむ、どんな相手でも一緒に楽しく冒険できるのはいいことだからな。それでいいと思うよ。ただ珍しいってだけだ。」
ウェイルはフルールににっこりと笑いかける。
「お気遣いありがとうございます。」
フルールも微笑み返す。銀色の髪がさらりと流れる。
「まぁそれはともかく、記憶喪失について詳しいのは現実の医者だが、ここはゲームだ。このゲーム内で記憶喪失について対処した人間に話を聞くのが手っ取り早いだろう。そして実際に看てもらったほうが…。」
ウェイルが再度立ち上がり大きな世界地図を持ってくる。
「これがHOPEの世界の地図だ。」
悠仁たちが配布されたようなボロボロの地図ではなくしっかりと真新しい羊皮紙に書き込まれた地図で、全体像がよくわかるものだった。
「わぁ、こんなに綺麗な地図初めてですね。」
アリスが感嘆の声を上げる。
「そうだろう、自慢の一品なんだ、使う機会も少ないから自慢をさせてくれ。」
ウェイルは嫌味たらしくない自慢をしてくる。ただ、自慢も何もここまで綺麗な地図は珍しい。
「今私達がいる場所がここ。」
地図の中央よりも東、横長の楕円形の左を持ち上げたような形である区域を指差す。
「ここがウェイル領だ。そしてここ。」
ウェイルはNirvanaと書き込まれた場所を指す。
「……ここは。トルー地方の、さらに北?」
ステラが質問をする。
「そうだ。トルーの更に北に位置する場所。ニルヴァーナだ。」
現在地からはウェイル領縦断を10回以上できるくらいの距離がある。
羊皮紙の上では、指を二度ほど滑らせれば届いてしまう距離だった。だがその間には山脈の連なりが描き込まれ、名前のない余白が広がり、街を示す点はまばらになっていく。地図が綺麗であればあるほど、道のりの遠さのほうが正直に伝わってきた。
「ここにこの世界最高のクレリックがいる。そして闘いに挑む数多くの冒険者の治療に当たっている。」
「世界最高の…。」
アリスが興味深そうに呟く。
「彼は現実世界でも医師のようだ。魔法を利用して適切な治療を行うことから前線では信頼が篤く、向こうでは知らない人間がいない程だ。聖堂並みの治療ができるといっても過言ではない。」
「その方が…?」
「あぁそうだ。前線はここのような平和な場所ではない。言ってしまえば一攫千金を狙った命知らずの冒険者が向かう場所だ。ギャンブルを楽しんでいるかのような空気もある。もちろん掛け金は自分の命だがね。そんな彼らでさえも心的外傷を負う、それが神々の争う地だ。彼には一緒に隠居しようと誘ったのだが、前線でやることがあるといって聞かなかったのだ。つまり…」
「彼に会うためにはそこまで行かなくてはいけない…?」
ウェイルは悠仁の質問にはっきりと答える。
「その通りだ。手紙などがおいそれと届く場所でもないのでね。何せ通れる馬車が限られている。行けてもトルーが限界だ。この辺からは女神の加護など紙屑同然のものとなる。まぁ戦闘になるのはその東だから戦火にまみれているわけではないのだが…。」
「馬車すら襲われるんですね…。」
「まぁそんな場所だ。…だが、君の顔を見る限り、そんなに急ぎではないのだろう?」
ウェイルはフルールに問いかける。
「はい、昔はそのことばかり考えてしまいましたが、今は興味を惹かれるものが多くて、記憶について考えている時間も減ってしまいました。それに…。」
フルールは目を閉じて一呼吸置き、続ける。
「私のことを心配してくれている人が昔も、今も、こんなにいるんですから。私は安心です。」
「…そうか、いい仲間に出会えたな君は。」
ウェイルは娘を見るかの様な視線でフルールに微笑む。
「君達がここに到達するまでには急いでもかなりの時間がかかるだろう。急ぎすぎてはいけないよ、それで命を落とした冒険者を私は何人も知っている。ゆっくりと確実に、レベルに見合った実力を付けられるように。そして仲間を大切にしていけばきっとたどり着ける。…大丈夫!私でもたどり着けたんだ!はっきりした目的がある君達なら大丈夫さ!」
はっはっはと大きな声で笑う。
その笑い声は、励ましの言葉よりもよほど効いた。行き先までの距離は変わらないのに、地図の上の遠い一点が、ほんの少しだけ近付いたような気がするのだから不思議なものだ。
「この件に関してはこのくらいでいいかな?して、まだ聞きたいことがあるように聞こえたが?」
「…あっ!はい。話が壮大すぎて忘れかけてましたけどもう一つ聞きたいことがあったんです。」
悠仁はもう一つの、大事なことを聞き始めた。




