第一章5 『死の足音』
脳が理解を拒んでいる。
ルリが、俺を刺したのか……?
「る、り……?」
「汚らわしい声で、ルリの名前を呼ばないでください」
「……ぇぇ?」
どういうことだ。
どうして、俺はルリに刺されたんだ?
何で、何でだ?
何か、癪に障るようなことをしたのか?
まったく、覚えがない。
「抵抗しなければ、楽に終わらせて差し上げますけど」
「嫌、だね……。俺ぁまだ死ぬ気はねえからなッ……」
「その割には、もう虫の息のようですが」
嘲笑しながらそう吐き捨てるルリ。
その表情には、先ほどまでの仕事人の顔はない。
――あるのは、快楽と憎悪に満ちた顔だけだ。
恐らく、心臓の数センチ横……肺を貫かれた。
息を吸うたびに、胸に激痛が走る。
これほど呼吸をしたくないと思うのは初めてだ。
「何で、こんなこと……」
「怪しい人間には容赦はするな。そう、ゼルヴァイン様から教わっておりますので」
「推定無罪の原則、って言葉は知らねえのかッ……?」
「さあ。聞いたことがありませんね」
ルリは冷たい眼差しを俺から離すことなく、小首をかしげた。
ヒュー、ヒュー、という俺の荒々しい呼吸音が部屋に響く。
ルリが握っているナイフの切先からは、ポタポタと血が滴り落ちている。
あれ、全部俺の血なのかよ。
「ルリの顔に、見覚えはないんですか?」
「さあ、知らねえな……。生憎、俺は昨日この世界に来たもんだからよ」
「これだけ追い込まれているのに、よくもまあそんな軽口が叩けるものですね」
軽口なんかじゃなく、事実だ。
俺はまだ、この世界に来て二日しか時を過ごしていないんだぞ。
そっちこそ、何も知らねえくせに知ったような口を叩いてんじゃねえ。
なんてことを言ったら、すぐにトドメを刺されてしまうだろうな。
それが怖くて、迂闊なことは言えない。
「このことは、みんな知ってんのかッ……?
ゼルヴァインやクロエ、それにアイリスも」
「いえ、知りません。知られる前に殺してしまうつもりなので」
「……そうかよ」
殺す。
確かに、ルリはそう言った。
俺は、この子に殺されるのか。
そりゃ、殺意もなく人の心臓なんて刺さねえか。
意識が遠のいていく。
目を閉じたら、それは即ち死を意味する。
目に全霊を注いで何とか開こうとするが、一刻進むたびにまぶたが重くなっていく。
嫌だ。
まだ、死にたくはねえな。
アイリスを王様にするって宣言したばっかりなんだぞ。
こんなところで、死んで……
「――ルーア」
「……ぇ?」
ルリの声が聞こえたかと思えば、みるみるうちに意識が回復していく。
そして、まぶたにのしかかる鉛のような重みは消え去った。
未だ胸部の痛みが残ったままだから、多分完治はさせてくれていないのだろう。
「何の、つもりだよ」
「こんなにあっさり死なれては困りますからね。
いくつか聞き出したいことがありますので」
「そんだけなら、わざわざ刺さなくてもよかっただろうが……!
ある程度の質問なら、NGなしで答えてやるのに……ぁッ!」
「いい加減、自分の立場を理解してください」
ルリが手首を返すと、その手から風が生じた。
それは刃のように俺の頬を切り裂き、焼けるような痛みに声にならない叫び声を上げる。
「大きな声を出した瞬間、あなたの首が飛ぶことになります。
誰にも気づかれずに聞き出して始末したいので、大人しくしておいてください」
助けを呼ぼうとすれば、殺される。
そして、質問に答え終わったら殺される。
どちらにせよ、俺が死ぬ運命は変えられないということなのか。
……クソッたれが。
「では……まず、あなたはアイリスさんに敵対する派閥の方ですか?」
「違う……俺は、アイリスを王様にしたくてここに来た」
そう言った途端、再び俺の頬を風が打った。
まったく同じ位置を、寸分の狂いもなく切り裂いた。
「誰の指図で、動いているんですか?」
「俺は、己の意思に従ってるだけだ」
今度は何もせず、大きなため息をついた。
嘘をついている、と思われているのだろうか。
この状況で嘘をつけるほど、肝が据わっている自信はない。
「――あなたは、大罪人ですか?」
「――」
答えることができなかった。
否定よりも先に、その響きに疑問符が浮かんでしまったのだ。
大罪人。
まったくもって、聞き覚えはない。
「沈黙は肯定、と捉えてもいいのでしょうか」
「知らねぇよ……。聞いたこともねぇ」
「はぁ……」
再びため息をついたルリは、膝を曲げて俺の前に屈んだ。
そして、俺の右腕を持ち上げた。
「【七つの美徳】。この響きに聞き覚えは?」
「何だよ、それ……」
「――とぼけるのもいい加減にしてください!」
苦悶に満ちた声を振り絞った俺の言葉に、ルリは過敏に反応した。
そして、いきなり態度が豹変した。
「あなたのその『自壊』の権能!
姉様を……家族を殺したおぞましい化け物が、よくもまあのうのうと!」
「……じ、かい?」
「この期に及んでまだしらばっくれるんですか!?」
「しらばっくれるも何も、知らねぇって言ってんだろ……!
大罪人とか七つの美徳とか、何の話を――」
畳みかけるように言葉を連ねる俺の喉は、一瞬で掻っ切られた。
喉元から熱い液体が噴き出してきて、ついに声が出なくなってしまった。
「ぁ……ぁ……」
「ここまで追い込めば自白すると思っていましたが……最後の最後まで愚かでしたね」
死ぬ……死ぬのか?
死、死、死、死、死、死――――。
「それでは、もうあなたは用済みなので。
このまま生き地獄を味わわせて差し上げてもいいのですが、アイリス様たちに気づかれては面倒なので」
「ゃ……ぇろ……!」
手を伸ばし、固い床を掴もうと足掻く。
ベッドの下に敷かれている絨毯をギュッと掴むが、既にもう力は入らない。
「あの世で姉様に会ったら……いえ、あなたは地獄に行くので、会うことはありませんでしたね」
「――」
嘲笑混じりにそう皮肉るルリ。
見上げると、その顔には狂気が宿っているように見えた。
どうして、ルリは笑っているんだ……?
「さようなら、醜い化け物」
その言葉を最後に、ルリは腕を振り上げた。
そして――、
「――ボクの書庫で、人間の汚い血をまき散らさないでくれるかな」
息が絶える直前。
聞き覚えのある冷たい声が、頭上で聞こえた。




